HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

ロングテールとマルクス思想

マルクスはほとんど理解できていない。また、ブログ界隈をうろつきだしてから、「左翼」と簡単に片付けられる問題ではないのだなということを理解しつつある。

てな、前提を置きつつ、話題の記事について私見をまとめておく必要を感じている。

ここで、池田さんが主張されているのは、ロングテールだの、べき乗だのというよりも、「先端技術が普及することにより、より広い層で時短が行われ、マルクスが理想とした社会の到来が近くなる」というということではないだろうか?実は、この主張と直接ロングテールもべき乗も関連しない。どうも、目新しいがゆえに、「ロングテール」や「べき乗則」というのは、誤解されやすい言葉だと思う。

資本論の序章かなにかで「交換価値」あたりで挫折した私としては、思想的なことをうんぬんする資格はないのだが、労働時間の短縮こそがマルクスの理想であったのなら、これほどわかり易いことはない。要は、日本が世界で最も社会主義的な体制を打ち立て、働かなくとも食べていける層を広げた国はないということだ。養われている若年層、多分日本で一番セレブに近いと言える専業主婦層、豊富な自己資産乃至年金又は福祉で生きている老年層、付加価値を産んでいるのかいないのかかなり疑問がある地方と中央の官僚と官僚関連で食べている職業、などなどを除くと、多分1.2億の人口のうち本当の意味で「働いている」のは、2000万人くらいではないだろうか?

そしてまた気づくのは、今の日本を搾取しているのは、決して資本家などではない。様々な上場企業の株主に顔を出しているのは、年金だの、ファンドだのの信託口だ。それこそ、金光淳さんや安田雪さんが以前トライされたような資本関係の分析にこそ社会ネットワーク分析の手法は使われるべきであり、ロングテールが実現されていることを気づくべきなのだ。それは、人間のネットワークを構築する「信頼」というものが貨幣価値で計られる「資本」にとってかわりつつある実態を明らかにするであろう。

なぜ日本こそが資本の集中を生まなかったのかという歴史をほじくっていくと、社会体制において戦中の「統制派」がなぜ「統制派」と呼ばれたか、なぜ農業革命を訴えた若手官僚層の思想が都市計画から、税制、農業政策にまで現在にいたるも広くかげを落としていることかに気づかざるを得ないのだが、これはちょっと話の行き過ぎ。

ちょっともどってちゃんと話の筋を通そうとするなら、多分、R30さんは、こちらの記事こそを批判するべきではないだろうか。

これまで情報技術は、「ネットワーク外部性」によってヘッドとテールの格差(傾き)を拡大するという傾向が強調されてきたが、本書は逆に両者の格差は縮小すると予想している。実証データで検証してみなければ、経済全体の傾向はどちらかわからないが、少なくともアマゾンやグーグルの成功は、テールの側に新しいフロンティアがあることを示している。それは大衆消費社会の次の経済システムを垣間見せているようにも思える。

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この理解は本当に正しいのだろうか?

商品の市場におけるロングテールというのは、せいぜいが維持コストが極端にさがったことによるラインアップの拡大に過ぎない。いつかきっと何らかのカスケード危機がロングテールと池田さんが主張しているシステムに生じることにより、べき乗則的な集中が進んでいることにみな気づく日が来るような気がしてならない。

まとめていえば、私ここで主張したいのは、ロングテールといっているうちは実はべき乗則的な集中が進んでいることの裏返しにすぎないのであって、資本主義社会、貨幣経済を強化こそすれ脅かすことにはならないであろうということ。でも、マルクスが理想とした時短はきっと資本主義的集中によってもたらされる可能性が高いという2つのことだ。


■携帯から追記

統制派に言及したのは私にはこの流れをなんらかの形で汲む方々以外に資本の蓄積など永続的なできていないのが日本という国だと思えるからだ。