HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

教育と経済成長の関係

学歴の問題がツイットで流れてきた。

「反脆弱性」にはまっている私もついツイットした。

とはいえ、タレブの主張が正しいかきちんと検証していなかったと反省。タレブの主張は、1950年代から最近までのチリと韓国の教育水準と経済成長だった。1950年代のチリは、教育水準も高く大変成長が見込まれていた。チリだけに地理的条件にも恵まれている・・・、は洒落ではない。一方、韓国は教育水準も低く、天然資源にも恵まれず、政治的にも軍事独裁で期待は低かった。しかし、それから数十年経って、爆発的に経済成長を成し遂げたのは、韓国でありチリではなかった。従って、国レベルでは教育への投資が経済成長につながるとは限らないという主張であった。

統計的な数値に基づく論文を探してみた。ほぼそのものずばりの論文があった。

教育と経済発展―ラテンアメリカと東アジアの比較分析広田政一 (国際協力銀行)

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結論から言えば、アジアでは教育投資と経済成長がそこそこ相関関係があるのに対し、ラテンアメリカでは相関がほとんど見られないということ。タレブの主張は間違いではない。経済成長は教育以外の要素で決まっている可能性が高い。言わば、経済成長の前提条件、必要条件を満たしていれば、補助的条件、十分条件として教育投資が有効になる場合もあるということになる。

ググレカス」は死語かもしれないが、やはりなんでも検証してみることは大切だなと実感。

Appleは仮想世界で夢を見るか?

iPhoneが売れなくなる」という記事を共感を感じながら読んだ。

jp.techcrunch.com

「iPhonでできることは、アンドロイド端末でできる」だけでなく、iMacMacBookの強い「売り」であったはずのiCloudが完全にGoogleクラウドプロダクト群に負けている。自分が勤める中小企業でさえG Suiteにカジを切っている。マイクロソフトのオフィス製品群はまだ当分互換性の上で使わざるを得ないが、G Suiteのビジネスアカウントの月600円は、オフィスのバージョン、動作環境整備、社内サーバー維持費と比べると圧倒的に安くあがる勘定になる。

jp.techcrunch.com

さきの記事の最後にあった。

アップルは現在、VR系については視聴環境も開発環境も甚だしく出遅れているし、スマートスピーカー市場ではすでに太刀打ちできない。そんな中、なぜだかARについてはかなりの力を入れて取り組んでいる。この先にはさんざんウワサされているアップル純正のARグラス(メガネ)、「Apple Glass」が控えているのではないか。

ARに力を入れているとあるが、いくつか試したアプリはまだ実用にはほどとおい。

hpo.hatenablog.com

たまに面白いと思うアプリがあっても、Googleや、Facebookが買収している会社だったり。

hpo.hatenablog.com

なんとか頑張ってほしいと応援したいが、どのようにARという仮想現実の世界でApple社は夢を見ようとしているのか?興味深いところだ。

あ、とはいえ、iPad Proとペンシルはちょっと欲しいなと思っている自分がいる。

Apple iPad Pro Appleペンシル/MK0C2J/A

Apple iPad Pro Appleペンシル/MK0C2J/A

エージェンシー問題

タレブが「エージェンシー問題」、CEOや、官僚達と株主、納税者達との情報と責任の非対称性について繰り返し書いている。

keieimanga.net

私の周りには比較的中小企業の方が多く、ちょっとピンとこない。お役所の方々ですら、市外の職員が増えているとは言え、居酒屋でばったり会ったり、会合で意見を交わしたりと割と身近。

しかし、世界を見渡せば、プロ経営者と呼ばれる方々が本当に会社の成長、改革に資する行動をしているか、それとも、自分の株オプションのことばかり気にしているのか、はなはだ心もとない。

タレブが繰り返し、自分の故郷、レバノン、あるいは親族へのレスペクトを顕にしているように、本来人間は自分の目の届く範囲、自分と身近かな人たちとの間で暮らし、仕事をすべきなのだと私は思っている。小国寡民が理想であっても、現在のようにネットでつながる世界では自分自身の世界の「際(きわ)」を明確にしておくことはなかなか難しい。

hpo.hatenablog.com

言論における「 ∀」と「∃」

前回、珍しく大胆なことを言ってしまったせいか、idコールされてしまった。その後の議論がこれ。

ひでき - はてなハイク

結論としてここに至った。

∀(発生られる言葉 ∧ 質問に限定されない) ⇒ (脅威に感じられる)

ということではない(上記の式は常に真ではない)と私は思います。

∃(id/et43hazrさんというネット上の仮想人格から発せられる言葉、idコール)⇒ (脅威に感じられる)

という主張をさせていただいているのだと私は考えます。言葉は難しいですね。私には論理記号を使わないと明確にできません。

論理記号がどれだけ大事かよく理解できた。もちょっと後で書くかも。

東京ステーションホテルで朝食を

東京ステーションホテルのアトリウムで食事をすることができた。とても感激した。


と、書き始めてから今回はアトリウムの写真を撮り忘れていたことに気づいた。よっぽど舞い上がっていのだろう。

一番感激したのは、4階のアトリウム。そもそも、東京駅の丸の内側に4階があることを知らなかった。100年前のレンガの壁が見えるホテルのアトリウム、朝食会場なんてあるだろうか?

東京ステーションホテル - HPO機密日誌

ホテルの随所に百年前の構造体、そして改修の跡を意図的に残してある。戦災で焼け落ちたドーム屋根を当時のないないづくしの状況で、三角屋根にせざるを得なかった状況を思うといたたまれなくなる。今回、ドーム屋根が復興できて百年前の姿にできたことを日本人として誇りに思う。

横山華山

たまたま、東京ステーションギャラリーに立ち寄った。見どころ満載の横山華山の展覧会だった。

www.ejrcf.or.jp

祇園祭礼図巻」が私にはとても突き刺さった。一人ひとりが役割を持って祭りに参加している様を実に活写している。お祭りを思う人の気持ちは数百年経ってもも変わらないのだと。詳細な祇園祭の記録ともなっている「祭礼図」に横山華山自身の自分のふるさとへの思いを感じる。

横山 華山(よこやま かざん、天明元年(1781年)または天明4年(1784年)[1] - 天保8年3月16日[2](1837年)は、江戸時代後期の絵師。

名は暉三、または一章、字(あざな)は舜朗。通称は主馬。中国名風に「黄華山」と署名する例もある。京都出身(越後出身説あり)。福井藩松平家藩医の家に生まれる。白井華陽著『画乗要略』によれば、若い頃は家が貧しく生計を立てるため、北野天満宮で砂絵を描いてその日暮らしをしていたという。西陣織業を営む横山家の分家横山惟聲の養子となり、本家が支援した曾我蕭白に私淑。始めは養父の師である狩野派の絵師江村春甫につき、長じて岸駒に師事、のちに円山応挙や四条派の呉春の影響を受けた。一般に絵師は晩年になると筆力が衰えるとされるが、華山は例外で最晩年に至るまで雄渾な大作を手がけている。

横山華山 - Wikipedia

考え続けることのスタミナ

「反脆弱性」、「GAFA」、「進化は万能」を読んでいてつくづくタレブ、ギャロウェイ、リドレーらの知的スタミナを感じる。

the four GAFA 四騎士が創り変えた世界

the four GAFA 四騎士が創り変えた世界

進化は万能である──人類・テクノロジー・宇宙の未来 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

進化は万能である──人類・テクノロジー・宇宙の未来 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

比べるのもおこがましいが、本ブログは「べき乗則」との出会いによってここまで書き続けてきた。知的にも劣る、素人の私がなにも知的な資産に貢献できるわけはないが、べき乗則について多くの書籍で学び、自分自身の体験と結びつける作業が本ブログのひとつの側面であると私は考えている。それは、人類の寿命延長が必ずしも幸福につながらいという考察であり、人類における大虐殺が人が人の欲しがるものを欲しがるという当たり前の属性から生じるということであったりした。しかるに、タレブははるかに深く自身の出自、自身の人生における叡智とブラックスワン、確率分布、リスクを結びつけている。

祖母は明治、大正、昭和、平成の四代の御代を商売に励み、子供や、孫を熱心に教育した人だ。言うまでもなく数々の戦争や、激動があった時代を生き抜いた。その祖母が「我が家は変化が激しかったからこそ生き残ってこれた」と生前話していたいとあとで聞いて大変納得した。レバノン生まれのタレブの一族ならきっと祖母と話しがあっただろう。

「反脆弱性」を読み始めた - HPO機密日誌

GAFA」において、スコット・ギャラウェイは、現代の黙示録の四騎士GoogleAmazonFacebookAppleの四社の戦略がどれだけ人類の根源的な欲望と結びつけているか、かゆいところに手が届くように分析している。特に今後の個人情報の扱いにおける大きな騒乱の予感は大切だ。米国の一流の知性の教養とビジネスセンスが結びつていることがよく伝わる。

hpo.hatenablog.com

hpo.hatenablog.com

リドレーの「進化」にはすでにタレブの「反脆弱性」を読んだ知的な興奮が伝わる。そして、タレブと同様古典と現代の問題を深く結びつけている。ルクレティウスだ。リドレーは、多くの事象、人の認識の根源に「スカイフック」、超越的な存在があることを明確にしている。エピクロスの「原子と真空以外なにも無い」という徹底した認識から、ルクレティウスはすべてにおいて神の存在、自然の驚異を仮定する必要がないことを主張した。リドレーは、見事に現代の科学、社会に対してルクレティウスの主張が適用できることを示している。

「物の本質について」のどのページをめくっても強く感じられるのが、世界についての科学的な見方ー無限の宇宙空間で原子が不規則に動き回っているという見方ーに一人の詩人が抱いた驚異の念が溢れているいることである。驚異は神々や悪魔や来世の夢に従属するものではなかった。ルクレティウスの驚異の念は、われわれ人間が星々や海やその他の万物と同じ物質でできているという認識から沸き起こったものだった。そしてこの認識こそが、われわれが生きるべき理想の人生の基盤となる、とルクレティウスは考えた。(16ページ)

今から二千年前、真実はすでに記されていた。 - 毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

物の本質について (岩波文庫 青 605-1)

物の本質について (岩波文庫 青 605-1)

hpo.hatenablog.com

なんというか、いずれの知性も古典的な知識から、現代の事象の認識まで、なににとらわれることなく、徹底して考え抜いていることが書作から伝わる。心から尊敬していたい。50代にはいって、読書も減り、ますます知的スタミナの衰えを感じていてはならないと自分に言い聞かせたい。