HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「未来技術に投資しよう」 :筑波大学発のベンチャー

以前から、野村證券さんが筑波大学と提携関係にあると聞いていた。その後どうなりましたかねと、ある関係者に聞いてら本まで出したのだと聞いて読んで見た。

IT、医療、遺伝子、ロボット、エネルギーなどの分野に分けて網羅的に書いてある。「筑波大学に探しに行く」と言いながら、学外の研究者の成果も網羅的に書かれていてそれぞれの分野の現状がよく分かる。なにせ筑波にはCYBERDYNE社があるのが強い。ベンチャーの実績は東大に次ぐレベルなのだそうだ。

大学でリストも公開されている。

www.sanrenhonbu.tsukuba.ac.jp

とはいえ、たまたま大学関係者の集まりがあり、本書を持って行ってご意見を伺ったところ割と「この方、新規で研究してた?」などミクロで見ると、やはりいろいろあるらしい。とはいえ、私のような素人には蒙を啓かれるような研究が並んでいる。

筑波大学の研究ではないし、投資に向く話しでもないが、私が興味を引かれたのは神経のネットワークのところ。

大脳皮質は、その下側に位置する視床から体の各部位によって集められた各種の入力情報 を受け取っています。入力する側の視床から受信する側である大脳皮質へと伸びる神経細胞 の経路の数よりも大脳皮質から視床へとつながる逆の経路の数が10倍も多いということが昔 から明らかになっています。

これってカントのアプリオリな認識の話しではないかと。哲学によって人間の神経ネットワークの状況が二百年前から予想されていたように私には思える。あと、腸内細菌の話しも面白かった。

一億年のはかり方

1億年がどれだけの長さか実感できない。一度イスラエルで紀元5000年前、いまから7000年前と言われる城壁の跡を見た。そこで、初めて人類の歴史の1万年というのは確かに目で見、手で触れるものだと実感した。1億年とは実感可能な1万年の1万倍だとは数字の上ではわかる。しかし、1億年前にはまだ地球上に恐竜が跋扈していた。動植物はおろか、大陸の形すら今とは全く違う。自分と自分の種にとっての1億年をどうやったら自覚できるのか?

白亜紀(はくあき、白堊紀、Cretaceous period)とは、地球の地質時代の一つで、約1億4,500万年前から6,600万年前[4]を指す。この時代は、前のジュラ紀から続く中生代の最後の時代である。次の時代は、新生代第三紀の暁新世である。

白亜紀 - Wikipedia

朝起きて用を足したあと、ふと細菌から人間まで、生物種にとって世代交代するのに必要な時間で1億円を割ったらその長さが実感できるかなと考えた。そこで作ったのが、以下の簡単な表。

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1億年

*1

進化に必要な世代数が約40万世代とは「眼の誕生」から。眼のように大きな進化の成果ですら40万世代で可能となる。であれば、その程度の「大進化」は1億年の間にどれくら可能か?

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眼の誕生

In the Blink of an Eye、「眼の誕生」 読了(ネタバレあり) - HPO機密日誌

そもそも、細菌こそが最強の進化の主体、「大きいもの、強いものが生き残るのではなく、環境に適応するもののみが生き残る」という原則から生存確率を適当にはめているので、つっこみどころは満載。少なくとも、人類は確実に1億年は生き残れないだろうとは想う。

世代交代と絶滅の可能性と進化の可能性から言えば、人間は1億年の間に560万回、世代交代が可能となる。ただし、絶滅時計が示すように1世代のうちに絶滅してしまう可能性は決して低くはない。「眼」のような大きな進化の可能性が15回は与えられているがその前に死滅する可能性が高い。

対して、樹木。1億年で2500万回世代交代が可能。植物界は陸生のものだけでも数億年に渡って絶滅を免れてきたので、今後1億年も生存している可能性が高い。進化の可能回数も多いが、あまりに多様に進化しているので、人間の絶滅など大きな生存圏の変動がなければ現在の形で生存しつづける可能性が高いのではないだろうか?

こうした多細胞生物と対象的なのが、細菌のたぐい。わずか20分で世代交代可能。DNAの構造が同じという意味では、1億年で7百万回以上大進化を遂げる可能性がある。私達の見ている間にも、抗ペニシリン細菌とか、細菌ではポリオワクチンとして毒性をなくしたはずの株が猛毒を再現してしまうケースもある。動物の性は細菌に対抗するためにできたという説もあった。そもそも人間でも、細胞が40兆に対して共生している細菌は100兆だと聞く。進化、変化を一番アドバンテージにつなげているのは細菌ではないだろうか?

(病原菌、バクテリア、ウィルスなどの)寄生者と宿主との進化は、密接にからみあっている。寄生者の攻撃が成功すればするほど(より多くの宿主に取り付くにせよ、より多くの資源を個々の宿主から奪い取るにせよ)、宿主の生存のチャンスは、防御法を見つけ出すことができるかどうかにより強くかかわってくる。そして、宿主がうまく防御すればするほど、寄生者はこの防衛体制をかいくぐるよう自然淘汰されていく。どちらかが優勢に立つかは、振り子のように行ったり来たりを繰り返す。どちらか一方に窮状が増せば増すほど、それは、よく戦うようになるだろう。これは、まさに赤の女王の世界である。そこには勝利はなく、一時的な休息があるだけなのだ。

取り違えた赤の女王 - HPO機密日誌

*1:Googleスプレッドシートで作成。最近物騒なので、共有等するのではなく関数だけ羅列しておく。
3列=round(100000000/B2,0)
5列 =1-(1-B4)^B3
6列 =round(B3/364000,0)

自動運転の手前の便利な機能

実際自分で自動運転レベル3の手前くらいの車に割と長い期間運転させてもらった。高速道路だとレーンをほぼ維持するくらいはできるレベル。上限速度を設定して、前の車を追随して走っている分には、本当にストレス無い。四方八方にセンサーやカメラがついているので、かなり安全だなと感じられる。

ただ、ちょっと雨が降るともうレーンの検出はできなくなる。ギブアップのメッセージが出てびっくりした。先日のBMWの最先端の自動運転のデモンストレーションが延期されたというのはよくわかる。

取材当日は豪雨のためデモ走行は中止になったが別の日に行われたデモ走行の映像で確認できた

【BMWが日本初披露した自動運転ってそんなにすごいんか】日産より上か? どう違う??(ベストカーWeb) | 自動車情報サイト【新車・中古車】 - carview!

あるいは、ウーバーの自動運転で歩行者が轢かれてしまったことからもわかるように、深層学習のテクノロジーによってカメラによる人や障害物の認識はできても、認識した結果をどのように運転に反映するかは、あくまで線形のプログラムだより。運転の仕方までは深層学習していない。人を殺さないために、どのような場合には人をひいてしまう事態になるか学習させるわけにはいかない。ものをものとして認識するフィードバック/フィードフォワード学習と判断するレイヤーとではとてつもない隔たりがある。

news.yahoo.co.jp

この方のおっしゃる通り。

「最後まで人間だと認識できず」UberのAI車、初の死亡事故が起きた理由(平和博) - 個人 - Yahoo!ニュース

中途半端な自動運転が、運転手が油断するから一番危険というのはなしの実例だと思う。

2019/11/08 10:02
b.hatena.ne.jp

現在の人工知能は個々のものを認識はできても、そのつながりを認識できているわけではない。自立した生命体ではないので仕方がない。

hpo.hatenablog.com

で、なにを言いたいかというと、当分の間、人工知能を応用した自動運転は安全性を高め、人間の運転者のサポートだという位置づけにするのが吉かなと。法律の緩和も一気に自動運転を目指すのではなく、サポートでここまでやっていいよとしてはどうか?一例で言えば、現在の一般販売されている車は前の車に追随して赤信号で止まることはできても、赤信号と停止線を認識して停止する機能は実現できていない(多分)。それと、赤信号が青になった時の自動発進。現在のものでは人がアクセルを踏まないとリスタートできない。

で、サポート役としての学習する人工知能を車に搭載してありとあらゆる人間の運転者の動作を機械学習させればかなりの実証データがあっという間に蓄積されるのではないだろうか?更には学習データから、適切な運転を推測させるたか、事後データから判断ミスにはマイナスの加重をかけるなど色々想像が広がる。出力側のパラメーターは、単純化すればハンドルとアクセルとブレーキだけなわけで、プログラムではない何層をも学習のレイヤーを統合した出力のシミュレーションが可能になれば深層学習による自動運転が可能となる。*1

法律論的には自動運転を可能にする議論は、まだまだ進んでいないのではないだろうか?

hpo.hatenablog.com

ま、それにしても生きている間にここまで車の運転が自動化される日を見れるとは思っていなかった。先が楽しみ。

*1:もちろん、こうした「学習」による運転者の「疑似人格」とでも言うべき存在が人間と同じアルゴリズム、意思で運転しているかどうかの深い疑問が存在する。hpo.hatenablog.com

山本直樹 レッド 1巻

たぶん、もう十分。あさま山荘事件につながる群像劇の始まり。

ネタバレにはならないだろうから書いてしまうが、この表紙の丸数字は死んでいく順番。だからみな目をつぶっている。みんなやっているからと、毛沢東バンザイと叫びながら活動が過激化していく様が描かれる。そもそも本書を読んでみようと思ったのは、香港の学生運動がどうなるかを考えたくて。

hpo.hatenablog.com

心から香港の学生を応援したいが、暴力はどこまでも過激化していくのだと思う。山本直樹の描き方だと最後の最後は相当凄惨なものになるだろう。怖くて読めない。

「真剣師小池重明」

友人から勧められて読んだ。驚きの団鬼六先生の小説。

真剣師小池重明 (幻冬舎アウトロー文庫)

真剣師小池重明 (幻冬舎アウトロー文庫)

小池 重明(こいけ じゅうめい、本名・こいけ しげあき、1947年12月24日 - 1992年5月1日)は、愛知県名古屋市出身の将棋アマチュア選手。アマ最強と呼ばれ、その強さは花村元司も評価。賭け将棋で生計を立てる真剣師としても伝説的な強さだったとされる。「新宿の殺し屋」「プロ殺し」など数多くの異名と独特の棋風で知られる。

小池重明 - Wikipedia

将棋はよく知らないが、子供の頃祖父によく指してもらった。センスがないらしく祖父が亡くなるまで飛車格落ちでも勝てなかった。それでも、勉強しようと想って買った新書の将棋の本がwikipediaにも出てくる花村元司プロの本だったと記憶する。花村棋士の本には、賭け将棋の真剣なやりとりを彷彿される心理戦のようなことが書いてあった。おっと、探せば出てくるのがいまの高度情報社会のすごいところ。

この花村棋士を上回る賭け将棋の「真剣師」でありながら女に溺れ、酒に溺れ、賭け事に溺れた男が小池重明。確かに、誰もが人には言えない性や癖をもっているのだと想う。その狂気に近い部分とどう折り合いをつけるのが人生だと。例えば、草間彌生氏は狂気をもマネジメントした。

キュレーターの方が「草間は狂気をも"manage"した」と言っている。多くの芸術家は「マネージ」できずに死んでいくか、作品を生み出せない状態に陥っていく。草間はまことに「エクストラオーディナリー」だと。ペニスへのobsessionが水玉に至るのだと思うと、すごい"management"だ。

草間彌生の水玉は去勢されたペニス - HPO機密日誌

小池重明は、その折り合いがつけられなかった。あるいは、リスクにむかってどんどん突き進んでしまう形の天才、異能者だったのだろう。団鬼六先生の書きぶりを読んでいると、小池氏はもう映画「アマデウス」のモーツァルトだなと。

アマデウス(字幕版)

アマデウス(字幕版)

まあ、とにかくひとごとではない。自分自身も自分の内なる狂気、癖をいかに日常生活を送れる程度には「マネジメント」するかが特にこれからの自分の晩年に向けて大事になる。


■追記

そういえば、似た天才型の人物がいた。

hpo.hatenablog.com

「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」のその後

何度読んでも名著だ。社長、組織のトップになる道が見事に描かれている。

ビジネスマンの父より息子への30通の手紙    新潮文庫

ビジネスマンの父より息子への30通の手紙 新潮文庫

内容はもういろいろな方に語り尽くされている。

sasakitsuneo.jp

しいて言えば、今度改めて読んでみて、以前読んだ時には多角化M&Aのことについて書いてある部分にあまり注意が行っていなかった。企業グループを安定させるための多角化の企業戦略についてとても大事なメッセージがたくさん含まれている。

ただし、多少フィクショナルな部分があるのではないかと以前から思っていた。まずは、キングスレイ・ウォード氏の会社がどうなかった調べてみた。

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キングスレイ・ウォード氏

https://www.vrgcapital.com/bio.php?G.-Kingsley-Ward-1

1932年生まれということで一致する。

1932年カナダ生れ。会計事務所勤務の後、製薬関係を中心に企業経営の道に進む。そのユニークな最初の著書、『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』はミリオン・セラーとなった。姉妹編に『ビジネスマンの父より娘への25通の手紙』がある。

キングスレイ・ウォード | 著者プロフィール | 新潮社

このVRGキャピタルは、現在も営々と経営されているように見える。素晴らしいとしか言いようがない。

www.vrgcapital.com

ただし、年齢があわない。佐々木氏はこう書いていらっしゃる。

キングスレイ・ウォードは化学事業を興し成功した人だが、ビジネスマンとしての働き盛りのときに2度にわたる心臓の大手術を受け、死に直面した彼は、生きているうちに自分の様々な経験を息子に伝えたいと切実に願うようになり、息子が17歳のときから20年にわたり30通の手紙を書いた。

本書の原著の出版は1985年だと思われる。

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ビジネスマンの父より息子への30通の手紙

ということは、1932年生まれのキングスレイ・ウォード氏は、当時53歳。息子さんの年齢から逆に計算すると1985 - 20 -17 - 1932 = 16歳で父親になったということになりあまりに早い。なおかつ本書のオリジナルはそこから数年以上前にかかれていたはず。つまり、年齢の設定と、書き終えたタイミングについて多少フィクショナルな部分を含むように思える。息子氏は1948年の生まれとなるので、現在71歳となるが、調べてみるとたぶん50代半ば。1960年代半ばの生まれのはず。

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J.R. Kngsley Ward

逆に言えば、1985年マイナスアルファ時点ではまだ17歳だったのではないだろうか?心臓の手術により命の危険を感じたキングスレイ・ウォード氏は、一気に30通の手紙を書いたのではないだろうか。20年に渡って書かれたにしては文体が一貫しすぎているとは以前から思っていた。四半世紀ぶりに謎がとけて嬉しい。つまりは本書は実は半自伝的な書物ではないだろうか?若き日の自分に宛てた手紙なのだと。だからこそ、現在の会社のホームページに一言も本書に関する記述がないのだと。

この事実は、しかし、本書のビジネス書、人生物語としての価値を下げるものでは一切ない。更に言えば、「息子」のJ.R.キングスレイ・ウォード氏はいまも営々とビジネスマンをされていることは、もう本当に素晴らしいとしか言いようがない。

www.vrgcapital.com

左翼系リベラルという矛盾

めいろまさんには、はた迷惑かもしれないが大変ツイートに共感した。

この元ツイートの精神科のお医者さんの「性グロテスク説」もよくわかる。人間とは醜いものなのだ。キリストが「口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである」とおっしゃったのは半世紀も生きていると痛感せざるを得ない。

最近しみじみ想うのだが、人権が、憲法が、権利がとおっしゃる左翼の方々の主張は矛盾している。本来左翼系の思想、社会主義は、個々人が自分のことより社会全体への奉仕を優先することでよりよい社会が成り立たせるのだという性善説でしかありえない。旧ソ連の革命や、中国共産党により国家樹立は、貴族や、資本家が我欲の塊であるとして排除したいという強烈な願望で成立した。貴族や、資本家は自分のことを社会よりも最優先にするので不平等になるのだ革命家達は思い込んでいたのだろう。社会主義国家を存立させるには、階級をなくし、自分の欲望を抑えた社会への奉仕が絶対であるという性善説に立つしかない。性善説なので、リーダーはいらない、みな平等で、よい方向に社会を向けられると神事、旧ソ連、中国において政府関係者が「同志」と呼び合っているのだろう。更には、自分自身にとって一番大事な子供の養育さえも社会に委ねる運動も社会主義国家の性善説の最たるものであろう。私は私の子供を私以上に愛をもって彼らのベストへむけて育てられるとは想わない。

ソ連やね、中国には、『子どもの城』というのがあってね、そこでは子どもは自分の好きな教科を勉強できるんだよ。学校とは違う特性を生かせるんだよ。日本にはないね。日本ではできないね。

年寄りは年寄りのことしか考えていない - HPO機密日誌

こうした社会主義性善説を自由に優先させることで貴族、資本家を引きずり下し、平等だとみんなが想えるのが社会主義であれば、権利は当然抑圧される。まさに中国、旧ソ連ではそれは真実であったし、いまの香港の若者への暴力を見ていると、いまも抑圧することで社会主義国家が存在するのだという恐ろしい主張が身にしみる。しかし、戦後日本における社会主義運動家、左翼思想達は、労働運動に代表されるように自身の権利に行使に実に熱心である。ある会社では、労働運動のためには正式な手続きを得ない休みの取得、手当の支給を求める権利すら広くあったと聞く。さらには、自身の権利は天から与えられているので、会社の上司にも、国家にさえ優先されるのだとさえ明言する。

私にとっては人権とは天国と似たおとぎ話です。天国を他者に信じさせることは信じたくない人を思えば抑制的であるべき。それがわからず語ることは欺瞞。たた、ジェノサイドだけは国家間の合意として、市民権の延長で禁止できそうだな、と。 http://twitter.com/#!/finalvent/status/41988960553156609

「私にとっては人権とは天国と似たおとぎ話です。」 - HPO機密日誌

社会主義的な主張を繰り返す人々の言説は、自身のサボタージュ、性グロテスクのために本来の主張を意図的に曲解しているのではないかとしか想えない。人は本来「グロテスク」なものなのだ。内に抱えたグロテスクさを「義務の前に権利の主張」をする姿勢では社会がなりたたない。ましてや、めいろまさんのご指摘の通り、より脆弱な企業の中で、グロテスクさを人権のオブラートに包み込んだ人材が適切な行動が取れるわけはない。ここに最大の矛盾を私は見る。

とても大事なご指摘をいただいたので、私の駄文ではなにも伝わらないとは想うがエントリーを起こしておく。