HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

社会科学と進化論

浅薄な知識ながら進化論を批判の対象にすることに違和感がありいくつかツイートした。「革新」と言われた政治的諸派はなんらかの形で社会主義的活動に軸足を置いていて、そして19世紀以来の多くの社会科学はダーウィンの影響を受けているだろうと。

しかし、「⽇本⼈間⾏動進化学会」からコメントが発表されてしまった。この会⻑の⻑⾕川眞理⼦先生は、マット・リドレーの翻訳者の方だ。

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https://www.hbesj.org/wp/wp-content/uploads/2020/06/HBES-J_announcement_20200627.pdf

「第1感」的に言えば、そもそもダーウィニズムの影響で優生学を広めたのは左派だったのではないかという知見だった。当然、この知見は⻑⾕川眞理⼦先生の翻訳から知った。

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ツイッターで議論させていただいている中で、改めて認識したのは、社会主義マルクスのテーゼは社会の成長がゼロか、ゼロに近いところに留まることが前提となっていることだ。

エンゲルスの基本的な認識は、現在のパンデミックではないが人口は幾何級数的に増加するが食料生産は線形にして増加しないという見解だった。この人間社会の生産手段、インフラストラクチャに内在する矛盾により王制から始まって、絶対王権制から資本主義が生まれ、「淘汰」され、共産主義社会に「進化(進歩)」するというのがマルクスの展望のひとつであったと。しかし、資本主義の中で多くのイノベーションが生まれ、マネジメント手法が高度に進化し、毎年数パーセント程度の成長を続けてきた。毎年数パーセントということは、幾何級数的成長を19世紀以降人類は達成してしまったということだ。

ただ、いずれにせよ進化論のアナロジーは人間社会に大きなインパクトを持って受け止められてきたのは事実。⻑⾕川眞理⼦先生のご意見に反対することなど私にはできないが、今後の社会的な展開において「突然変異(種の変容)」「淘汰」という概念は前向きに受け止めるべきだとは考える。

この方のおっしゃる通り。