HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

新型コロナの最大の禍は人の依存心を肯定すること

こんなことを書いてもお前は緊急事態宣言下で何を言ってるんだと言われるでしょう。私は幼い頃から家庭で「福祉を期待してはだめだ、公を期待してはだめだ。福祉に期待すると依存心は増大していくばかり。だから自立自尊で生きていけ」と教育されて育ちました。手を差し出せば抱きかかえて起き上がらせろ、起き上がれれば行く先まで連れて行けと、福祉への要求はエスカレートするばかりなのだと。依存心があっては独立した社会人としての気概が萎えると。持てる力はすべて仕事に注げと。水を与えるのではなく井戸の掘り方を教えろ、それこそが真の援助、教育だと。

その上での政府支援の話です。昨年春の情報が不足していた頃はともかく、欧米の十分の一以下の感染被害だと分かった今の日本において過剰な政府対応は感染を減らすことなくむしろ人々の「金をくれ」要求の肯定にしかならないのではないでしょうか?

 

とある映画館スタッフが今更ながらこの一年を振り返ってみたんだけど

 

私の乏しい経済学、財政の知識ではMMT理論は主流からは否定されております。無限に政府がお金を借り続け、支出し続けることはできないと。であれば、緊急事態宣言により営業の制限を受けた業種への補助金、支給も最終的にはタックスペイヤーである我々国民、あるいは生まれ来る命を含めて将来の子どもたちの負担にしかならないのではないでしょうか?政府支出はどう転んでもGDPの幾分かを占めるだけの規模しかないので、GOTOに代表される支出の呼び水にはなり得ても国民すべての所得の代替にはそもそもなりえません。某大臣が主張されていたように全国民対象にお金を配っても結局は消費に回らずただでさえ高い貯蓄が増えただけとの指摘もあります。

この認識こそが私をしてコロナの過剰な対策への不信感の背景なのだと今更ながら気づきました。

さらに言えばコロナウイルス感染症のリストの中では十分「小物」です。インフルエンザなど恐ろしいウイルスはゴロゴロあります。温暖化でまだまだ新しい感染症は出てくるでしょう。この程度で崩壊してしまう民主主義自由経済体制ではお話にならないほど脆弱だというのもまた私の認識です。

ひでき on Twitter: "インフルエンザの方が怖いです。特措法も「新型インフルエンザ特措法」ですよね。コロナごときでこんなに騒いで自殺者増やす社会、政治家の皆さんの方が私は怖いです。 https://t.co/mMsSJe10kR… "

現代のカッサンドラー、タレブも今回のパンデミックは「ブラックスワンではないと」明言してます。自分を一番大切にできるのは自分自身です。一番自分が辛かった時期に手を貸してくれたのは国でも、会社でも、同僚でも、残念ながら当時のパートナーでもありませんでした。繰り返しますが、過剰に他人、世間、国に期待するのは自分を脆弱にするだけだと私は信じています。一番自分が辛かった時期に手を貸してくれたのは国でも、会社でも、同僚でも、残念ながら当時のパートナーでもありませんでした

War Robotsにハマる

たまたまSNSで知人が親子でいわゆる「生き残りゲーム」を始めたというエントリーを見た。年末年始は割と時間があったので、自分でも出来そうなゲームを探して始めた。

 

play.google.com

実際のバトルよりも、セットアップとか、グレードアップに時間が掛かる感じ。まあ、でも、戦闘ゲームがあまり得意ではない私でも自分のペースでやれて良い感じ。

ビギナー向けの解説ページを見つけてかなり忠実にプレイした。おかげで先週には初心者としての目標のレベル25に達した。

takagaming.com

なんというか登場するロボットたちも、マトリックス風あり、タチコマ風あり、そらとぶロボットありで親しみが持てる。さらに成長要素が強いのでうやりこめばやるこむほどはまる。多くの評価が「重課金注意」と書かれているが、どうもこれはお金をかけてしまいそうでやばい。

そうそう、ロボットになんというか愛嬌があるのはこういうサイドストーリーを動画にしていたりするからかもしれない。

www.youtube.com

ゲーム自体はかなり臨機応変な対応を迫られる感じ。でも、PvPゲームのようなスピードではないので私にはちょうどいい。あまり外に出られないので、しばらくの間ははまっていたい。

「安楽死を遂げるまで」

医療関係の知人が「衝撃的」だったというので読んだ。「安楽死」、「尊厳死」が欧米では受け入れられてもなぜ日本では拒絶されるのかが伝わった。

安楽死を遂げるまで

安楽死を遂げるまで

 

夢と現実を一緒にするなと言われそうだが、以前安楽死を迎える夢を見たことがある。癌で苦しみぬいて、もう殺してくれと懇願する夢だ。ベッドに横たわり、注射針から安楽死に至る薬が身体を駆け巡る感覚と恐怖で目が覚めた。かなりリアルな夢だった。自分が回復する確率が殆どないと分かっていても、自ら死を選ぶことはかなりの恐怖なのだと思う。

死ぬことはやはり苦しいこと、惨めなことなのだと改めて想う。50をすぎるとここが痛い、あちらの動きが悪いだの出てくると、改めて加齢と死を幻視する。死ぬことは決して格好良いことではない。

togetter.com

本の構成として、著者の宮下氏が根拠地を置く欧州からルポルタージュが始まるのがわかりやすい。私は以前から日本のいくつかの事件がなぜこんなに混乱するのか理解できていなかった。家族よりは恋人を連れ立って安楽死を補助する医者や、組織を頼ってくる「個」が前面にでた文化はわかりやすい。安楽死であったはずの事件が家族が生前とその後で言論を翻すにいたる過程も、欧州の事例が紹介された後で日本の事例が取り上げられると対比の中で大変分かりやすい。

この対比の構成は宮下氏のバックグランドとも関わっていることが最後の方で明かされる。宮下氏1994年から米国のウェストバージニアに留学していたとある。私もたまたま同時期に比較的近くに留学していたので感覚がわかる。日本で育ちながらも、欧米で個を確立し、主張し続けなければ生き残れないと。言わば文化のバイリンガル、三点測量のできる方だからこそこのような著書になったのだと理解する。

宮下 洋一のプロフィール | JBpress(Japan Business Press)

 これからの自分の人生を考える上で、大変貴重な本を読ませていただいた。リビングウィル、自分の死後に対するメッセージを考え直す機会としたい。

進撃の巨人 33巻 ネタバレあり

初期のシリーズからすれば信じられないくらい先の先にの地平に来てしまっている。「進撃の巨人」は実は次々に「壁」を超えていく作品なのではないかと。

最初の10巻くらいまではミステリー仕立てなのかと思っていた。巨人の攻撃によってこれまでの生活圏の「壁」を超えざるをえなくなったエレン。同期の中に紛れ込んだ「壁の外」、「巨人」の要素を持つ者を突き当てれば解決する物語なのかと思っていた。

hpo.hatenablog.com

次の「壁」をめぐる攻防では、「島」の中の統一に至る物語で大団円を迎えるのかと予測していた。しかし、20巻を超える頃から大きく路線が変わってきた。「壁の外」、さらには「壁の外を超えた外」との戦いになっていった。あれだけ圧倒的だと描かれたいた「獣の巨人」すらも一定の枠組みの中の存在であることが明らかになり、「世界」全体が舞台となった。島という「壁」すらも超えたのだ。

hpo.hatenablog.com

さらに、まもなく物語の「終わり」を迎えるこの数巻に至っては、生と死の「壁」すらも超えているように私には見える。いや、もしかすると「巨人」という存在自体が最初から生死の「壁」を示す存在であったのかもしれない。現世で食べられ、死んで亡者となったのが「巨人」だと。生と死の「壁」を超えた存在としての「巨人」、「始祖」が明らかになった。更には歴史の「壁」を超え、はるか昔に超越した能力をもったまま死んだはずの少女が巨人を作り続けてきたのだと示される。さらにさらに、生の世界の象徴であったエレンすらも生死の「壁」を超えすでに現実的な意味では「死者」として生者の世界に君臨しようとしている。そうそう、その意味ではこの物語はゲド戦記の三部作に匹敵するほどの生と死の境を示す作品となるのかもしれない。三部作の最終巻、「さいはての島へ」で閉じられるのは生の世界と死の世界の「壁」であったことが連想される。

hpo.hatenablog.com

姿勢を正して最終巻の発行を待ちたい。

「おらおらでひとりいぐも」

映画が話題だったので、本屋で買ってきた。正直、あまり期待してなかった。しかし、本書には女性の人生一個分があますことなく描かれていた。いや、もっとかもしれない。すごい小説だった。

といいつつ、どこからこの小説を紐解いていいのかわからない。なにせこの小説の登場人物は桃子さんほぼ一人。小説の九割は独り言みたいなものなのだ。だが、その「独り言」が母としの女性、妻としての女性、娘としての女性、孫としての女性、更には歴史的存在、もっと言えば集合的無意識の女性、地球史の中の女性のようにどんどん深まっていく。ちょうど「テンペスト」で描かれた「女性」は娘、社会人、妻、恋人、母として、それぞれ分離された役割としての女性だったのと対照的。しかも、桃子さんの「老い」によって様々な「女性」像が統合されていくように感じられる。

hpo.hatenablog.com

桃子さんの聴く「声」、桃子さんの思考の深まりに芹沢光治良の作品を思い出してしまうのは、私くらいだろうとは思う。

hpo.hatenablog.com

晩年には、「文学はもの言わぬ神の意思に言葉を与えることだ」[1]との信念に拠り、"神シリーズ"と呼ばれる、神を題材にした一連の作品で独特な神秘的世界を描いた。

芹沢光治良 - Wikipedia

ここまでの深みを持つ小説を一体どうやって映像化したのは、興味深いが失望するリスクが高そうなので見るのはやめておく。ああ、そう、私もちょとだけ「声」が聞こえ、景色が美しく見えた人生の瞬間があったことは書いておく。

ローカルジャーナリストガイド

藤代さんにお願いして、購入させていただいた。大変興味深く拝読させていただいた。ありがとうございます!

jcej.hatenablog.com

「ローカル」であっても守るべきこと、伝わる文章の書き方は同じかなと。取材、ファクトチェック、ストーリー、編集等だ。

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ただ、地域にいかに感心を持ち、いかに地域への「愛」がベースにあるかどうかで「ローカル」の持つ意味がかわってくるのでは?当然、全国版のニュースは視聴者全体が興味を持つ国や政府の出来事を批判的に扱うのが当たり前。世界的な影響力が大きく、ニュースバリューのあるものでなければ拡散はされない。それに対して、一定の目線をもってごくごく地域的なニュースを取り上げていただけるのが「ローカルジャーナリスト」ではないだろうか?

最近、地方のテレビ局や、BSなどは放映した後にYoutube等でその動画を企業や、地域の広報として一定期間流す流れがあるように想う。当然、スポンサーやCM出稿等の条件があるのだとは予測するが、広い意味でのSNSと「ローカルジャーナリスト」は切っても切れない。そうそう、出版に関しても解説動画や、SNSを使った読書会などの開催は当たり前になってきている。「ローカル」とネットワークの相互作用はますます大きくなっているように思える。

子供達は未来

永江一石さんのツイートに「子供たちは未来」とコメントした。コメントの後に、谷本真由美さんの「世界のニュースを日本人は何も知らない」を読んでいて幼児教育の大切さについての一文が目に飛び込んできた。

ヘックマン教授の書書『幼児教育の経済学』(東洋経済新報社)では、五歳までの教育は学力だけでなく健康にも影響すること、六歳時点の親の所得で学力に差がつくことなど、四〇年以上にわたる追跡をもとにした調査結果や、親とのふれあい不足により子どもの脳が萎縮してしまうという衝撃的な研究結果が掲載されています。

もう少し詳しい内容がこちらに掲載されていた。

50年近く前に行われたペリー就学前プログラムは、デトロイト市郊外で恵まれない環境に置かれている3~4歳の黒人の子どもたちに対して、2年間にわたり、1日2時間、認知力と社会的感情能力の刺激が与えられた。この子どもたちは、対照群の子どもたちと同じ学校に入れられ、40歳まで追跡調査を行った。実験群の子どもたちのIQは最初急上昇したが、10歳までにその効果は薄れていった。
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図:認知力の変化(男子)
このため、このプログラムを介入の失敗例だと考えた人が多かった。しかし、ペリー就学前プログラムは1年あたり7~10%という統計的に有意な収益率を示した。これは主として、社会的行動を促進し、非認知的なチャンネルを通して生じた。雇用、月収、喫煙習慣、犯罪などを調べると、ペリー就学前プログラムに参加した子どもたちの成功には非認知力が大きな役割を果たしていることがわかった。また、介入によって、実験群では食生活、運動、喫煙習慣、その他の局面でも改善がみられ、健康に対しても長期的にポジティブな影響を与えていた。

RIETI - ノーベル賞経済学者ジェームズ・ヘックマン教授「能力の創造」 (議事概要)

発達心理学の心得のある方なら、この5歳から6歳という年齢がどれだけ大事なのかおわかりいただけるだろう。子供たちにとっては5歳かの1年が人生にとって決定的に大事なのだ。取り返しがつかない。情緒的な発達、基本的な共感力などはこの時点で身につかなければ一生身につかないか、非常な努力と苦労の末に何年もかかってやっと獲得できる「能力」なのだ。

Netflixで「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を見た。ここに出てくるヴァイオレットのように「愛しています」と手紙に書くためだけにどれほどの遠回りをしなければならなかったか。昨日書いたように私も若干「自動人形」じみた育ち方をしたところがあるので、よくわかる。

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https://www.netflix.com/watch/80182123?trackId=13752289

だから、例え世界がパンデミックになろうと、経済危機に陥ろうと、子供達は未来そのものなのだからその成長をさまたげることあってはならない。子供達に、愛をそそぐことに不足があってはならない。子供達が犠牲になってはならない。リアルな私を知っている方はどの口がそんなことを言うと避難するかもしれないが、人生の過半をとうに過ぎた私にはそう思えてならない。