今回は、人間に生来の「数覚」からいかに「数学」に至ることができたかという話し。当たり前と言えば当たり前なのだが、タイトルだけ書いて寝てしまうほどメカニズムは複雑。
- 作者: スタニスラスドゥアンヌ,Stanislas Dehaene,長谷川眞理子,小林哲生
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/07/01
- メディア: 単行本
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まず、すべての人が言葉を話すように、人の中には「数覚」と呼ぶべきアプリオリななにかが存在すると考えることが自然だ。この人の「数覚」はその人の物理世界と一致するだろう。なぜなら、物理的な「世界」の中に人が存在するのだから。とすれば、この時人が物理世界において認識する対象が、点であろうと、羊であろうと、1つは1つ、2つは2つと抽象化できるモジュール(数覚)がかなり原始的な段階から脳内にあると考える方が自然だ。しかし、視覚ばかりでなく、聴覚であろうと、触覚であろうと、人の生きる世界環境内の認識の対象物を抽象化して「数」として同定できること自体が不思議だ。本書は、これをプラトン的なものとしてとらえることを退ける。*1
数学の体系は、子供が指をおって数を数えるくらい単純な操作からスタートしている。しかし、著者によれば整数を論理的に定義することすら数学の体系の中ではごく最近にやっと成功した論理的な高度な課題だ。つまりは、「数」とは数学的直感が数千年に渡って積み上げられて初めて「論理的」に定義することが可能になった抽象度の高い概念だ。脳が純粋な論理機械にすぎなければ、この段階にくるまで数を数えることすらできないという矛盾に陥る。人も動物と同じように、論理機械ではなく、世界環境内で生存できる機能を生得的に持っていると考える方が自然だ。
ペアノの公理(ペアノのこうり、Peano axioms) とは、自然数全体を公理化したものである。1891年に、ジュゼッペ・ペアノによって定義された為、現在の名にいたる。
http://bit.ly/aDIZcL
本当のところ、問題は少し込みっている。なぜなら、ペアノの公理の中で、数学者が「一階のペアノ算術」と呼んでいる、あるバージョンだけが、この非標準モデル(生得の直感的な数とは認めがたい整数の体系)が無限にでてくる事態になやまされるのだ。それでも、このバージョンこそが、数論の中で私たちがこれまでにもつことのできた最良の公理系であると考えら得ている。
プラトン的に人をイデアの論理機械の写像に過ぎないと考えたときに起こる矛盾は数限りない。人が生きているという現実にプラトン主義は追いつけない。1、2、3という数すらプラトニアンに定義することはできないのだろ。「ブラックスワン」のタレブが聞いたら喜びそうな話しではないか?
- 作者: ナシーム・ニコラス・タレブ,望月衛
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2009/06/19
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要約することすら私の能力をはるかに超えるのだが、著者はこうして最新の認知心理学的な発達の観測、比較動物学、神経生理学的な動的認知プロセスの観察などから導かれる事実と、デカルト、パスカル、カントに津ならなう直観主義が一致すると主張する。
カントにとって数とは、心が初めから持っている統合的カテゴリーであった。もっと一般的に言うと、カントは、「数学が究極的に真実であるかどうかは、その概念が、人間の心が構築したものだる可能性の中にある」と述べている。
ギリシアの哲学者が考えた円錐の切断面と、ものをなげたときの放物線の一致。クロソイド曲線と高速道路のカーブ。自然対数と霧で垂れ下がったクモの糸。ああ、アインシュタインの特殊相対性理論。真に不思議でならないのは、「直観」としてのただしさしかないのに、営々と積み上げられてきた数学の体系がなんと現実の物理現象をよく説明できることか!「我が内なる道徳律と天上の星」と大声で叫びだしたくなるほど不思議でならない。
人の直観のただしさ、そして、この直観を数学的な知見として共有し、議論し、修正され、体系としてまとめられていく。ここにこそ、人の「繁栄」の礎があるに違いない。
- 作者: マット・リドレー,Matt Ridley,柴田 裕之,大田 直子,鍛原 多惠子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/10/22
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いや、すこし先走りすぎた。
数学の進化を考えると、今でも数学のもっとも大きな謎と目されているに対して、洞察を与えられるかもしれない。それは、驚くほどの正確さで、数学が物理的世界を表象する能力である。「経験とは独立な人間の思考の産物である数学が、なぜ、物理的実体の対象にこれほどすばらしく合致するのだろう?」と、1921年にアインシュタインは問うた。物理学者のユージン・ウィグナーは、「自然科学における、数学の非合理的な有効性」について語っている。
検索したのだが、出て来ないので私の手書きで恐縮だが、アインシュタインは自己の洞察を自筆で説明したことがあると聞いた。自己の直観によって深く抽象的な思考を積み重ねていって出てきた知見と現実が一致するのだと語っていたと記憶する。
人の存在、人の思考、人の神経生理学的ネットワークとは、なんと不思議であろうか。興味がつきない。
■追記
id:debedebeさんから正しいアインシュタインの図を教えていただいた。ここで、下の直線が現実。そこから抽象的な思考をどこまでも深めていくが、現実と一致する結果が導かれることを示している。
http://www.secondroad.com.au/Dynamicpages.asp?cid=80&navid=6
■追記 その2
いや、これは拝読したいな。
*1:Platonicというと、やっぱり、タレブを読むしかないんだろうな。 Amazon CAPTCHA