HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「地域を支える企業」

まさかビジネス書でバラバシの名前を読むことになると思わなかった。

まさかべき乗則とか、統計ガァとか言ってた話が身近でビジネスにつながるとは思ってなかった。確かに帝国データバンクさんは企業活動の詳しいデータを持っているので日本の企業のネットワーク構造を生かした分析につなげられる素地をお持ちだったのだ。ハブとしての企業を選んで詳細に分析している。面白い。

hpo.hatenablog.com

昔からビジネスチャンスをいくつ逃して来たかわからない。

多分、日本人の中ではかなり早い時期にインターネットで日本語を使うすべを確立したのにネットでメジャーになれなかった。

自分の産業分野ではかなり早くドメイン取ったのになんの役にも立てられなかった。

バラバシの本を読んで、かなり早くべき分布に気づいてたにもかかわらず組織に活かせなかった。

人生なかなかチャンスを生かせないもの。

はてなフォトの機能強化?

少し前にはてなフォトがスマフォアプリ版のはてなで機能強化されたと読んだ。

staff.hatenablog.com

画質には触れていないので、前とは変わりないだろうとは思っていたものの、お手軽に使えるので少し前の記事に使ってみた。やはり違和感がぬぐえない。

以下、上がはてなフォト、下がf絶滅危惧種となっているlickr。

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38の動物門

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我々の先祖

id:jkondoさんが社長でいらっしゃったころから画質は変わっていない。確かjkondoさんは元カメラマンのはず。とても残念だと昔から思ってきた。4年前、11年前にも同様のエントリーをあげている。もうネットイヤー感覚で言えば太古の昔。一応、開発ブログにコメントを入れるつもり。

hpo.hatenablog.com

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■追記

自分の眼で見てからエントリーをあげたつもりだったが、あらためて比較してみて遜色ない。失礼しました!ちゃんとはてなフォト進化していらっしゃる!!!!

栗本薫の「レダ」を読み始める

いつのまにか文庫になり、kindleにもなっていた。

科学が発達しすぎた未来社会を舞台にした物語です。この社会の中では、
人々は人工授精によって生み出され、人はあらゆる選択肢を与えられて
育ち、個人の選択が最大限に尊重される一方で、友情や恋愛、セックスまでが
完全にシステム化されて、ひととひととが極度に分断されています。
人はもはや恋愛に傷つくこともないかわりに、恋愛の原始的な喜びを
知らないままに過ごしています。

https://www.amazon.co.jp/dp/B06XT6K5LT/

なんというか、いまの時代を考える上で完全な管理社会を想定してみることが思考実験として必要であるような気がしてならない。科学も、管理社会のマネジメントも、なにもできていないにもかかわらず、背伸びしてすべてを制御しようとしている現代日本。この行き着く先はどこなのかを本書を読みながら考えたい。

ちなみに、本書の書評の中で、「ハクスレーの『素晴らしき新世界』が菅直人の人生を決めた」という趣旨のことが書いてあった。機会があれば、本書の「底本」のひとつであるに違いない「素晴らしき新世界」を読んでみたい。

すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)

すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)

In the Blink of an Eye、「眼の誕生」 読了(ネタバレあり)

アガサ・クリスティのミステリより意外な真犯人だった。

眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く

眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く

....と、書いたものの、ブログにまとめるためにメモ代わりに過去につぶやいた本書関連のツイットが見つからなくなってしまった。タグで「#In_the_Blink_of_an_Eye」をつけていたはずなのに、記憶の半分もでてこない。大文字小文字を間違えたのか?

単語としての"In the Blink of an Eye"で調べると無数に出てくる。慣用句なので当たり前。当然自分の「メモ」ツイットはみつからない。

私の英語センスのなさを露呈させるだけだが、"In the Blink of an Eye"という表現はすごいと感じ行っている。"a"と"the"の使いわけ、"Eye"であって"Eyes"でないなど、英語として練れた表現。しかも、カンブリア紀の爆発が500万年という「またたく間」に生じたことと、「眼」の発生によってその爆発が起こったことを表現しきっている。

In the Blink of an Eye: How Vision Kick-Started the Big Bang of Evolution

In the Blink of an Eye: How Vision Kick-Started the Big Bang of Evolution


さて、本題へ。

hpo.hatenablog.com

先カンブリア時代カンブリア紀の爆発が準備されていたことは承前。

先カンブリア時代のうねり

38の動物「門」がそろったところで、いよいよ眼の誕生に入る。カンブリア紀の爆発により多様な形態の生物種が爆発的に誕生した原因をさぐるミステリーが本書。当然、本書の主張は進化によって「眼」が獲得されたためだと。眼が捕食を数万倍の効率まで捕食を強化したために、進化の圧力がカンブリア紀で一気に増したと。

本書は欧米の科学解説書の伝統を踏み、基本の基本から教えてくれる。では、まず眼とはなんなのか?言うまでもなく、光学的特性を活かした「カメラ」であり、「望遠鏡」でもある。

光学的眼

光学的には、散乱、反射、屈折の特性が知られる。生物の眼もまさにこの3つの光学的特性を応用している。複眼、単眼という以前に、眼には、窟眼、反射眼、カメラ眼の3つの種類があるというのだ。それぞれ、光の散乱を利用したピンホールカメラ、反射を利用した反射望遠鏡、屈折を利用したカメラに相当する。反射望遠鏡は「ニュートン式望遠鏡」とも言われるが、天才ニュートンに先駆けること数億年、生物はすでに反射を利用した、光の少ないところでも見えやすい「眼」を考案していたのだ。

そして、これらの「眼」はその形態を分析していくと光学的特性にのっとっているということだけでなく、生物の表層部の光をほんの少し感じる単純な細胞から分化していってことがわかる。眼という非常に特殊な器官がどうやって進化から生まれたか素人には不思議でならない。しかし、表層部のほんのすこしのくぼみのような形態から実は40万世代という進化の道のりから言えば比較的短い期間で眼まで進化しうるのだという。

眼の発生

眼の起源が一度であるか、複数回であるかは、眼の定義にも依存する。眼の形成に用いられる遺伝的機構は、眼を持つ多くの生物に共通している。これは祖先がなんらかの光感受性のある器官を、専門化された光学器官は欠いていたとしても、用いていたことを示唆する。しかし光受容細胞でさえ、分子的によく似た化学受容細胞から何度か進化した可能性がある。光受容体細胞もおそらくカンブリア爆発のかなり前から存在していた[9]。高位の類似点、たとえば脊椎動物とタコ類で独立して水晶体にクリスタリンが用いられていることなどは[10]、より基本的な役割を果たしていたタンパク質が眼で新規の機能を持つに至ったコオプション(外適応)が起きたことを意味する[11]。

眼の進化 - Wikipedia

では、どの生物「門」が最初に眼を発生させ、最初の捕食者となったか?動物門の内で、6つの「門」が眼を持っている。

38の動物門

私達人類も含まれる脊索動物門の眼は残念ながらカンブリア紀以降に眼を発達させたことが立証されている。ナメクジのようなこの生き物が私達のかよわき先祖なのだと。

我々の先祖

そして、なんとカンブリア紀の大爆発を起こした生物種である「真犯人」は三葉虫であったと。三葉虫の先祖が眼を生物種として初めて進化させた。そして、カンブリア紀の始めに捕食動物となった三葉虫が、他の種への進化圧となり多様な形態を産んだのだと。

三葉虫と眼

実に知的な体験をさせてもらった。まがりなりにも視覚に関する勉強をさせてもらっていた者として最初から最後までわくわくしながら読み進められた。

hidekih.cocolog-nifty.com

hpo.hatenablog.com


追記

Wikipediaの「進化」の項に眼の進化の図が描かれていた。

進化 - Wikipedia

経営者のよしあしを判断できるのは誰?

昨日に続いて、田中氏のツイートに関してエントリーを起こす。後半は、高度プロフェッショナル制度の目指す生産性向上とはなにかという議論と、日本の企業の経営者の革新能力について論じたい。

twitter.com

togetter.com

私は前回書いたように高度プロフェッショナル制度とは社員を長時間拘束し、単純労働者のように働かせるのではなく、働き方の多様性を増し、社員にとっても経営者にとっても生産性を増すための手段であると考える。

田中氏の「日本にはイノベーションが必要」という目標設定には異論はない。そのためには働き方の多様性とモチベーションアップが必要だということも、田中氏の同意を得られると思う。私は、「そのための高度プロフェッショナル制度だろう」と思う。しかし、田中氏の認識は、「残業代を払わないでいいという制度は社員を鬼のように時間拘束する」という前提に立っている。長く人事関係をやってきたものとして、そんなことを企業は求めていないと強く思う。広い人と人との交流、リ・クリエイションを通じた自分自身のモチベーションアップ、継続的な学習によってのみ革新的なイノベーションは生まれる。むしろ高度人材、専門性の高い職種に就いている人材こそ企業は自由に仕事をさせている。

高度プロフェッショナル制度と働き方の多様性 - HPO機密日誌

田中氏のツイートを引用しておく。

現場で起こっていることをありていに言えば、社員同士ほどお互いの報酬に対して関心が高い。高いというより敏感だ。誰が本当に成果を出しているか社員同士の評価の方が会社が人事制度、人事担当者を駆使して算出する評価より適切なことが多々ある。結果、それが残業代であろうと、年俸であろうと、自分より出した成果が低い社員に自分より高い給与が払われることくらい、社員にとって悔しいことはない。時間ベースで賃金を算出していると昨日論じたようにより大きな責任、より高い目標にチャレンジしている課長よりも、部下の方が高い給与をもらうということになりかねない。これは大きなモチベーションダウンにつながる。管理職層については管理職手当をよりあげること、業績考課の成果分の賞与への反映を徹底することで解決していくことは可能である。専門性の高い職種については、なかなか難しい。そこで、高度プロフェッショナル制度に基づき、成果と社員間の理解に基づいた給与の支給が可能になると私は考える。

そもそも、田中氏は「過労死するまで働くか、クビになるか」とおっしゃっているが、実際の労働時間は下がり続けている。これも昨日書いたとおり、日本のGDPが成長しつづけながらだ。さらに言えば、就労人口は減り続けているのに!

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https://jsite.mhlw.go.jp/kochi-roudoukyoku/library/kochi-roudoukyoku/topics/topics222.pdf

現代において長時間労働を求める職場というのはほとんど単純労働であろうと思われる。まあ、その単純労働と思われる働き方すらIT化が進み、上記のように時短に結びついているのだがそれは一旦置く。この高度プロフェッショナル制度において期待されている働き方は、本当に一瞬の判断、一瞬の発想により大きく成果が変わる分野でなければならないだろう。繰り返すが、単純労働の延長で年収一千万は実現しえない。

創造的な仕事、決断をくださなければならない仕事というのは、めりはりが激しい。私の経験で言えば、生産性が上がらない時は、企画書のたぐいを書くのに2時間かかっても1ページも進まない。私は朝型なので、翌日に同じ仕事に取り掛かるとその企画書全体が30分ほどで完成してしまうというような経験をたくさんしている。会社的にも、社会的にも、明らかに企画書を完成させた30分の方が生産性は高いのに、時間ベースの賃金では2時間、3時間とだらだらとパソコンの前で唸っているほうが賃金がたくさん生じるというのは矛盾ではなかろうか?なによりどのような会社であれ年収1000万をもらうほどの人材であれば自分の働き方で生産性のあがった時と、そうでない時の自分の時間の使い方の差はよくわかっているはずだ。私だったら正直に、働いた時間ではなく出した成果で賃金を貰いたい。

会社全体で生産性をあげるためには、経営の神様である松下幸之助の言葉が実は一番効く。現在の労働法規の下では徹底され得ないがこの言葉が会社全体で響き渡っていれば、さぞかし生産性の高い会社になると私は信じる。

「知恵を出せ。それが出来ない者は汗をかけ。それが出来ぬ者は去れ」

まず汗を出せ、汗のなかから知恵を出せ | 松下幸之助の珠玉の言葉 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

そもそも、高度プロフェッショナル制度は、これまで年棒制等で行われていた労働慣行等を法的に規制することによって逆に労働者側を保護する目的で定められたと理解している。決して「促進」する目的で定められるものではないと。

つぎに、田中氏の言う「能力の低い経営者」の問題。誰が経営者の能力の高低を決められるのだろうか?誰がどの経営者を追放すべきだと決められるのか?誰が適切な経営者を選ぶことができるのか?最後のツイートに田中氏の結論がまとめられている。

経営者の能力とパフォーマンスについて多くの人が様々なことを書いている。例えば、ドラッカーは企業とは誰を顧客とするかで*1決まり、後は効率をあげることだけだと書いていた。ケインズは、「アニマルスピリット」だと。ハイエクは政策によらない経済活動の自由の重要さを強く主張した。兎にも角にも、経営者が優秀であるかどうかを事前に決めることは難しい。

企業の目的と使命を定義するとき、出発点は一つしかない。顧客である。顧客によって事業は定義される。

エッセンシャル版マネジメント 「もしドラ」引用箇所 ぬきがき その3 - HPO機密日誌

kotobank.jp

hpo.hatenablog.com

日本の企業の生産性の低さとは、まさに「誰を顧客とするか」という問題について固定的に考えているからであり、日本のように多くの一般会社員及び会社員の年金基金が株主となっている経済構造においては、株主もまた保守的な顧客像で考えている。経営者と株主の首をすげ替えたから大幅に経営革新が進むということではない。もっと言えば、バブル崩壊以降どれだけ日本の大企業が筋肉質になったか、生産性を向上させ続けてきたか。語りたいことはたくさんあるのだが、先へ進む。

21世紀に生きる私達はソビエトの革命が失敗し国家が崩壊し、中国における社会主義が経済停滞をもたらし、中共の下の資本主義に変わらざるを得なくなったことを見てきた。いずれも、資本家、経営者、専門技能者に企業の経営は任せておけないとし、党、委員会、人民公社で経営させようとして大きな失敗をもたらした。これらの歴史的事実を前にすると「能力の低い経営者と付加価値を増加させない株主の退出」とは大変大胆な主張であると考える。

再び、現場感覚で話しをすれば、多くの経営者と接していて、企業の業績は経営者のIQや、最新の経済動向の知識量とは比例しない。ドラッカーが言うとおり、誰を顧客と定義しているか、どの事業分野を選ぶかで会社全体の生産性、付加価値の総量はほぼ決まってしまうらしい。強いて言えば、その経営者のEQ、あるいはソーシャル・キャピタルとしての企業の役割が生産性を決めていることが良きにつけ、悪きにつけ多い。一体誰が経営者のよしあしを事前に判断できるのか?ぜひ田中氏に教えてもらいたい。

hpo.hatenablog.com

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まだまだ論じたりないことばかり、またエントリー上の間違い等もありそうに思うが一旦ここでエントリーをアップしておきたい。あとで、追加修正するかもしれない。


■追記

私のような法律の素人が反論するよりもはるかに説得力のある議論を高橋洋一先生がされている。

gendai.ismedia.jp

*1:マーケティングで言えばセグメントとなるのだが、ドラッカーの主張することはより根源的な問いかけである。 「真摯さとはなにか?」: ドラッカーの言葉と甲子園 ぬきがき その4 - HPO機密日誌

高度プロフェッショナル制度と働き方の多様性

たまたま、Twitterでお見かけした田中信一郎さんと高度プロフェッショナル制度について対話させていただいている。

togetter.com

そもそも高度プロフェッショナル制度とは?長いが引用する。*1

高度プロフェッショナル制度
一定の年収がある一部専門職を労働時間の規制対象から外し、働いた時間ではなく、成果で労働の価値を評価し、賃金を支払う仕組み。労働者は、使用者から自由な時間で働くことを認められる代わりに、残業や休日・深夜労働をしても、割増賃金が支払われなくなる。略して「高プロ」ともいう。
財界の要望を受け、安倍晋三首相が第1次政権時代(2006~07年)から導入を目指している。当時は「ホワイトカラー・エグゼンプション」という名称だったが、「働きすぎを助長するのではないか」などの批判を受けて法案提出が見送られた。第2次安倍政権時代の2015年には、政権が高プロの新設を盛り込んだ労働基準法改正案を国会に提出したが、野党の猛反対に遭い、審議入りできなかった。そして2018年4月6日、政府は高プロを柱とした働き方改革関連法案を国会に提出したが、野党や過労死遺族から「スーパー裁量労働制だ」などと批判されている。
制度の対象となる労働者は、残業代を除く「年収1075万円以上」、高度な専門的知識が必要とされる証券アナリストや研究開発職、コンサルタントなどが想定されている。制度の適用には、本人の同意や、労働者と使用者とで構成される労使委員会の決議が必要となる。また、今回提出された法案では、企業に対し、制度の適用者に「年間104日」「4週4日」以上の休日を確保するなどの健康確保措置を義務付けている。
法案が成立した場合の高プロの施行予定は19年4月で、最終的な年収要件や対象職種は、法案成立後、国の労働政策審議会での議論を経て、厚生労働省の省令で定められる。
(南 文枝 ライター/2018年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

高度プロフェッショナル制度とは - コトバンク

強調は本ブログ*2。気がつくと割りと長いこと人事関係の仕事に関わってきた。一定以上の成果を出せる人材は早めに課長職以上にしたい。なぜなら大きなモチベーションにつながるから。また、リーダーシップの大きなトレーニングになるから。そしてなにより、管理職であれば自分が人を管理する側になるので、時間を自由に使ってもらえるから。よく課長職以上に就任した人材に対して、以下のような話をする。

「これまでは基本的にみなさんが働いた時間に対して給与が支払われてきました。名実ともに管理職になられたので、これからはみなさんの出した成果に対して給与が支払われます。極端なことを言えば、会社に月に一度しか来なくとも*3給与は支払われます。業績考課の賞与への反映もこれまで以上に成果に比重が置かれます。みなさんが柔軟に時間を使って成果を挙げられることを期待しています。」

ところがここに2つほど問題がある。まずは1つ目は、togetterでも触れたが課長職の就任前の係長等時の残業代が割高になっている。このため、役職上は大きなステップアップをしたのに、ちょっとやそっとの課長職手当では、これまでの残業代に追いつかないという現象がわりと広く生じている。この他にも「管理職やりたくない」問題は裾野が広い。なかなか難しい。

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2つ目は、組織の担う機能が多様化していて、専門職化が進んでいるため、部下を配置しづらい、もしくは部下が必要ない地位が結構発生していること。IT技術の進展、クラウドを利用した生産性革命により一人でもかなり大きな成果を上げることができる環境が一般企業でも整ってきている。一方、残業問題、働き方改革において部下がかなりの規模でいないと管理職とは認められないと労基法上、労働慣行上推移しつつある。いわゆる部下なし管理職は認められない。部下を十分数つけられない、付ける必要がないという理由だけで、年次も、能力も、リーダーシップもあるのに課長職にはつけられないとなる。

hpo.hatenablog.com

専門職層の働き方に応じた労働法規整備が、高度プロフェッショナル制度以外に進んでいるという話を寡聞にして知らない。

ちなみに、法規整備の話しで言えば、いわゆる執行役員労基法上の地位もかなり不分明。

Q 執行役員は、会社に対してどのような義務を負担しているのか。

執行役員と会社との契約は、雇用契約(従業員としての身分に近い)か委任契約(役員の身分に近い)であるのが通常である。雇用契約である場合は、会社に対して被雇用者としての義務、すなわち善管注意義務や使用者の指揮命令に従って誠実に労働する義務を負担する。他方、委任契約であれば、執行役員は受任者として民法が規定する各種の義務(善管注意義務、報告義務など。民法644条~646条、654条)を負担する。いずれの場合でも、執行役員労働基準法上の労働者にあたれば、執行役員は労働契約の内容となる就業規則に従う義務がある。

執行役員制度の概要(Q&A) | 執行役員制度の導入と留意点

いまのところ執行役員の過労死という話は聞かない。執行役員が管理職として認められないことはありえないとは思われる。それでも執行役員に対する労働関連法上の対応は必要だと私は想っている。高度プロフェッショナル制度よりももしかすると必要性は高いかもしれない。

以上を踏まえて、田中氏のいまのところの結論に対しての私の意見を予め書いておきたい。まず議論の前提の認識。

現在の日本は、少子化により消費者と生産者のバランスを大きく崩している状態だと私は認識している。このため、

  • デフレ脱却が不完全なままで各企業は売上を伸ばしているところと、そうでないところがまだら模様。ただし、売上の単価は確実にあがりつつある。
  • 労働市場は完全に売り手市場。特に大手の人手不足感は強い。転職も市場的にかなり整備されているし、高度プロフェッショナル制度に代表される金融の専門家、R&Dの専門研究者はどこでも引く手あまた。
  • IT革命等により経費は自然に減少している。

ということで、現在の日本は一人あたりのGDPでみると上昇を続けている。ちょっと古い統計だが、この後自民党政権になってGDPは増え続けているし、就労人口は減り続けているのでこの傾向は変わらない。外国人労働者うんぬんと言われるが、本の数パーセントにすぎないので変わらない。

hpo.hatenablog.com


 
田中氏の「日本にはイノベーションが必要」という目標設定には異論はない。そのためには働き方の多様性とモチベーションアップが必要だということも、田中氏の同意を得られると思う。私は、「そのための高度プロフェッショナル制度だろう」と思う。しかし、田中氏の認識は、「残業代を払わないでいいという制度は社員を鬼のように時間拘束する」という前提に立っている。長く人事関係をやってきたものとして、そんなことを企業は求めていないと強く思う。広い人と人との交流、リ・クリエイションを通じた自分自身のモチベーションアップ、継続的な学習によってのみ革新的なイノベーションは生まれる。むしろ高度人材、専門性の高い職種に就いている人材こそ企業は自由に仕事をさせている。

たぶん、Google社は現在世界で一番革新的なプロダクトを世に送り出しているだろう。そのGoogle社の社員の働き方を見ているとなんだかんだいっても、成果を出せば報酬がもらえるというモチベーションと働き方の多様性が強く必要だとわかる。会社側に立てば、時間に対してではなく成果に対してより多くの報酬を払いたいものだ。革新的イノベーションが果たされれば、より多くの賃金原資を確保できるのだから。

hpo.hatenablog.com

www.businessinsider.jp

外国企業の例では参考にならないということであれば、マイクソフトの日本支社ではどうだろうか?同社の働き方改革もたまたま紹介されていた。こういう働き方を応援するような労働法規体系となって欲しいと思うのは私だけだろうか?そして、日本の企業はこのような方向性を向くべきだと思うのは私だけだろうか?

logmi.jp

田中氏の連続ツイットが終わるのが楽しみ。

*1:ちなみに、コトバンクって朝日新聞の商標だと初めて知った。

*2:ちなみに、この対象となりうる社員はどれくらいの比率で存在するか?なかなかおもしろい統計があった。 日本人の年収1000万円以上の世帯割合【年代別30代40代50代】|平均年収.jp

*3:会社外での仕事が多いので、実際に月に数回しか出社しない社員もかなりいる

PUBG #1

スマフォ版のPUBGが公開されたとTwitterで見かけた。

PUBG MOBILE

PUBG MOBILE

  • PUBG Corporation
  • ゲーム
  • 無料

即インストールしてやってみた。なんと初回で最後の一人に!

いやあ、単なるまぐれだろうともう一度。今度は3位。

ツイートした時は、2位だと勘違いしていたのはご愛嬌。

ほとんど、荒野行動と一緒。でも、まだ普及期なのでいきなり瞬殺とか、見つかったら一発アウトとかいうプレーヤーがあまりいないみたい。

hpo.hatenablog.com

この手のゲームってまだ普及期の段階だと冷静さがすべてかなと。打たれてもちゃんと回避して、相手を補足して打てば勝てる。足音や、物音をたてて移動している相手をゆっくりとスコープにおさめて打てば勝てる。荒野行動は死ぬほどそっくりなんだけど、よりリアルな感じ。

はまり過ぎない程度にやってみる。