池田先生と先日社会進化論(Social Darwinism)について議論させていただいた。先日の自民党の「進化論」をめぐる話しからだあった。
いや文化は目的論的な進化(長期記憶で継承される)で、生物の進化とは違うのです。もちろん記憶は遺伝しないが、それを訓練する教育は継承される。これはヘーゲルやマルクスの「理性の狡智」に近い。 https://t.co/sfPaKqQVIY
— 池田信夫 (@ikedanob) 2020年6月30日
リベラルな方々が主張の正当性を求める社会科学は進化論のかなりの軸足を置いているように私には思えた。社会科学系統の方々と話しをすると「進歩と進化は違う。前者には意思があり、後者は集団レベルの自然選択だ」と。マット・リドレーも「スカイフック」という常に更なる高みを想定する「進歩」と進化の違いを詳しく論じていた。
素直に池田先生に勧められた本を読んでみることにした。
万能のスカイフックはないが、人間社会のスカイフックは存在する。この点でリドレーの解釈も古い。D.S.Wilsonの集団淘汰理論がたぶん新しい定説。日本ではこれぐらいしか訳本がないが。 https://t.co/XOSUUsQIEd
— 池田信夫 (@ikedanob) 2020年6月30日
- 作者:デイヴィッド・スローン・ウィルソン
- 発売日: 2020/02/14
- メディア: Kindle版
半分くらい読み進んで「マルチレベル選択」の話しが出てきた。Wikipediaから引用する。
マルチレベル選択
群選択 - Wikipedia
哲学者エリオット・ソーバーと生物学者デイビッド・スローン・ウィルソンは群選択説を再評価し、それを拡張したマルチレベル選択説(多レベル淘汰)を提唱した。彼らはある形質に注目したとき、その形質が影響を及ぼす個体群を形質集団(Trait Groups)と定義した。(中略)形質集団は地域個体群全てを含む場合もあるし、家族などの小集団の場合もある。一つの個体が複数の形質集団に含まれていると考えられる。つまり、形質集団選択によれば、自然選択は遺伝子や個体だけでなく、家族のような集団といった様々なレベルで働いていると解釈できる。彼らによれば血縁選択集団や互恵的利他行動を行う集団は形質集団であり、マルチレベル選択の一種に過ぎない。
マルチレベル選択による利他行動、道徳的行動を以下にように説明している。
私は世界各地で行ってきた講演で、小学生から進学者や哲学教授に至るまで、専門知識のレベルが異なるさまざまな人々を相手にこの(道徳的な人間の特質の連想)ゲームをしてきた。それに対する答えは非常に一貫していた(以下略)
ここで上げられた言葉を表にする。
道徳的に完全な人間 | 正反対の人間 |
---|---|
愛情深い | 貪欲 |
誠実 | 残忍 |
勇敢 | 利己的 |
寛大 | 人を騙そうとする |
自己本位でない | 人を操る |
忠実 | 思いやりに欠ける |
これらのリストはジェイン・ジェイコブズの「統治の倫理、市場の倫理」を私に思い起こさせる。
統治の倫理 | 市場の倫理 |
---|---|
・取引を避けよ | ・暴力をしめだせ |
・勇敢であれ | ・自発的に合意せよ |
・規律遵守 | ・正直たれ |
・伝統堅持 | ・他人や外国人とも気やすく協力せよ |
・位階尊重 | ・競争せよ |
・忠実たれ | ・契約尊重 |
・復讐せよ | ・創意工夫の発揮 |
・目的のためには欺け | ・新奇・発明を取り入れよ |
・余暇を豊かに使え | ・効率を高めよ |
・見栄を張れ | ・快適と便利さの向上 |
・気前よく施せ | ・目的のために異説を唱えよ |
・排他的であれ | ・生産的目的に投資せよ |
・剛毅たれ | ・勤勉なれ |
・運命甘受 | ・節倹たれ |
・名誉を尊べ | ・楽観せよ |
マルチレベル選択説的に言えば、「市場の倫理」とは「形質集団」であり、集団を結束させ全体として力を発揮させるための規範であると位置づけられる。そして、集団内を越えて群と群とで淘汰圧と常に「闘い」続けなければならない「レベル」では、「統治の倫理」となると。まさに、一般的に理解される「(群としての)生存競争」となると。
更に言えば、ジェイコブズが「市場の倫理」と「統治の倫理」の混同、混合が生じるところに「腐敗」が生まれるという指摘は、「進化」、「マルチレベル選択」と同様違うレベル、レイヤーでは行動原理が全く異なることになることを予見している。群間の「生存競争」において血縁集団内の「道徳」を適用すれば忽ち絶滅してしまうだろう。生物学的原理を社会、政治に応用するというのがウィルソンの主張かと思われるがどうなのだろうか?
まだ、半分なので最後まで読んで見直したい。