HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「私にとっては人権とは天国と似たおとぎ話です。」

これほど端的な言葉はない。

私にとっては人権とは天国と似たおとぎ話です。天国を他者に信じさせることは信じたくない人を思えば抑制的であるべき。それがわからず語ることは欺瞞。たた、ジェノサイドだけは国家間の合意として、市民権の延長で禁止できそうだな、と。

http://twitter.com/#!/finalvent/status/41988960553156609

せめて国民が互いに「人権」なるものを支えるに足るだけの活動をし合うのならまだしも、お互いに「おとぎ話し」を要求し合って成立するものではない。求めれば足らず、与え合えばあまりある。倫理国家日本と私のようなものは言いたくなるのだが、それは国家社会主義への道なのでじっとたえる。

日本国憲法においてすら、人権が保証されるには最低現必要な人格的な要件を仮定していると私には思える。

では、国際社会の中で標準の規格として要求しあえばよいではないかという声が聞こえる。人権は国際的に保護されてしかるべきだと。

先日、リビアの対外資産が凍結されたというニュースを聞いた。これは、統治の正当性に疑義が生じただけで国際社会の中で制裁を加えられたという事件だ。独裁者の人権、財産権は守られてなくていいのか?お陰でガソリンの値段が途方もなくあがってしまった。

 欧米が史上最大規模ともいわれる資産凍結を始めた。対象はカダフィ大佐、政府系ファンドであるリビア投資庁リビア・アラブ・フォーリン・インベストメント・カンパニー(LAFICO)などの資産だ。

:日本経済新聞

力の裏書きがなければどれだけリアルな資産でも、額面の資産価値を保ち得ない。専守防衛の力すら否定されるこの日本では、どれだけ世界最大の債権国だと誇ってみても、その資産が力で裏書きされてますかと聞きたくなる。

例証をあげれば、カダフィへの対応とは逆に、いや同様に、アフリカで起こった大虐殺に関しては、国際社会の構成員である主要国は、人権保護とはほど遠い対応であった。数年前、ある国連関係者は近年民族対立から大虐殺が生じたアフリカのある国に関して「ああ、あそこはね、国際政治的に非常に難しいからどこも介入できないんだよね」と私に言った。人権が問題で、国際社会が介入するのではない。そこに介入することが、自国の防衛や国益にかなうかどうか、他国との関係の中でイニシアチブをとれるかどうかで決まっている。

国家間、民族間の人権の問題は、目の前で死にかけている交通事故の被害者のために119番をまわしても来ない救急車よりも恐い。