なんと若き草間彌生が無数のペニスの上に寝転がっている。この写真を見てはっとした。現在の水玉の作品にいたるまで、草間はひとつのテーマで描き続けているのではないだろうかと直感した。
ドメインパーキング
このパフォーマンス・アートから草間はいったいどれだけの作品を描き、どれだけの時間を使い、どれだけのobsessionと狂気を乗り越えて現在の水玉に到達したのだろうか?
この写真のソファーのペニスを片っ端からちょんぎってしまえば、この写真の無数のペニスは、無数の水玉になる。自らのからだに水玉を貼り付けたのは、ペニスをも去勢するという意味だと私には受け止められる。草間彌生はフェミニズム側に評価されていると聞く。だとすれば、女が男のペニスを去勢しなければならない狂気こそが、フェミニズムなのかもしれない。
http://www.dogoonsenart.com/artist/kusama-yayoi/
道後温泉の旅館を利用したアートフェスにおいて、1966年(なんと私の生まれた年!)の草間彌生のパフォーマンス・アートと、現在の草間彌生の精緻な作品がこのアートなひとつの部屋に対比されている。しかし、いずれも同じテーマなのだとすれば、まさに狂気の沙汰だ。
いろいろYoutubeなどを見ると、キュレーターの方が「草間は狂気をも"manage"した」と言っている。多くの芸術家は「マネージ」できずに死んでいくか、作品を生み出せない状態に陥っていく。草間はまことに「エクストラオーディナリー」だと。ペニスへのobsessionが水玉に至るのだと思うと、すごい"management"だ。
Yayoi Kusama: 9 February - 5 June 2012 - YouTube
草間の作品を観る目が変わった。