HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「共産党の中国は民主主義」

原口代議士の発言が話題になっていると聞く。「共産中国は民主主義」は伝統的な主張ではある。

snjpn.net

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原口代議士

「ヴェノナ」を読んでいて、1943年にも同様の主張がなされていたことを知った。

「長年、中国共産党の熱烈な擁護者であったビッソンは、『チャイナ・トゥディ』と『アメラジア』両方の創刊メ ンバーに加わっていた。彼はまた、毛沢東指導下の中国共産党員は真のマルクス・レーニン主義者ではない、という見方を主張する中心人物であった。「いわゆる共産主義的な中国」は「民主主義的な中国」と表現されるのが正しく、毛沢東が支配する地域で定着している体制は「実のところ、ブルジョワ民主主義が核となっている」とビッソンは自身の論文の中で主張している。

ヴェノナ 解読されたソ連の暗号とスパイ活動

ヴェノナ 解読されたソ連の暗号とスパイ活動

このビッソンという人物はソ連のスパイであることが証明されている。日本の米国統治にも関係が深い。

トーマス・アーサー・ビッソン(Thomas Arthur Bisson, 1900年- 1979年)は、 アメリカ合衆国の東アジアの政治と経済を専門とするアメリカの政治家、ジャーナリスト、政府関係者。 太平洋問題調査会(IPR)系の日本研究家としてGHQの民政局に属し憲法改正等、占領政策に関わった。 皇室典範と現行の日本国憲法の関係性などに介入、この介入が後の皇室の在り方や今日の皇位継承問題の発端となる(ビッソンらによる昭和二十一年七月十一日付「覚書」による)。 また民主化の名の下に財閥解体などを推し進め、日本弱体化を推進した。

1995年に公開された『ヴェノナ文書』により、「アーサー」というカバーネームを持つソ連のスパイであったことが判明しており、太平洋問題調査会IPRでの活動や民政局時代の活動がスパイ活動の一環だったのではないかという疑義を持たれている。 同じくGHQに所属していたエドガートン・ハーバート・ノーマン(後にソ連のスパイと判明)[1]とは友人関係にあった。

トーマス・アーサー・ビッソン - Wikipedia

原口代議士との中国との関係は知らない。しかし、同様の主張は80年前から繰り返されていることに驚きを覚える。香港の方々が日本の代議士が80年前と、しかもソ連のスパイと同様の発言をしたとすればどれだけ嘆くことだろうか?

好きなことを好きなだけしていたい

好きなことを好きなだけしていたい。それだけ。社会人になったばかりの20代などの話を聞いていると、1時間でも働く時間が短い方がいいという。しかし、真っ赤な目をして会社にいるのでどうしたのか聞くと新しいゲームが出たので徹夜で遊んでしまったと答える。若い人達にとって好きなことを好きなだけしていたいが、仕事は好きなことではないということなのだろう。

ウェブ上でも、労働時間を少しでも短縮しろという議論は多いが、ゲーム時間を規制する条例制定にはまったく反対の声しか見つからない。

twitter.com

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しかし、実際には若い内に仕事を好きなことにして置かないと、年を取ってから好きなことを好きなだけやる時間を確保するだけの収入を得ることができなくなる。

金持ちになるにはどうすればいいんか、いろんな意見があるが、僕の研究で分かったことは、唯一統計的に有意な関係があったのは労働時間。寝食を忘れて週末もオフィスで働いてるやつは、そうでないやつより格段に金持ちになりやすい。本当です。

https://twitter.com/kazu_fujisawa/status/1219231973287194624

藤沢数希先生がおっしゃっているので、根拠のある事実であろう。私の身の回りのお金持ちの働き方とも一致する。

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長い目で見て「好きなことを好きなだけしていたい」を実現するためには、自分の仕事を好きなことにすることが一番楽しいし、一番余裕を持つことができるのだと私のような昔の「新人類」世代には思えるのだが、若い人には伝わらないのだろう。確かに、半世紀以上生きて、私から仕事を取ったらほとんど残らない人間にはなってしまった。それでも、私は私の仕事が好きだ。私がもっとも大切にしている価値観と仕事が合致している。そりゃあ、時にはつらいなと想いながらやらなければならない仕事の部分もある。全体としてみれば、いまの時期だけかもしれないが、余裕を持って仕事に取り組み、その果実をみんなで共有できることは私にとって最高の幸せである。

ただ、若い人達の中でも優秀な人はよく勉強しているし、よく働いている。かなわないと時々思う。これからは労働時間というカットラインが設定された以上、逆に二極化が進むのだろう。私のような凡才は優秀な人に少しでも勝てる目があるとすれば、自分の持てる時間、能力、情熱を一点集中で集中させるしかなかった。働き方改革が進み、労働時間の成約を超えて長時間の労働をつぎ込むことができなくなれば、能力的に劣る人間は挽回ができなくなる。そうそう、働き方改革が先行して進んでいる会社の若者のうち、何人かは空いた時間を徹底的に勉強に使っている。資格取得や、大学院への進学などに使っている。真っ赤な目をしてゲームで徹夜しましたと言ってくる若者とは差が開くばかりだろう。

とにもかくにも、自分の人生自分持ち。自分の人生の長い時間において好きなことを好きなだけしるためには、日々の精進あるのみだと私は思う。

ヘインズ&クレア「ヴェノナ」 中間感想

以前から体型的に読みたいと思っていた「ヴェノナ」についての本が本屋で横積みされていたので、買って読み始めた。スパイ小説を読んでいるようで、スリリングな気持ちで読める。FBIなどの国内捜査機関が地道に操作した戦前、戦中のソ連からのスパイたちの活動が、1995年に公開されたソ連の暗号解読プロジェクト、ヴェノナによって裏付けられていく。

ヴェノナ 解読されたソ連の暗号とスパイ活動

ヴェノナ 解読されたソ連の暗号とスパイ活動

本作戦開始以来、半世紀以上に渡って極めて高度な機密として秘匿されてきたが、米ソ冷戦の終結、1991年のソビエト連邦の崩壊などの状況の変化を受け、1995年7月にこれらソビエトスパイの暗号解読文書の一部が公開され、さらなる公開で約3000に上る解読文書が公開された[3]。 現在、これら解読文書の多くは米国CIAやNSAのホームページにて公開されている。

ベノナ - Wikipedia

いわゆるマッカーサー旋風は必ずしもオーバーシュートしすぎたものではなかったことが地道な検証作業で明らかになっている。例えば、ブレトン=ウッズ体制の礎をケインズと二人で築いたハリー・ホワイトもソ連のスパイであり、共産主義体制に共感する人物だったことがヴェノナにより明らかになったのだと。更に云えば、日米開戦を確定させてハル・ノートにもホワイトは関わっている。

1941年11月17日に「日米間の緊張除去に関する提案」を財務長官ヘンリー・モーゲンソーに提出、モーゲンソーは翌18日にこれをフランクリン・ルーズヴェルト大統領とコーデル・ハル国務長官に提出した。これがハル・ノートの原案である「ホワイト試案」(または「ホワイト・モーゲンソー試案」)となり、大統領命令により、ハル国務長官の「ハル試案」と併行して国務省内で日米協定案とする作業が進む。25日に大統領の厳命により、ハル長官は「ハル試案」を断念、この「ホワイト試案」にそっていわゆる「ハル・ノート」が日本に提示される[要出典]。

ハリー・ホワイト - Wikipedia

ゾルゲと接触していた宮城与徳に関する記述も出てくる。この辺は全部を読み終わってからまとめたい。並行して読んでいる「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」で背景も学んでいる。この本はヴェノナの情報を下敷きにして改めてソ連の成立から日本の敗戦までを記述している。ボリシェビキがなんであったかもようやく理解しつつある。

コミンテルンの謀略と日本の敗戦 (PHP新書)

コミンテルンの謀略と日本の敗戦 (PHP新書)

それにしても、思うのは機密文書として扱われているのが米国の経済見通しだったり、米仏の大統領間の仲違いであったり、いまならウェブですら出てきそうな情報がソ連にとってとても大事であったという事実だ。これも全巻読み終わってから、米国から莫大な支援を受けていたソ連がいかに戦後に米国の対立勢力となる準備をしていたかはまとめたいが、現在のように情報が行き届いていれば、国のトップの開戦という決断も変わっていたのではないかというくらい情報の質、量が足りない。よくゲーム理論で完全情報か、不完全情報かという前提が扱われるが、戦前の世界の対立構造というのは相当に限られた情報の中で戦争が決断されていのだと背筋の寒い想いがある。現代のように情報が行き届いた国際社会であれば、合理的な判断を期待できる相手には限定的な武力行使になるのはゲーム理論からも明らかなのではないだろうか?

先を読むのが楽しみだ。

「劇画 死線を越えて」

父のメモを調べていたら「賀川豊彦」氏の「死線を越えて」を若い日に読んだとあった。原書を読むだけの時間がなかったので、漫画版を読んだ。

賀川 豊彦(かがわ とよひこ、旧字体:豐彥、1888年明治21年)7月10日 - 1960年(昭和35年)4月23日)は、大正・昭和期のキリスト教社会運動家、社会改良家。戦前日本の労働運動、農民運動、無産政党運動、生活協同組合運動、協同組合保険(共済)運動において、重要な役割を担った人物。日本農民組合創設者。「イエス団」創始者キリスト教における博愛の精神を実践した「貧民街の聖者」として日本以上に世界的な知名度が高く、戦前は、現代の「三大聖人」として「カガワ、ガンジーシュヴァイツァー」と称された[1]。茅ヶ崎の平和学園の創始者である。

賀川豊彦 - Wikipedia

漫画版なので誇張、単純化されている部分もあるのかもしれないが、農協、生活協同組合、共済、日本社会党の設立など多方面に渡る活躍に目を見張った。

大宅壮一は、賀川の追悼文のなかで「大衆の生活に即した新しい政治運動、社会運動、組合運動、農民運動、協同組合運動など、およそ運動と名のつくものの大部分は、賀川豊彦に源を発していると云っても、決して云いすぎではない。近代日本を代表する人物として、自信と誇りをもって世界に推挙しうる者を一人あげようと云うことになれば、私は少しもためらうことなく、賀川豊彦の名をあげるであろう。かつての日本に出たことはないし、今後も再生産不可能と思われる人物――、それは賀川豊彦先生である。」と記している[14]。

これだけの人物が現在はあまり話題になったことを寡聞にして知らない。ばりばりの右派であった父が賀川豊彦にここまで共鳴していたというのも、現在の我々からは想像もつかないほど戦前の労働者、農民は国の福祉の対象となっていなかったのだろう。現在の国民皆保険制度の創設にも影響があったというのだから、国の福祉の源流がこの方にあったと言っていいのではないだろうか?もう少し調べてみたい。

www.alter-magazine.jp

ブログ16年

気がつくと、16年間もブログを書き続けている。我ながらびっくり。

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ココログHPOトップ

http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/

16年も経つと記憶が混乱しているもので、「はてな16年」とタイトルしようかと想ったが、はてなは2004年の4月からだった。

hpo.hatenablog.com

それにしても、当時のエントリーを読んでみると、仕事との兼ね合いであったり、中途半端でひとりよがりな読書録であったり、本当に進歩がない。ただ、曲がりなりにも書き続けているので一般の文書を含めて、書くのが億劫では全くなくなったのは大きいかなと。

hpo.hatenablog.com

「人望が集まる人の考え方」

大変興味深く読んだ。内容的には正直エンパワーメントなのだが、著者のレス・ギブリン氏の誠実な人柄が随所に感じられる。学者ではなく自分自身が実践していることが伝わる。

 

人望が集まる人の考え方

人望が集まる人の考え方

 

 正直、自己評価が非常に低い私にとっては「自尊心が満たされないと他人に対して批判的になる」という部分だった。私はまだどこかで自尊心が高い人こそ自分のプライドの基準で他人を批判するものだと想っていた。著者によれば、満たされないからこそその矛先が他人に向かうのだという。

hpo.hatenablog.com

 せめて他人に寛容でありたいと想えるのは、親のお陰かなと感謝している。また、現在の自分を満たしてくれている人がいてくれるので、安定していられるのだと実感する。

南房総 富士百景

南房総からこんなにたくさん富士山が見えると思っていなかった。先日、南房総市館山市白浜町などを訪れ、こんなに多彩な富士山が見えるのかと心底感動した。


南房総と富士山まで約100kmある。それでも、こんなに大きく見えるのが不思議でしょうがない。

 

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富士山との距離

 

 天気にめぐまれたので、もちろん三浦半島、大島、伊豆半島もこれでもかといわんばかりに見れた。本当に房総は観光名所が多い。