HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「他人の思想の運動場」

あるところで、ある話をする立場となり、以下のように発言した。

確か高校生の頃の国語の教科書に、井上靖が「我々の頭は、他人の思想の運動場」と書いていた。これは、勉強することにより自分の頭の中で、他の人の思想が生き生きと動き始める感覚を言っています。私達も学んだ思想や、知識が自分の頭の運動場で走り回るくらい一生懸命勉強しましょう。

と。

あれ待てよと、あとで思い出した。国語の教科書の井上靖は、「我が内なる道徳律と天上の星」でなかったか?

ギリシアの哲学者が考えた円錐の切断面と、ものをなげたときの放物線の一致。クロソイド曲線と高速道路のカーブ。自然対数と霧で垂れ下がったクモの糸。ああ、アインシュタイン特殊相対性理論。真に不思議でならないのは、「直観」としてのただしさしかないのに、営々と積み上げられてきた数学の体系がなんと現実の物理現象をよく説明できることか!「我が内なる道徳律と天上の星」と大声で叫びだしたくなるほど不思議でならない。

なぜ数学は物理法則と一致するのか? - HPO機密日誌

哲学の言葉と言うと、柔道に明け暮れた高校生活を終わって、大学へ進む頃、“天上の星の輝きと、わが心の内なる道徳律”というカントの言葉を友達から教わった。---ああ、いかに感嘆しても感嘆しきれぬものは、天上の星の輝きと、わが心の内なる道徳律、こうカントは言っている。(略)夜毎、空には神秘な星の光が輝き、地上には正しく生きることを考え、悩みながら人間が生きている! 甚だ自分流の文学的解釈であり、受取り方であったが、私にはこれで充分であったのである。私は若い日自分の感傷を揺すぶったたくさんの言葉の中で、やはりこの言葉が一番大きく、重いものではなかったかと思う。出会わないより出会ってよかったと思う---井上靖「わが一期一会」より人生について「天上の星の輝き」。

音と珈琲とワイン

調べてみた。

読書は他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。習字の練習をする生徒が、先生の鉛筆書きの線をペンでたどるようなものである。だから読書の際には、ものを考える苦労はほとんどない。読書にいそしむかぎり、実は我々の頭は、他人の思想の運動場にすぎない。

アルトゥル・ショーペンハウアーの名言 第2集 | 地球の名言

全く逆じゃんと。あーあ。