HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

人智を超えた知性をどう表現するか?

人間を超える知性はそのうちできそうな予感がする昨今、これは面白いテーマ。人智を超えた知性をどうそれらしく表現するかという問題だ。「それらしく」には哲学的な考察があるべきだと私は思う。

anond.hatelabo.jp

この類の話は、始めたものは終わらせなければならないので、超知性の物語をいかに終わらせるかがポイントとなるのだろう。それは、人類との共存になるのか、人類の虐殺もしくは隷従になるのか、あるいは超知性同士の対決となる。最後の類型で印象的なのは、「火の鳥 未来編」だ。

火の鳥 2(未来編) (朝日ソノラマコミックス)

火の鳥 2(未来編) (朝日ソノラマコミックス)

そういえば、この類型でテッド・チャンの「理解」がいい線いっている。

あなたの人生の物語

あなたの人生の物語

超知性のプロセスではどのようなメタ認識が行われるのか、小説という想像力の形式を使って、人間を超える知性を記号論的に追求している。これこそがチャンの独自の作風であり、読み進めながらチャンという人自身がすでに人間知性を超えているような薄気味悪い印象も与える。

[書評]あなたの人生の物語(テッド・チャン): 極東ブログ

ネタバレは避けたいが、id:finalventさんの書評の通り、超知性の在り方についてよく表現されている。

そうそう、なにより「聖書」があった。「神」という「全知全能」の超知性と人間の物語のありとあらゆる類型が含まれている。

ぐでたまゴールデンパック

某所でいただいた。

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この写真ではサイズ感が伝わらないかもしれないが、とにかく大きい。

個人的にうま◯棒系のお菓子は大好きなので、食べ過ぎない程度に楽しませいていただいた。

No pain, No gain

さすがに人生の半分も過ぎてくると、自分の人生のターニングポイントがなんであったか見えてくる。あの時に自分の人生は変わったと想う時点は存在するものだ。就職、結婚、子供、そして、離婚といったライフイベントはもちろん、自分の仕事が天職と想えた瞬間などもそうだ。ふりかえってみれば、やはり、苦労しないと得るものはない。ぎりぎりまで自分を前線に押しだし、弾にも当たりながら、もがき苦しみながらも、匍匐してでも前進していく中でしか、自分の成長はなかった。正直、十数年続けているこのブログを読み返すと、そのターニングポイントの片鱗がある。当時の想いがこみ上げてくる。"No pain, No gain."、「痛みなくしては、得るものがない」とはよく言ったものだ。

最近の「生存バイアス」という言葉は間違って使われている気がしてならないが、確かにもがき苦しまなくとも現在の場所にたどり着けたのかも知れない。しかし、それでは人生の味わいがないのではないだろうか?前にもどこかで書いたが明治・大正・昭和・平成の四代の御代を生きぬいた祖母が「我が家は大変動があったからこそ、ここまで生き残ってきた」と言っていた。よくよくその真意を自らの人生に問いたい言葉だ。

戦争という山火事

晩婚化が進む日本にとって、初婚年齢を劇的に下げる方法があるというツイットを拝見し、脊椎反射してしまった。

この話題は、togetterにもなっていた。

togetter.com

当然、結婚年齢と出生数の関係性は深い。

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戦争は望ましいものではない。山火事のアナロジーで言えば超大規模火災に間違いない。しかし、リスクを避けようとするあまりより大きなリスクに直面している日本の現代がこのグラフにあらわれている気がしてならない。日本にとっては、「リスクがないことが最大のリスク」状態なのだと。危険や苦労に直面してなく生きられる社会を目指すがあまり、大きなリスクを背負い込み、とてつもなく大きな危険に陥るのではないだろうか?そして、その最大の象徴が超高齢社会の到来だと。いや、それよりも結婚という最大のリスクを受け入れることのできない若者の存在こそが最大のリスクかもしれない。

hpo.hatenablog.com

戦争が日本人にとって最大のリスクなのではなく、平和こそが最大のリスクだと言えまいか。

レイプはなぜ撲滅されなければならないか?

もちろん、刑法違反であるので「レイプ」は撲滅されるべきであることに異論はない。ただ、なぜ「レイプ」が問題であるかは考えてみる必要があるなと。大前提として、男女の間の暴力における「力」の非対称性がある。もちろん、昨今の風潮だと女子が男子をレイプするということは実際散見されるようになったがそれでも、世界を見渡せば大多数は男が女をレイプする「犯罪」だ。この前提において、女子側に「心の傷」を残すことはなぜか?戦前、戦中のような「貞操」概念が強く強調されていた状況では、まず自分のパートナー以外からセックスを強要されること自体がアウトであることはわかる。フリーセックスが普通の状態である現代において、それでも女性の心と体を傷つける行為であるのは、意に反した性行為の強要が問題であるから。あえて、なぜ性行為の強要が大きな問題となるのか考えてみたい。

なぜ自分に取ってこの問題が考えてみる必要があるかと言えば、現代の日本においてセクシュアリティがあまりに否定的に扱われていることが私には疑問であるから。世の中に男と女しか存在しなくて、いろいろな「愛」の形はあれど、男と女でセックスも含めて、魅力を感じ合い、一緒にいたいと強く思えることがまさに「性(さが)」なのだから、「レイプ」ありきでセクシュアリティを否定しなくてもいいじゃないかと正直思っている。男でも、女でも、相手を愛するのであれば、その愛を相手に伝える、相手に証明する活動は常に肯定されるべきだ。それが、どうも、最近の風潮だと、すぐにレイプ、セクハラになってしまっているように思えてならない。

「レイプ」が現代において否定されるべきなのは、男女の力の非対称性を前提に、人類史の中で「略奪婚」的性格を持つからだと私は思っている。大人の理性に基づく行動が大原則であると仮定している現代においては、「略奪婚」あるいは理性に基づかない性行為は許しがたいとなる。逆に言えば、男女ともに相手を選ぶ権利は、近代以降の市民の権利であり、義務なのだと認識されているのだと私は思う。

掠奪された7人の花嫁 特別版 [DVD]

掠奪された7人の花嫁 特別版 [DVD]

サビニの女たちの略奪(サビニのおんなたちのりゃくだつ、The Rape of the Sabine Women)とは、古代ローマの伝説的挿話の1つである。なお、この場合の "rape" はラテン語の "Raptio" にあたり、「強姦」よりも「誘拐」などに近い意味合いである。日本語では他に、サビニ女性の略奪、サビニの娘たちの掠奪、サビニ族の女達の誘拐、サビニのおとめの拉致、などともいう。

ローマがロームルスによって建国されたばかりのころ、最初の世代は女性が少なかった。子孫を残し国を維持するためには多数の未婚女性が必要だった。ローマ人はそれを近隣国に多く住み勇敢な部族であったサビニ人に求めたが、交渉は不首尾に終わった。そこでローマ人はサビニ人に奸計を仕掛け、大量の未婚女性を略奪した。不法にローマに拉致されたサビニ人女性たちはローマ人の妻になることを強要され、ローマ人の子を産むこととなった。こうしてサビニ人女性を誘拐婚することにより、ローマは国を維持発展させるための次世代を得ることに成功した。後にサビニは女性たちを奪回するためにローマと戦争を起こすが、既に子を産んでいたサビニ人女性たちは子供と引き離されることを拒み、戦争の中止を訴えた

サビニの女たちの略奪 - Wikipedia

私にとって「略奪婚」と言えば、「七人の略奪された花嫁」とか、「サビニの女たちの略奪」なのだが、現代日本においては、「略奪婚」と検索すると不倫話ばかりが出てくる。びっくり。

google:略奪婚

うだうだ書いたが、本音を言えばフェミでもなんでもいいが、セクシュアリティを否定する方々にあなた達の親はセクシュアリティを持っていなかったのか?男の女の激しい愛以外から生まれた人間がいるのか?と聞きたい。

学習し、成長し続けることが大人の印

すっかり旧聞になってしまったが、「勉強させない」というエントリーがいかにも現代的だと思った。書かれた社長さんは相当に社員教育で苦労されて様子が伝わるが、ブコメを見ると圧倒的に叩かれている。

cloverstudioceo.hatenablog.com

1. そんなこと強要したりそんな雰囲気を出したら退職しちゃう
一回社員を集めてそんな話をしたんですよね。そしたら、全員で大反対に合い、その後何人か辞めていきました・・笑えないですね。 個を重んじるヨーロッパの文化の気合の入りようは半端ないです。こいつらは死んでもプライベートを優先します。 欧米の会社も、一緒に遊んだりしてる写真をアップしたりして、うちは楽しいよ!アピールが凄いのもわかりますね。

弊社がプライベートでは一切勉強させない3つの理由 - ヨーロッパで働くIT土方社長のブログ

ブコメの方々は「個を重んじるヨーロッパの文化」をものすごく勘違いしている気がしてならない。勉強する、しないは自由だが、成長しつづけていないとたちまち職を失うのが欧米社会。米国では、成長が止まっていたり、成果をあげていない人物の処遇をさげるとモチベーションがすごくさがるので、だったらいっそ解雇しようということが当たり前。成績を上げ続けないと会社にとどまれない。*1

hpo.hatenablog.com

従って、欧米のそこそこの仕事をしている人たちは圧倒的に勉強しつづける。

弊社がプライベートでは一切勉強させない3つの理由 - ヨーロッパで働くIT土方社長のブログ

ちなみに個人と会社が完全に切り分けられてる米国では個人の側で学位を撮ったり、新しいテクノロジーについていかないとあっという間に首になる。夜学とか意外にも盛ん。必死さが違う。

2018/09/08 09:29
b.hatena.ne.jp*2

大人の態度としては、会社に居続けたいのなら成長していくしかない。出すべき結果を出すしかない。「いやだ、いやだ、働くのいやだ、休みは完全プライベートじゃなきゃいやだ、一人の時間がないと生きていけない」と言っているのは、個人の自由だが、「大人」ではない。現にブログ界隈にも勉強しつづけることによって人生を豊かにした人がいらっしゃるようだ。

www.megamouth.info

*1:ここで欧米の失業率の高さ・・・、と書こうとして調べたら、案外下がっている。日本並に近づいている。いやいや、失われた数十年でここまで日本はおいていかれているのか?
アメリカ・雇用統計|経済指標|みんかぶFX
ヨーロッパの失業率ランキング - 世界経済のネタ帳

*2:私の経験に基づいた観察結果
MBAで何を学んだか - HPO機密日誌

「山火事」とは現代の日本だった

「反脆弱性」が面白い。苦痛をさけること、他人の金をあてにすること、表面的リスクを避けることこそが、いかに大きなリスクにつながるかが書かれている。

それは、言うまでもなく「山火事」の話。

hpo.hatenablog.com

そして、次第にその「臆病者の抱えるリスク」の典型的な例が日本だと気づかざるを得ない。実際、こうタレブは書いている。

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産業革命のころのイギリスと同じで、アメリカの財産は、ひと言でいえばリスク・テイクとオプシ ョン性の使い方にある。アメリカは、合理的に試行錯誤する驚くべき能力を持っている。失敗し、や り直し、また失敗しても、そんなに恥をかくことはない。それと比べて、現代の日本はどうだろう。 失敗は恥になる。だから、人々は金融や原子力のリスクを被腰の下に隠そうとする。小さな利益のた めに、ダイナマイトの上に座ろうとする。朽ちた英雄、つまり高貴なる敗北に敬意を払ってきた 昔の日本とは、奇妙なくらい対照的だ。

つまりは、日本人は「小さな山火事」を消し続け、「大きな山火事」を自ら招いていることに気づいていないということだ。実に残念だ。