HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

無理ゲー社会:勘違いしていたメリトクラシー

しばらく前に橘玲さんの「無理ゲー社会」を読み終わった。表紙の「才能ある者にとってはユートピア、それ以外にとってはディストピア」が本書のテーマを余すことなく表現している。

本書の中で重要キーワードは「メリトクラシー」だ。たまたま、40年近く前、大学のある教養科目で教育社会学のレポートを書いた時に教授から教わった。その時は、「知的能力が高い人物達が権力を握ることのどこに問題があるのだろう」と考えた。教授のメリトクラシーに対する否定的な言葉の取り扱いに違和感を覚えたほどだった。

メリトクラシー (meritocracy) とは、メリット(merit、「業績、功績」)とクラシー(cracy、ギリシャ語で「支配、統治」を意味するクラトスより)を組み合わせた造語。

メリトクラシー - Wikipedia

本書を読み終えた今、メリトクラシーとは恐ろしい言葉であると感じる。能力あるものが統治権を握る、という一見全く正しいテーゼから抜け落ちてしまうのは、「自分らしく生きたい」と願うところから人々の絶望が始まるということだから。橘玲さん自身が語っている。

 歴史的には、「自分の人生は自分で決める」「すべての人が自分らしく生きられる社会を目指すべきだ」という思想は、1960年代の米国西海岸のヒッピーカルチャーの中から生まれて、10年もたたずに世界中の若者をとりこにしました。これは、キリスト教イスラームの誕生に匹敵する人類史的出来事です。この新しい価値観のもとでは、すべての子供に夢を持たせて、その実現に向かって頑張らせなければならない。でも、「夢なんてない。どうすればいい?」「頑張っても実現できなかったら?」と聞く子供に対して、どんな答えが返せるでしょう。

『無理ゲー社会』橘玲に聞く 「自分らしく生きる」が生んだ絶望:日経ビジネス電子版

ちなみに、メリトクラシーを上手に解決した社会を描いた小説がある。

hpo.hatenablog.com

本書においては、生まれ落ちたところ、いや、生まれ落ちる前からメリトクラシーによる選別がなされている。能力があまり必要ない、しかし社会が成り立つには必須の仕事をする知的に低い層が設定されている。しかし、大脳への制約とソーマと呼ばれる薬を使うことによって階層社会に不満を持たないようにしている。小説が進むにつれて明らかにされるのは、社会的変動、技術革新をも抑制することによって成り立っている社会であることが明らかになる。

しかし、現実の社会においては本書で何度も述べられるように技術革新も、富の分配もエクスポネンシャル、べき分布的に進んでいく。さらに、現在のリベラル全肯定社会においては、生まれ落ちる前からの階層社会は実現できるわけがない。儒教的、保守的な家庭に育った私としては、では「足を知る」で生きていこうとなるのだが、いまの倫理感とはとうていつりあわない。昨今のジョーカー事件などを見るにつけますます解決不能の問題として、メリトクラシーが立ちあがってくる。

news.tbs.co.jp

本書に述べられている非モテセクシュアリティキャピタルの問題も機会があれば反芻したい。本書は数回にわたって読みながら考えるべき課題をつきつけられている。