HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

国語力の必要性

ハリウッド映画などのCG*1を手がけられるKei Yoneyamaさんのツイートが実にそのとおり!と胸に突き刺さった。

ほんの少しだが米国の教育の体験がある。米国人は数学ができないとバカにしていたら、リーダー層の米国人の英語の作文、要は国語力が圧倒的なのに気付かされた。

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確実に働き方改革、雇用の流動化は進んでいる。多くの若者は会社を辞めることに抵抗がない。若者同士、学校でも、辛かったら逃げろと教えているらしい。私のような古いタイプの人間からすれば、職場と自分の能力の一体性が高まった時に最大の生産性をあげられる、もっともクリエイティブな仕事ができると思うのだが、若い人には通じない。それはそれで構わない。同一労働同一賃金の原則が守られ、労働者側からも、雇用者側からも生涯雇用を前提としない働き方に変われれば。

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働き方改革は更にこの雇用の流動性を高めるだろう。そうした中で参考となるのは、米国流の人事だろう。現場での大きな採用権、部門毎のリストラすら可能な流動的な雇用形態、個人側での転職の繰り返し。多くの企業、個人それぞれがこれまで以上に大きなリスクを負うことになるが、個人が自分の好きな時に好きなことだけする傾向が強まれば強まるほど流動化は進む。

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一方働き方改革に関する議論を毎日のようにしていると、つまるところ人に伝わる文書、資料をいかに短時間で作って多くの人と共有するかにつきることがだんだんわかってきた。国語力とITの両輪の学習が必要だと。

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ここに立ってみると、なぜあんなに多様な人種、多様な文化、多様な言語、トップからして簡単にやめてしまう超流動的な雇用形態において、なぜ世界トップの業績を米国企業があげられているかと言えば、まさに国語力とITなのではないだろうか?詳細で適切に書かれたジョブディスクリプションとマニュアルは解雇した社員から次の社員への引き継ぎをゼロとしていると聞く。多種多様な人材であっても適切な指令が適切な表現で書かれていれば、仕事は進められる。なによりも法律文書という「呪術的」といってもいいほど最強の文書が米国を支配している。日本の感性的な国語教育ではとてもとても太刀打ちできない。根源から日本語の作文とはなんなのか?人に伝わる文章とはなんなのか?徹底的に教育する必要がある。ちなみに、IT教育のプログラミング教育とは実は国語教育であると私は考えている。

プログラミング教育と国語教育についてはまたどこかで明確にしたい。

*1:言い方古いのだろうか?「エフェクト」?