HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

ものの見え方ともののつながり方

新年なのでお参りに行ってお護摩にあがった。一心に御真言を唱え続けて、ふとものの見え方と相互作用の議論を思い出した。大学の卒論では視覚の仕組みについて心理学の立場からアプローチした。

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ちょうど卒論のころは人工知能研究が第二次だかのブームで、日本の第5世代コンピューターの研究が世界の耳目を集めていた。しかし、当時は人工知能機械学習に使える計算リソースがあまりに足りず、物事と物事の「相互作用」の話しになった途端に演繹的な科学の言葉や、考えで「説明」することができなかった。あるいは、コネクショニズム、神経ネットワークシミュレーションのようなもので「認識」を再現できなかった。認識とはなんなのか?カント哲学のアプリオリなもの、認識を産む根源とはなにかを散々考えた。

一方、当時文化人類学の関先生の講義に大変刺激を受けた。たしか「知の三点測量」という言葉を講義の中で使われたと記憶する。つまり、文化事態が相対的なものであり、例えば日本人である研究者が英語や、フランス語で文献を読みながら、実際にはパプアニューギニアなどの部族民のフィールドワークをする。日本人という「測点」の大根源はあっても、英米文化人類学というこれもまたひとつの「文化」という「学問体系」(測量方法)に則って、まったく別の「部族民」という人類、人を観察(観測)する。この「落差」、「距離」こそが文化人類学の意義なのではないだろうかと。あくまで記憶に基づく話しなのだが、ああそうか、心理学実験においても自分自身がいくつかの「測点」から「もの」と向き合うことで立体視が産まれたり、「これはコップだ」という認識が生まれるのだと。数限りない刺激の多様性の言わば「三点測量」、相互変換の原則を見出すことがものを理解することなのではないだろうかと発想した。

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この私のぼんやりとした「思考」は、ブログを書きはじめて、数多くのネットワークに関する理論を学ぶ中で、「レイヤー」という言葉に修練していった。

「ネットワーク」とい「レイヤー」という条件があるように感じる。街の場合に「レイヤー」の概念を、模擬的にあてはめれば、人口の集積が土地の収益性に影響し、土地の収益性が土地の利便性、魅力につながる。土地の魅力は、人口に影響する。そして、人口が...といった具合に永遠に影響の輪がきれない状態になる。ほんとうはそのまま連続している過程なのだが、人口、収益性、魅力といったレベルで便宜的にきればレイヤーが見えてくる。

http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/06/shuto_white_pap.html

ネットワークにおける「物理層」というのがある。これは、実際の電線であったあり、半導体などで構成される端末そのものを指すと理解している。この上に単純なメッセージのやりとりのプロトコルのレイヤーが存在し、メッセージのやりとりにまだ至る。そして、その先はまさにいま現在はてなブログのシステムを使って、どこを経由して、どこに存在しているかわからない無数の「端末」にを通して、この文章を書いている。「仮想的」なレイヤーといってしまえばそれまでだが、言葉で構成される「ブログ」というレイヤーはまだいまのところプリミティブなサーチエンジンによって検索可能だという以上には「機械」側、下位レイヤーには「翻訳」できていない。翻訳とはまさに相互作用、相互変換の原則だと言いたいのだが、ここで大事なのは自分が思考し、書くという行為においては自分自身の肉体という物理レイヤーとネットワークしか物理的には存在しない。人間側が「存在する」と信じていられるのは、レイヤー毎のごく単純なルールが守られていることにすぎない。

護摩真言を唱えながら、まさにこの物理的な存在と人間側のいわば「妄想」力によって「ものの見え方」が存在していると言えるのだと気づいた。そして、「ものの見え方」とはこの意味で概念から電線にいたるさまざまなレイヤーを横断的に相互変換可能なやりとり、つまりは、「もののつながり方」なのだと何度目かわからないが再発見した。お護摩の冒頭にお坊さんが「ご本尊との『ご縁』を結ぶのがお護摩です」と説明されていたが、まさにお護摩の炎から現在のネット、ブログ、その他すべてのネットワーク的実在にいたるまで、「ご縁」なのだ。因縁、因果とはまさにそのとおりなのだ。

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このネットワークの高度化が更にすばらしいのがこれまでプリミティブであったネットワークが人間を巻き込みながら、高度な機械学習を展開していることだ。最後原理原則としての人工知能の研究が行われるべきであるが、一般の人がずっと認識しやすい形での「ものの見え方ともののつながり方」の在り方を「理解」したネットワークが標準化されるであろう。

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