HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

はてな界隈変質

なんか最近はてな界隈変わったなって、つくづく想う。例えば、この辺。

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いずれも「若いな」としか想えない自分がいる。そもそも、なんでこんなことを増田で書くのか?なんのために書くのか?理解できない。昔のはてな界隈はモヒカン族が横行し、寄らば切るぞという殺気があちこちにただよっていた。あるいは、EPRパラドックスと国内の比較優位性の問題などとてつもない知的な議論が同時並行で展開していた。そんな熱気はもはやはてな界隈には期待できない。

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このブログについて - HPO機密日誌

自分ははてな界隈に無用に長くいすぎただけなのかもしれない。賢い方々は等の昔に離脱している。

いや、もしかすると変わったのは自分自身なのかもしれない。年はいつのまにか取ってしまうものだ。年寄りは捕食動物だと指摘し続けてきたが、まもなく自分自身が捕食動物化するのだろうと想う。いまのこの感慨はその予感のようなものなのだ。いやはや、ゾンビに変態する前のようなおぞましさを感じる。

hpo.hatenablog.com

クジャクの尾羽と「貨幣の複雑性」

「赤の女王」を読んでいて、クジャクの尾羽は貨幣だと改めて気づいた。

性別が生まれて以来、セクシュアリティバクテリアから人間に至るまで「貨幣」の役割を果たしてきた。そりゃ、そうだ。現在の経済行為も、自分の生存と自分の遺伝子の繁栄をかけたセクシュアリティのアピール以上に真剣にはなれない。文字通り命がけなのだ。

以前、上野千鶴子氏の「セクシィ・ギャルの大研究」を読んだときから、セクシュアリティマーケティング、貨幣は深い関係にあることを感じた。

「セクシィ・ギャルの大研究」という本は、上野千鶴子流のヒトのセクシュアリティーを広告の中で記号としてとらえるという優れた研究だと思う。このセクシュアリティーという記号は、ヒトにおいてかなり根源的なものであり、記号というひとつの単位を形成しているのだと私は理解した。

「もったいないからおもいやりへ」 複雑系の倫理学試論 第三稿 - HPO機密日誌

この記号化の最たるものが貨幣であることは、経済人類学の栗本慎一郎氏を待つまでもなく、明白である。

本書の前半の対談は、マルクスの労働と貨幣の理論から、文化人類学で扱われるような貨幣の原初形態、あるいはヨーロッパにおけるハイパーインフレの話など、貨幣の生成と消滅がテーマであった

[書評]相対幻論 context on the network world: HPO:個人的な意見 ココログ版

そして、セクシュアリティと、貨幣の本質は以下のように定式化できる。この一点においてのみ、安冨歩先生が描かれた貨幣の生成と崩壊が生じる。多くの人間の事象も同じだ。

人は人がが欲しがるものを欲しがる。

「もったいないからおもいやりへ」 複雑系の倫理学試論 第三稿 - HPO機密日誌

これを生物種のセクシュアリティに拡張すればいいだけだ。

ある(性別を持つ)生物種は同じ性別の同じ生物種が欲しがる異性をを欲しがる。

マット・リドレーは様々な生物種のセクシュアリティと線虫や、バクテリア、病原菌などと生存をかけて「赤の女王」効果により、「貨幣の複雑性」で示された貨幣の崩壊の過程のように、異性への好みも生成し、崩壊することを本書の中で示している。

ごくごくシンプルな原則によりクジャクの尾羽のような複雑で美しいパターンが生じる。人間の貨幣、多くの経済行為も同じ。そしてまた、上野千鶴子氏の指摘通り、セクシュアリティを通してつながっているところに人間への尽きない興味深さを感じる。

110、107、97

この三日間の戦績。あまりぼろぼろだった。貪瞋痴と書いたばかりだが、あまりにひどかったので一人反省会。

まず、1日目。早朝からスループレイ。シングルプレイの方々とだったので、もうなんの疑問もなくバックティーから。「ここは短くて6700ヤードしかないから」という言葉を信じてティーショットから開始。ところが右に出るショットが止まらない。確かに、ティーショットがまともに打てていたら、あと150から160ヤードを確実に打てるクラブがあれば、確かにこんな点数にはならなかった。距離のプレッシャーに負けたと言える。反省あるのみ。

booking.gora.golf.rakuten.co.jp

2日目。ホームコースとも言うべきコース。実はラウンドレッスンで90を出した。自身をもって臨んだプレイだった。気の置けない友人とそのまたお友達とのラウンドだったので、気楽にまわった・・・、はずだった。前半いつも50台を叩いているインで49。アウトをがんばればいけるかなと、期待は午後に高まった。しかし、昨日からの右に出るティーショットを連発して、最初のミドル、ミドル、ロングで8、8、8と24も叩いてしまった。その後、右の脇がしまっていなかったことを自覚して、ティーショットはその後改善したものの、あがってみれば58。合計で煩悩の一歩手前の107。この夏のベスト更新を期待していたラウンドだけに失望が大きかった。

3日目。キャスコ花葉空港コース。レギュラーティーは約6000ヤードと決して長くない。ちょっと一打目が狭めの部分があるので、それさえ乗り切ればそんなには難しくない。知り合いのゴルフ大好き同級生3人組の大先輩とまわらせていただいた。お一人は超お上手でなんとツーアンダー、70。ほかのお二人も90前後で、特にお一人は目の前で300ヤード弱のスーパーショットを拝見させていただいた。自分としてもそんなに悪い周り方ではなかったと想うのだが、アプローチがあまりよらなかった。30ヤード、50ヤードのショットで半分もいかない、もしくは15ヤード以上ピンの先へとオーバーなど。それと、木の根に近くからのミスショット、途中から出始めたティーショットの「チーピン」などで打数を重ねてしまった。ボギーペース、90前後でまわりたかった。

www.kasco-hanaha.jp

いやはや、ゴルフは本当に思いのままにならない。それでも、90台でなんとか安定してまわれるようになりつつあるとは感じる。よくよく反省して次につなげたい。

防災、減災は既存不適格住宅対策から

詳細を調べたわけではないが、最近の大きな火災を観ていると建物の既存不適格問題と高齢化の問題がからんで生じている気がしてならない。

2010年(平成22年)3月13日 - 北海道札幌市北区グループホーム火災。死者7名。
2012年(平成24年
5月13日 - 福山ホテル火災、広島県福山市。死者7名。
2013年(平成25年)
2月8日 - 長崎市グループホーム火災、長崎市。死者4名。リコール対象のTDK製加湿器が火元。
10月11日 - 福岡市整形外科医院火災、福岡市。死者10名。
2015年(平成27年
5月17日 - 川崎市簡易宿泊所火災。死者11名。
2016年(平成28年
12月22日 - 糸魚川大火、新潟県糸魚川市。約150棟、約40000m2が延焼[3]。
2017年(平成29年)
2月16日 - アスクル基幹物流センター火災、埼玉県入間郡三芳町。約45000m2が焼損。鎮火に12日間を要した[4]。
8月3日 - 東京都中央区築地の築地場外市場火災、計7棟935m2が全焼。

火災の年表 - Wikipedia

ごく最近に起こった糸魚川火災と、築地場外の火災は、いずれも既存不適格店舗、住宅が密集している地域で起こったために大きな災害となった。

焼損した一帯は、市街地中心部の糸魚川駅から北側に位置している。そこは、主に昭和初期に建造された雁木造の商店街や木造住宅の密集地域であったことに加えて、『焼山おろし』[6]・『姫川おろし』[13]・『だし風』[13]・『じもん風』[13]等と呼ばれる強い南風により北の日本海方向に延焼した[14]。

糸魚川市大規模火災 - Wikipedia

この方の意見は少々過激だか。

3階建ての建物から延焼中 悲願の早急な移転は密集した既存不適格建築物の安全性の担保が出来なかったから、さあさあどうする?関係者達?何が正義なのかな?誰が正しいのかな?

築地場外の火災、ほぼ消し止められる 出火から約8時間 - 頑固オヤジの不器用ブログ

ちなみに、既存不適格とは?

既存不適格(きそんふてきかく)とは、建築時には適法に建てられた建築物であって、その後、法令の改正や都市計画変更等によって不適格な部分が生じた建築物のことをいう。そのまま使用していてもただちに違法というわけではないが、増築や建替え等を行う際には、法令に適合するよう建築しなければならない(原則)。

某所でシンポジウムに参加中 - HPO機密日誌

近年ではだいぶ既存不適格住宅の増改築に対する規制緩和も進んでいる。それでも、防災の既存不適格はこれらの大火災が明確に示すように大きな問題。大地震が恐ろしいのは建物の耐震性ばかりではなく、大地震により引き起こされた火災だということは忘れられてはならない。

せっかく、少子高齢社会となり住宅ストックがあまり始めているのだから、大きな枠組みでみれば国民の資産を守ることになるので、思い切った政策を期待したい。空き家法だけではまだ足りないだろう。

hpo.hatenablog.com

大きな災害が起こりかねない既存不適格住宅、商店の密集地を具体的にリストアップして、その密集地での防災のための改修、建て替えの促進、もしくは移転解体までを法的に決めるべきだ。

ゴルフと貪瞋痴

ゴルフをやっていてつくづくゴルフとは、自分の内なる三毒、貪瞋痴との戦いだなと痛感する。

貪瞋痴

三毒 - Wikipedia

練習場ではあんなに遠くまで飛ばせるのに、練習場ではあんなにまっすぐとんでいたのにと、何度悔やんだことか。前は100を切れれば十分だと想っていた。それ以上は求めないと。しかし、なんとか100が切れるようになると90を切りたいと切実に想い、なかなか実らない努力を重ねる。あるいは、もっと遠くへ飛ばしたいという欲が無用な力みを産む。いまの私だと例えば、6番アイアンを普通に振れば、普通に飛ぶ。しかし、「もっと飛ばせるはずだ」とむさぼりのこころが生まれたとたんに、ボールは右へ消えていく。これは、貪瞋痴の貪、むさぼる心。

ほぼ毎回、新しい方とまわるたびに、たいしたことのないその人のくせに小さく腹が立つ。ちょっとアドレスが長いとか、自分のラインを毎回踏んでいくとか、その人はほめているつもりのひとことが自分の気にしている部分につきささるなどだ。その場でいかりをあらわにするほどのことではないにせよ、怒りが自分の中にあるとショット乱れる。最初のホールで、普通パーであがれる340ヤードくらいのところで、軽くトリプルを打ったりする。怒りとはいかに自分の行動を狂わせるのかを実感する。これは、貪瞋痴の瞋、いかりの心、人を憎む心。

ゴルフは徹底的に物理学にかなっている。原理原則が明らかに存在する。しかし、ちょっとした自分の思い込みでショットをする。プロが原理原則にかなったレッスンをしてくれても、なかなかそれを受け入れなかったりする。私はこの方法でいままっすぐ飛んでいるんだから、なにもフェードにしなくてもいいじゃないかとか、このパットのやり方で十分入っているんだからインパクトで減速していると言われてもかっとんでっちゃうよなど、素直になれない。これは、貪瞋痴の痴、おろかな心、無知であることに無知な心。

ゴルフのプレイとは、「遊び」とは言え、いかに貪瞋痴から離れることかと。むさぼらず、いからず、おろかさから離れる、無心の心で毎回のショットに臨む。ここにつきるなと。

「他人の思想の運動場」

あるところで、ある話をする立場となり、以下のように発言した。

確か高校生の頃の国語の教科書に、井上靖が「我々の頭は、他人の思想の運動場」と書いていた。これは、勉強することにより自分の頭の中で、他の人の思想が生き生きと動き始める感覚を言っています。私達も学んだ思想や、知識が自分の頭の運動場で走り回るくらい一生懸命勉強しましょう。

と。

あれ待てよと、あとで思い出した。国語の教科書の井上靖は、「我が内なる道徳律と天上の星」でなかったか?

ギリシアの哲学者が考えた円錐の切断面と、ものをなげたときの放物線の一致。クロソイド曲線と高速道路のカーブ。自然対数と霧で垂れ下がったクモの糸。ああ、アインシュタイン特殊相対性理論。真に不思議でならないのは、「直観」としてのただしさしかないのに、営々と積み上げられてきた数学の体系がなんと現実の物理現象をよく説明できることか!「我が内なる道徳律と天上の星」と大声で叫びだしたくなるほど不思議でならない。

なぜ数学は物理法則と一致するのか? - HPO機密日誌

哲学の言葉と言うと、柔道に明け暮れた高校生活を終わって、大学へ進む頃、“天上の星の輝きと、わが心の内なる道徳律”というカントの言葉を友達から教わった。---ああ、いかに感嘆しても感嘆しきれぬものは、天上の星の輝きと、わが心の内なる道徳律、こうカントは言っている。(略)夜毎、空には神秘な星の光が輝き、地上には正しく生きることを考え、悩みながら人間が生きている! 甚だ自分流の文学的解釈であり、受取り方であったが、私にはこれで充分であったのである。私は若い日自分の感傷を揺すぶったたくさんの言葉の中で、やはりこの言葉が一番大きく、重いものではなかったかと思う。出会わないより出会ってよかったと思う---井上靖「わが一期一会」より人生について「天上の星の輝き」。

音と珈琲とワイン

調べてみた。

読書は他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。習字の練習をする生徒が、先生の鉛筆書きの線をペンでたどるようなものである。だから読書の際には、ものを考える苦労はほとんどない。読書にいそしむかぎり、実は我々の頭は、他人の思想の運動場にすぎない。

アルトゥル・ショーペンハウアーの名言 第2集 | 地球の名言

全く逆じゃんと。あーあ。

トランスフォーマー:ダークサイド・ムーン、あるいは米国文化プロパガンダとしての映画

改めて真面目に見ると、こんなエンターテイメントSF映画ですら、カップル文化至上主義が貫かれている。主役のカップルを始め、その親夫婦のやりとり、男女の愛を貫くことが人生で生き残るすべだと訴えている。

そりゃ、息苦しくもなる。なるほどと。

togetter.com

アメリカは個人主義だけど、一方で強固なカップル文化/パートナー文化が存在する。 高校のプロムパーティー(卒業パーティー)にカップルで参加してダンスするというのがすでにそれを表しているが、同僚の家でのホームパーティーや会社のクリスマスパーティーなどでも、基本はパートナーを連れて参加することになっている。仕事終わりや休日に出かけるときも、もちろん(恋愛関係にない)同性の友人と遊ぶこともあるが、だいたいはカップルで出かけるのが基本で、社会の最小構成単位は1人ではなく2人組なのである。

独り身女へのプレッシャーinアメリカ - アラサー女の東海岸一人暮らし

なおかつ、移民であっても忠誠心は米国に捧げよとも読み取れる。ネタバレは避けるが、オートボットと呼ばれる金属生命体、トランスフォーマー達の人間に味方するオプティマス・プライム*1の涙ぐましいばかりの米国への忠誠が不自然に見えてならなかった。ネタバレになるのでやめるが、オートボット達の成り立ちにとっても一番大切なものを犠牲にしてまで、なぜ米国を守らなければならないのか?移民の経験のない私には理解できなかった。移民の国であるがゆえに、どれだけ不自然であっても現在の祖国に対する忠誠心は、不可欠なのだろうと想像するしかない。どれだけ強制されたものであってもだ。

そのほかにも、オスプレイが出てきたり、ヴェテラン(退役兵)を含め、なんでこんなに軍人ばかりがヒーロー視されるのだろうとか、米国文化に圧倒的に裏打ちされた映画シリーズが、トランスフォーマーなのだと今更ながらに気づいた。

*1:なんで地球圏外生命体の名前がラテン語なのか不思議でならない。
http://tfwiki.net/wiki/Optimus_Prime_(G1) :"Optimus" is Latin for "best", therefore his name can be literally translated as "Best First".<<