HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

システムで解決しようとするとべき乗則的負荷がかかる

そして、発生することがらに後付けで対応していると必ず破たんする。

官製不況だの物騒な言葉が飛び交う今日この頃、お役人が悪いとか、偽装した企業が悪いとか、誰それさんが老害だとか、言うもっともっと前に、問題を解決しようとするそもそもその姿勢に間違いがあるのではないかと考えてみた。

要は、いろいろな問題をその頻度と予防策にかかるコストをグラフ化するとべき分布するのではないだろうか、ということだ。


*1

べき乗則的効果という言葉があるのか知らないが、ロングテールの逆ヴァージョンというか、対策を立てるだけでコストがかかるわけで、一定の頻度を大幅に下回る「例外事項」に対して全体で対応しようとすれば、それは「頻度×起こった時にかかるコスト」を大幅に上回ることになるのではないだろうか?経営、経済の場合は、コスト計算を考慮せざるを得ないので、セブンイレブンの売れ筋商品ではないが、どこかで扱う商品をカットオフする。アマゾンのようにどこまでも商品在庫を抱えてもコストがほとんど増えないという商売はごくごくすくない。

社会的な事象というのは、コスト計算がそもそも入ってこない。悲劇的な事象が大きくマスコミなどで伝われば、社会的コストが上昇しようとそれは回避するためにシステムとして対応すべきだという話になる。

べき乗則的な考えで行けば予測しえないことは必ず起こる。どれだけ厳重に対策をとっても完璧ということはない。それは、生物の死滅の歴史が示す事実だ。対策を取ること自体にインセンティブがあるのだと言い切るのでなければ、どこかでカットオフの線を引くべきなのは明確だ。そして、そのカットオフの線を引くのがリーダーであり、国でいえば政治家の役割だと私は信じる。

あるいは、別の対策はどのようなことでも対応できるシステムを作ることだ。私はそれは、システムや法律ではなく人間自身を高めるという非常に抽象的な理念だと信じる。

ま、事態が事態だけに私のようなものが書くべきことではないのだけれどね。

*1:グラフは、首都圏業務核都市の人口を順位順にならべたもの。だから、正確にはパレートの法則というべきかもしれない。ちなみに、wikipedia英語版とあまりに内容に格差があるんでないかい?本来べき分布だとY軸に頻度、X軸にコストや富といった尺度が来るはず。