HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「物語 ウクライナの歴史」 後半

前回に引き続き、「物語 ウクライナの歴史」の感想文。マゼッパは18世紀初頭に失意のうちに亡くなったと。そして、ウクライナ東部はロシアに併合され、西部はオーストリアに支配されていたのが18世紀から19世紀に渡る120年の状況。

 18世紀後半にはエカテリーナ二世によって完全にロシアの一部とされ,ウクライナ・コサック社会は消滅した。ロシアは1783年にクリミア汗国を廃しクリミアを併合。同地は1853年からクリミア戦争の主戦場となった。また1772年のポーランド分割によってロシアはドニエプル右岸を取得,ガリツィア地方(今日のウクライナ西部およびポーランド南東部)はオーストリア領土となった。

在ウクライナ日本国大使館:ウクライナ概観(日本語)

ロシアへに併合はロシアの皇帝、エカチェリーナ二世とその愛人で軍人のポチョムキンによってなされた。このポチョムキンの名前をとった戦艦がロシア革命の発端となり、映画にもなったのはなんとも皮肉ではある。ちなみに、戦艦ポチョムキン黒海艦隊であったと。なので戦艦を乗っ取った水兵の大部分はハルキフ生まれのウクライナ人であった。

当時のロシアのウクライナ支配は苛烈なものであったと。農民に移動の自由がなくなり農奴化された。また、ロシア皇帝の意思によって言語も奪われたと。そんな中で、私が知らなかったのは、映画、舞台で有名な「屋根の上のバイオリン弾き」の舞台が19世紀のウクライナであるということ。原作者のショーレム・アレイヘムはウクライナ出資のユダヤ人。「ウクライナの歴史」を読むといかにウクライナ人の文化が高いレベルのものであったか伝わる。映画を見た人は、ロシア人によるユダヤへの暴力的な圧政のシーンは印象に残っているはず。最後には、とうとう長年暮らした村を全員が出ていかなければならなくなる悲劇となる。その悲劇的なシーンに流れるバイオリンは、同じくウクライナ生まれのアイザック・スターンによる。

ウクライナの悲劇は20世紀に入ってもとまらない。前述の戦艦ポチョムキンの反乱もオデッサが舞台。当時もいまも、オデッサ穀物など、ウクライナの輸出の拠点。ここから第一次世界大戦末期に、帝政ロシアを揺るがす革命が始まったというのも歴史の皮肉。そして、二月革命へとつながっていく。

国際女性デーにちなむ最大の事件は、第一次世界大戦中の1917年にロシア帝国で起こった二月革命であろう。国際女性デー(当時ロシアで使われていたユリウス暦では2月23日にあたる)に首都ペトログラードで行われた女性労働者を中心としたデモは、男性労働者、更には兵士を巻き込んだ大規模な蜂起となり、最終的には帝政を崩壊に追い込んだ。

「日本人のための第一次世界大戦」 その1 - HPO機密日誌


帝政ロシアが倒れて、一旦は独立を果たしても、戦後処理の中で悲劇は続いた。


さらには、ソビエト連邦に組み入れられてしまう。

1917年の2月革命後,ウクライナでは中央ラーダ政府が誕生し,ロシアの臨時政府と自治拡大を巡って対立,10月革命を経て中央ラーダは「ウクライナ人民共和国」を宣言した。しかし,ロシア・ソビエト政府はこれを認めず赤軍を派遣,放逐されたラーダ政府はドイツと結び,以後3年間にわたる内戦に突入した。1919年第3回全ウクライナ・ソヴィエト大会でウクライナ社会主義共和国が成立,1922年12月,ソ連邦の構成共和国となった。

在ウクライナ日本国大使館:ウクライナ概観(日本語)

ちなみに、一旦は独立を果たしたラーダとはコサックの昔から「全体会議」(国会)を意味する言葉。現在のウクライナでもラーダが「最高評議会」と訳されている。ウクライナはいまもコサックの伝統を継いでいると。

この後に穀倉地帯であるにも関わらずソ連の政策により飢餓を迎える。ロシアに穀物を巻き上げられ、集団農場政策で土地を奪われ、人為的に飢餓がウクライナで引き起こされたと。これはウクライナの方はロシアに恨み骨髄になるのは当たり前。更に、第二次世界大戦下でドイツとソ連ポーランド分割で、ソ連に完全に組み入れられてしまう。さらに、1941年独ソ不可侵条約を破ったドイツがウクライナソ連を攻撃。四年間の戦争に。多くの破壊、死者が出たと。そりゃあ、ウクライナ人はドイツを良くは思うわけはない歴史がある。

戦争中、ドイツはウクライナ人、特にウクライナユダヤ人を弾圧、虐殺したと。ウクライナ人はウクライナ蜂起軍(UPA)を作りソ連、ドイツと戦った。まるでZガンダムの世界観のような三つ巴。これもまた歴史の皮肉だが、太平洋戦争を事実上終わらせたヤルタ会談のヤルタはクリミア半島にあったと。

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日本との関連で言えば、ヤルタ会談で決まったソ連の対日参戦の対価として米国との間で樺太、千島列島のソ連領有が決められたと。さらにソ連参戦により抑留、連れ去られた大陸の日本人はウクライナでも強制労働をさせられたと。ここでもまた、西側の戦争は東側の日本の侵攻とのバランスがあると。

戦後のソ連支配において、穀倉地帯としての発展とともに工業も発達した。今回も戦場となった欧州最大の製鉄所、アゾフスタリ製鉄所もそう。さらには大きな原発事故となったチェルノブイリウクライナ

そして、とうとうゴルバチョフペレストロイカで情報開示が進む中、ソ連が崩壊。1990年ラーダの選挙が行われた350年ぶりの独立を果たしたと。その後の歴史はまた別途調べてみたい。かなり中途半端な要約、感想文にすぎないが一旦アップしたい。