HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

ロングテール、レッドオーシャン、大極

この辺って、ひとつのことの言い換えにすぎないと思う。

数学的にべき乗則zipf、そしてパレートの法則の示す分布が変換可能であるという論文がそもそも存在しているので、その辺は省略。ポイントはロングテールといわれる現象はべき分布のせいぜい指数の変化にすぎないのだということはさておき、分布に現れたもっとダイナミックな過程が背後にあることを無視してはいけないのではないかという議論をしたい。

ロングテールのダイナミックな側面を理解するにはカウフマンの「適応度地形」の理解が第一歩だ。相互に連関しながら種がどちらにむかって進むのかを概念的にモデル化した適応度地形は、非常に応用範囲の広い概念だ。ある意味、種の生存競争の激烈さを図示しているといえる適応度地形において、種の数で言えば「低い」地点の方が数が多く、「高い」地点にいけばいくほど少なくなるといえる。特に捕食関係があるときにこれは顕著なのだろう。

どの種も生存をかけて常にこの勾配を上に上ろうとしている。

赤の女王」仮説が示すようにこの勾配の中では常に走り(進化し)続けなけれならない。立ち止まってしまえば、あっというまに勾配から下って絶滅してしまう。実際いくつかの種は「高い」地域から落後し、「低い」地域の種の進出を許してしまう。一方、「ディアスポラ」の生成の描写がヴィヴィッドに描いているように、新たに生まれるほとんどの種は勾配を上るより以前に絶滅してしまう。

このプロセスを企業に当てはめると見えてくるのが、ロングテールという現象であり、ヴェンチャー企業のレッドオーシャンなのではないだろうか?

底辺に無数の企業やらヴェンチャーやら、経済活動を企てる個人が無数にあり、ごく上の方に多国籍企業と言われる巨大資本と巨大組織がひしめいているようなイメージだ。このプロセスでは、常に下から上へとリソースが吸い上げられていく。もし、自己保存に必要なリソースを確保できなくなった時点で小さい方の主体は消えていってしまうし、大企業・大組織は永遠という存在がないというテーゼが示すように多分内部から滅びの原因が生まれ、崩壊してしまう。

あるいは、ロングテールといわれているのは、たまたま自己維持に必要なリソースの閾値が下がったためにレッドオーシャン的に淘汰されてきた商品が生き残り、たまたま新たな適応度地形の中で、勾配を駆け上がることができ「高い」地域に位置することができる可能性が増えたということに過ぎない。つまり、無数の「低い」商品と少数の「高い」商品のダイナミックな入れ替わりを分布としてみたときにロングテールになるのではないだろうか?

重要なのは、「高い」種、商品、企業と、「低い」種、商品、企業との間のバランスなのではないだろうか?

大企業、大組織、捕食動物も無数の小組織、個人、被捕食動物がいなければ絶滅してしまう。サバンナのような生態系ですら、系自体が崩壊してしまうことがあるわけだから、人間の作った歴史の浅い経済生態系なんてまして崩壊するときはあっというまだろう。

なんというか、この辺の商品から始まって全ての経済活動を網羅する生態系の中でどうバランスを失わずにいるかという問題は、実は個々人の意地とか倫理感にかかっているのだという恐ろしげな結論に私は達してしまった。

また、人間の経済という活動はあまりにも早くリソースを消費してしまうために、共有地の悲劇といわれる現象があまりにも全体的にかつ急速に広がってしまうため、経済圏自体を死滅させてしまう危機が起こらないとは限らない。また、過去に既に恐慌や経済に起因する現代の戦争において先取りされている。

むさぼればたりず、わけあえばあまる。

あまりに古すぎる感覚であろうか?

あ、んでもって「大極」って概念はものすごくこの辺を象徴的に表しているのだろうというのが私の最大の主張。

http://d.hatena.ne.jp/hihi01/20060902/p1