HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「萩尾望都 100分de名著」

幸せなSF読み、少女漫画好きだった少年時代にしばし帰還した。以前録画していた「100分de名著」を今更見た。

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更に、書籍を読んで、萩尾望都さんのロングインタビューを読んで初めて萩尾作品の根底にある想いに近づけた。

萩尾望都さんを論じる、四人の論客の方々がそもそも切れ味抜群。下手にここで再論するよりは本を読んで欲しいと。

手塚治虫作品を読んでいても思うのだが、こういう天才的な方々って登場人物自体が話し出す、動き出すという感覚がある。自分の中からあふれでるものが、実は自分自身が投影されている。更には、そこに同様の体験なり、想いを持つ読者が強く共感していくという。

ちなみに、「ポーの一族」のエドガー、アランは「エドガー・アラン・ポー」から取られたのだと四十年ぶりに気づいた。

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トム・クルーズの「トップガン マーヴェリック」があまりに素敵だったので、休みの日にamazonプライムでミッションインポッシブルシリーズを見てしまった。

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トム・クルーズはなんと一作目からプロデューサーも務めている。「トップガン」でブレークしたのが24才。プロダクション設立時点で30才、映画公開時点で34才。

クルーズ/ワグナー・プロダクションズ(1992年設立)の第1回作品であり、主演のトム・クルーズはこの作品で初めて映画プロデューサーに挑戦し、自ら監督を選んでいる。

ミッション:インポッシブル - Wikipedia

どの作品もそれぞれ思い入れを持ってみることができた。実は、m:i2が私の一番のお気に入り。ナイアがとても素敵だった。

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このシリーズでトム・クルーズが様々なアクションのできる俳優としての地位を確立したのは明らか。セルフプロデュースの最も成功した例なのではないだろうか?シリーズ通してみると、確かに世界的な危機が扱われているのだがスパイのリストの話しが繰り返しでてくるなど、世界のインテリジェンスの間の暗闘なのだと見れないこともない。敵方の殆どは元スパイというのもそちらの世界での自作自演だとも言える。

そう考えると意味深な次回作、7作目予告編の「選べ」というセリフも理解できそうな気がする。

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マザーハウス:裸でも生きる2

大好きなマザーハウスの山口絵理子代表の本も二冊目。一冊目のなんでも体当たり感からすると、ずっと経営者に成長されているのがすごい。

一冊目の感想はどこかで書いたつもりだったが見つからない。仕事の上で、マザーハウスについて書いたのと記憶が混同しているのか。

一冊目もとても勇気を与えられた。二冊もこんなに困難な状況で、こんなに裏切られて、それでもネパールでの事業を完遂する姿に感激を覚えた。

たまたま、マザーハウスのお店に入ったら「うちの商品を使ってくださっててありがとうございます」と言われた。いつ買ったか覚えていないショルダーバッグがマザーハウスのものだったのだ。そういわれてみればバッグの裏地がジュートでできてた。それが縁でいくつかのバッグなどの商品を購入して使うようになった。その時、店舗に置いてあった「裸でもいきる」に目を停めて読み始めたのはいつのことだったか。

山口絵理子代表の来歴はあちこちで書かれている。修飾する適切な言葉も見つからないほど立派な経営者でいらっしゃる。

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私が本当にすごいなと想うのは、人に裏切られても裏切られても、先へ進もうとするそのお力だ。私など、一、二度裏切られただけで人を信じることが難しく感じる。何年経ってもその人への気持ちを捨てきれない。経営者は自分のやっていることをある側面で抽象化して、言葉に表し、その先へと進む力が大事だと信じる。広い意味でのコンセプトの力だ。それを山口絵理子代表は自分の商品で人に伝える力をお持ちだ。すごいことだと想う。

本書で描かれたネパールで受けた裏切りを克服するのも、この商品に自分のコンセプトを載せる、コンセプトを純粋に保ちつづけるお力だと思う。良い本を読ませていただいた。

「戦国人物伝 北条早雲」

自分の人生の参考にするために遅咲きの偉人はいないか探している。衰えていく知的スタミナ、少なくなっていく時間の中でとりあえず北条早雲を読んでみた。

解説を読むと、「忍耐の人」とあった。本書によれば、後継者となる長男、氏綱に恵まれたのが55歳。一国の主のなったのは64歳。年齢については諸説あるとはいえ、相当に遅いスタートだと言える。人生の後半に立って、88歳で没するまで好機を狙い続け、戦い続ける。

領民を安撫し、敵将にすら信頼させる一方、敵方を女子供まで皆殺しにする冷徹な一面も持つという。戦国時代のはじめの人物と自分を引き比べることはできないが忍耐が一族の成功、継承に最もつながる道であるということはよくよく学びたい。

おっとっと、ゆうきまさみ先生がなんと北条早雲の64歳没説に基づいて漫画化していた。時間があれば読んでみたい。

「物語 ウクライナの歴史」 後半

前回に引き続き、「物語 ウクライナの歴史」の感想文。マゼッパは18世紀初頭に失意のうちに亡くなったと。そして、ウクライナ東部はロシアに併合され、西部はオーストリアに支配されていたのが18世紀から19世紀に渡る120年の状況。

 18世紀後半にはエカテリーナ二世によって完全にロシアの一部とされ,ウクライナ・コサック社会は消滅した。ロシアは1783年にクリミア汗国を廃しクリミアを併合。同地は1853年からクリミア戦争の主戦場となった。また1772年のポーランド分割によってロシアはドニエプル右岸を取得,ガリツィア地方(今日のウクライナ西部およびポーランド南東部)はオーストリア領土となった。

在ウクライナ日本国大使館:ウクライナ概観(日本語)

ロシアへに併合はロシアの皇帝、エカチェリーナ二世とその愛人で軍人のポチョムキンによってなされた。このポチョムキンの名前をとった戦艦がロシア革命の発端となり、映画にもなったのはなんとも皮肉ではある。ちなみに、戦艦ポチョムキン黒海艦隊であったと。なので戦艦を乗っ取った水兵の大部分はハルキフ生まれのウクライナ人であった。

当時のロシアのウクライナ支配は苛烈なものであったと。農民に移動の自由がなくなり農奴化された。また、ロシア皇帝の意思によって言語も奪われたと。そんな中で、私が知らなかったのは、映画、舞台で有名な「屋根の上のバイオリン弾き」の舞台が19世紀のウクライナであるということ。原作者のショーレム・アレイヘムはウクライナ出資のユダヤ人。「ウクライナの歴史」を読むといかにウクライナ人の文化が高いレベルのものであったか伝わる。映画を見た人は、ロシア人によるユダヤへの暴力的な圧政のシーンは印象に残っているはず。最後には、とうとう長年暮らした村を全員が出ていかなければならなくなる悲劇となる。その悲劇的なシーンに流れるバイオリンは、同じくウクライナ生まれのアイザック・スターンによる。

ウクライナの悲劇は20世紀に入ってもとまらない。前述の戦艦ポチョムキンの反乱もオデッサが舞台。当時もいまも、オデッサ穀物など、ウクライナの輸出の拠点。ここから第一次世界大戦末期に、帝政ロシアを揺るがす革命が始まったというのも歴史の皮肉。そして、二月革命へとつながっていく。

国際女性デーにちなむ最大の事件は、第一次世界大戦中の1917年にロシア帝国で起こった二月革命であろう。国際女性デー(当時ロシアで使われていたユリウス暦では2月23日にあたる)に首都ペトログラードで行われた女性労働者を中心としたデモは、男性労働者、更には兵士を巻き込んだ大規模な蜂起となり、最終的には帝政を崩壊に追い込んだ。

「日本人のための第一次世界大戦」 その1 - HPO機密日誌


帝政ロシアが倒れて、一旦は独立を果たしても、戦後処理の中で悲劇は続いた。


さらには、ソビエト連邦に組み入れられてしまう。

1917年の2月革命後,ウクライナでは中央ラーダ政府が誕生し,ロシアの臨時政府と自治拡大を巡って対立,10月革命を経て中央ラーダは「ウクライナ人民共和国」を宣言した。しかし,ロシア・ソビエト政府はこれを認めず赤軍を派遣,放逐されたラーダ政府はドイツと結び,以後3年間にわたる内戦に突入した。1919年第3回全ウクライナ・ソヴィエト大会でウクライナ社会主義共和国が成立,1922年12月,ソ連邦の構成共和国となった。

在ウクライナ日本国大使館:ウクライナ概観(日本語)

ちなみに、一旦は独立を果たしたラーダとはコサックの昔から「全体会議」(国会)を意味する言葉。現在のウクライナでもラーダが「最高評議会」と訳されている。ウクライナはいまもコサックの伝統を継いでいると。

この後に穀倉地帯であるにも関わらずソ連の政策により飢餓を迎える。ロシアに穀物を巻き上げられ、集団農場政策で土地を奪われ、人為的に飢餓がウクライナで引き起こされたと。これはウクライナの方はロシアに恨み骨髄になるのは当たり前。更に、第二次世界大戦下でドイツとソ連ポーランド分割で、ソ連に完全に組み入れられてしまう。さらに、1941年独ソ不可侵条約を破ったドイツがウクライナソ連を攻撃。四年間の戦争に。多くの破壊、死者が出たと。そりゃあ、ウクライナ人はドイツを良くは思うわけはない歴史がある。

戦争中、ドイツはウクライナ人、特にウクライナユダヤ人を弾圧、虐殺したと。ウクライナ人はウクライナ蜂起軍(UPA)を作りソ連、ドイツと戦った。まるでZガンダムの世界観のような三つ巴。これもまた歴史の皮肉だが、太平洋戦争を事実上終わらせたヤルタ会談のヤルタはクリミア半島にあったと。

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日本との関連で言えば、ヤルタ会談で決まったソ連の対日参戦の対価として米国との間で樺太、千島列島のソ連領有が決められたと。さらにソ連参戦により抑留、連れ去られた大陸の日本人はウクライナでも強制労働をさせられたと。ここでもまた、西側の戦争は東側の日本の侵攻とのバランスがあると。

戦後のソ連支配において、穀倉地帯としての発展とともに工業も発達した。今回も戦場となった欧州最大の製鉄所、アゾフスタリ製鉄所もそう。さらには大きな原発事故となったチェルノブイリウクライナ

そして、とうとうゴルバチョフペレストロイカで情報開示が進む中、ソ連が崩壊。1990年ラーダの選挙が行われた350年ぶりの独立を果たしたと。その後の歴史はまた別途調べてみたい。かなり中途半端な要約、感想文にすぎないが一旦アップしたい。

「物語 ウクライナの歴史」 前半

ロシアの侵略が続く中、書店の店先で見つけて読み始めた。ロシアは何度もウクライナを侵略している歴史に改めて驚いている。

ちょうど読み始めた頃にNHKでも取り上げられていた。

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ここに取り上げられていない部分の話しをいくつか。

ウクライナがいかにまさにハートランド、大陸の内奥の要衝であることは示すのが紀元前七世紀のスキタイ人の存在。文字を持たなかったのでヘロドトスの記述によるしかないのだが、黄金を基本として高度な文化も持っていたと。紀元前から東西の要衝として栄えていたことをうかがわせる。

スキタイ
企画展「ウクライナの至宝展 スキタイ黄金美術の煌めき」: 山梨県立博物館 -Yamanashi Prefectural Museum-

キエフ大公の十世紀、十一世紀の繁栄は記述の通り。

まず、キエフ大公の「ヴォロディーミル」(在位978~1015・ロシア語名ウラジーミル)は、公国をヨーロッパ最大の版図を持つ国にまで拡大したとされています。キリスト教を国教化したことから「聖公」とも呼ばれるほどです。

【詳しく】プーチン大統領なぜ執着?キエフ・ルーシの歴史とは | NHK | ウクライナ情勢

ヴォロディーミルの玄孫にあたりキエフ公国の最後の繁栄を築いたモノマフ公(ウラジーミル2世)の言葉が興味深かった。

本来、本書の焦眉と言えるのがコサックについての記述なのだがあまりに面白くてメモもとらずに読んでしまった。Wikipediaの記述ではその面白さと隷属から自由を求める民族性が伝わらない。

16世紀にコサックの一部はドン川の下流に移住し、そこで新たな根拠地を創立した。それらのコサックはザポロージャ・コサック[注釈 1]とドン・コサック[注釈 2]と呼ばれ、コサック諸軍の中で最古軍であった。初期のコサックは、没落した欧州諸国の貴族と遊牧民[注釈 3]の盗賊によって構成され、河川が豊かな土地を有する自治共同体を編成し、黒海アゾフ海の北岸地帯で略奪行為を行い、東欧におけるキリスト教の世界の先隊としてイスラムの諸勢力と戦った。

コサック - Wikipedia

この記述の前提にタタール人の台頭などで豊かであるにも関わらず略奪が繰り返された現在のウクライナ地方があった。危険ではあっても、豊かな土地に恵まれたウクライナであったからこそ戦闘集団、コサックが生まれたのだと理解した。

17世紀、ポーランドリトアニアの支配を受けていたウクライナで、頭角を現したのがフリメニツキーであったと。

1647年、ポーランドの貴族でチヒルィーンの副長官ダニエル・チャプリンスキが、50歳を超えていたフメリニツキーの領地を奪おうとした。フメリニツキーはチフィルィーンの法廷やポーランド議会、ポーランド王ヴワディスワフ4世に訴えるが、フメリニツキーの主張が支持されることはなかった。(中略)
1648年、フメリニツキーは、ムィクィーティンのシーチにおける会議によってザポロージャのコサックのヘーチマン(指導者)に選出された。(中略)ここにウクライナは事実上のコサック国家となった。

ボフダン・フメリニツキー - Wikipedia

ただし、ポーランドからの独立を守るために後々ロシアの介入をゆるすことになるペレヤースラウ条約をフメリニツキーは結んでしまう。当然だが、ロシア側はこの条約をもってウクライナがロシアに編入された根拠とするし、ウクライナ側は単なる軍事同盟にすぎないと評価する。さらに、ポーランドスウェーデン、ロシアと三つ巴、四つ巴の戦いの中でロシアは条約違反を繰り返していたと。ウクライナの民族とロシアの民族の根深い対立はこの頃から鮮明であったのだと理解した。

同様にマゼッパの活躍も興味深い。また、ウクライナの独立がいかに危ういかも示している。

ウクライナ・コサックの棟梁になって以後、コサック国家の復興を目指して領土拡大に成功し、ウクライナの文化、とりわけ正教会の発展に大きく貢献した。しかし大北方戦争ロシア・ツァーリ国のピョートル1世からスウェーデン・バルト帝国のカール12世に寝返り、ピョートル1世に背いた罪でロシア政府によって職位剥奪され、ロシア正教会によって破門され、コサックの敗北のうちに病死した。独立したコサック国家を成立させる努力がためにボフダン・フメリニツキーに次ぐウクライナ第2の英雄と考えられている。

イヴァン・マゼーパ - Wikipedia

この時期のコサックの活躍がウクライナとしての民族、国家の自覚を促したことに疑いはない。この後も、ウクライナの人々は大陸中央である東西の国家の対立の地としての悲哀を味わうことになる。長くなったので、一旦ここで区切りとしたい。

蟹は脱皮する

「蟹は脱皮する」、こんな単純なことがわかっていなかった。ある方に言っていただき自分の決定的な課題に気づいた。

以前、こう書いた。

組織の創業者は、自分が働き安いように組織をデザインする。「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」とはよくいったものだ。分相応という意味なのだろうが、創業者は基本わがままだ。 創業者の後継者は自分の「甲羅」と、組織の形という「穴」との形の差に悩む。結局、自分で穴は掘り直すしかない。あとは、堀直すだけの力量を持っているか、それだけの時間的な余裕があるかどうかだ。

蟹は甲羅に似せて穴を掘る - HPO機密日誌

このエントリーを書いた時は、組織のリーダーの後継がいかに難しいかという問題意識で書いた。「組織をデザインする」と書いたが、実勢は初代は自由に「組織をデザインできる」のだ。自分が作るまで組織などなかったのだから。生き延びることさえできれば、初代の正統性は強力であり、誰もが納得する。しかし、その後輩リーダー、後継リーダーはそうはいかない。先輩「蟹」、先代「蟹」が掘った巣穴は、自分に合うわけがない。だから、巣穴は自分で掘り返すしかない。組織も同じで人財獲得、研修、考え方の共有、日常の親交を含め、自分で組織を作り直さないと正統性は得られない。

気づくと思ったよりも長く、自分の「巣穴」に棲んでいる自分「蟹」に気づく。自分蟹は自分で脱皮して、また巣穴を掘り直さないといけないのだと、初めて気づいた。