HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

弱者の立場から考えると行動が理解できる

50代も後半戦であるにも関わらず、今頃人間関係の基本に悩まされている。職場ではそれなりの地位なので、いろいろと部下に対しての意思決定をしなければならない。そうした中で自分の決断が元で割と職場での危機を招いてしまった。しかし、その背景には職場にいた「他人を攻撃せずにはいられない人」の存在があった。いままで、人間関係とはひたすら耐えるものだと鬼のような元パートナーとの歴史の中で身体にしみついてしまっていたので、人の攻撃性があまり気にならなかった。しかし、自分が気にならないかといって他の人間が耐えられるかというとそうではない。そのことに気づかなかった。

ソシオパスという存在も今回初めて理解した。元パートナーは確かにこういう性向をもっていた。20年以上にわたる関係性の中でその害悪を排除するという勇気も知恵もないばかりか、対応を学んですらいなかった自分を恥じるばかり。片田珠美氏によれば基本的にはこういう性向の方々からは逃げる、排除するしかないと。

・衝動的に行動する
・自分の行為が他者に及ぼす悪影響に関心を示さない
・請求書の支払いをしないなど、社会的・金銭的な責任を果たさない
・他者への共感に欠ける
・パートナーを利用・虐待する
・相手や社会を責めて自分を正当化する

もしかしてあの人も?「ソシオパス」とはどんな存在か - STUDY HACKER(スタディーハッカー)|社会人の勉強法&英語学習

では、なぜこういう性向の方ができてしまうのか?結局、そういう性向の方々は自分が弱者であると自分を正当化しているのではないかと思い至った。社会的な性の話しにはつなげたくないのだが、幼年時代から同年代の集団で自分が弱者であると位置づけてしまえば、当然強い同級生や、大人など潜在的・顕在的に自分を攻撃しうる存在への恐怖が自分の行動を決定する。強いものにこびる、自分よりも弱いものを攻撃することで「仲間」意識をもつなどなど。

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いずれにせよ、顕在的、潜在的な恐怖が行動の原理となれば、逆に一定の立場になれば周囲への自分の行為の正当化、周囲への攻撃が行動として表れうる。なかかな難しい。