HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

ゴルフと貪瞋痴

ゴルフをやっていてつくづくゴルフとは、自分の内なる三毒、貪瞋痴との戦いだなと痛感する。

貪瞋痴

三毒 - Wikipedia

練習場ではあんなに遠くまで飛ばせるのに、練習場ではあんなにまっすぐとんでいたのにと、何度悔やんだことか。前は100を切れれば十分だと想っていた。それ以上は求めないと。しかし、なんとか100が切れるようになると90を切りたいと切実に想い、なかなか実らない努力を重ねる。あるいは、もっと遠くへ飛ばしたいという欲が無用な力みを産む。いまの私だと例えば、6番アイアンを普通に振れば、普通に飛ぶ。しかし、「もっと飛ばせるはずだ」とむさぼりのこころが生まれたとたんに、ボールは右へ消えていく。これは、貪瞋痴の貪、むさぼる心。

ほぼ毎回、新しい方とまわるたびに、たいしたことのないその人のくせに小さく腹が立つ。ちょっとアドレスが長いとか、自分のラインを毎回踏んでいくとか、その人はほめているつもりのひとことが自分の気にしている部分につきささるなどだ。その場でいかりをあらわにするほどのことではないにせよ、怒りが自分の中にあるとショット乱れる。最初のホールで、普通パーであがれる340ヤードくらいのところで、軽くトリプルを打ったりする。怒りとはいかに自分の行動を狂わせるのかを実感する。これは、貪瞋痴の瞋、いかりの心、人を憎む心。

ゴルフは徹底的に物理学にかなっている。原理原則が明らかに存在する。しかし、ちょっとした自分の思い込みでショットをする。プロが原理原則にかなったレッスンをしてくれても、なかなかそれを受け入れなかったりする。私はこの方法でいままっすぐ飛んでいるんだから、なにもフェードにしなくてもいいじゃないかとか、このパットのやり方で十分入っているんだからインパクトで減速していると言われてもかっとんでっちゃうよなど、素直になれない。これは、貪瞋痴の痴、おろかな心、無知であることに無知な心。

ゴルフのプレイとは、「遊び」とは言え、いかに貪瞋痴から離れることかと。むさぼらず、いからず、おろかさから離れる、無心の心で毎回のショットに臨む。ここにつきるなと。