今頃読んだ。アフターコロナを考え、「ハーモニー」を見、「レダ」を思い出しながら読んだ。大変興味深かった。
正直、SFファンを自認しながら50代にして初めて本書を読むとはなんとも恥ずかしいことだと。なんとはなしに「1984年」のいたたまれなさ、生きる辛さと同様の物語だと思いこんでいた。更に言えば「レダ」は全く本書の換骨奪胎なのだとも気付かされた。
どうしても完璧な管理社会SFは暗く、不幸感に包まれるイメージがあるが、本書は大森望氏の軽快な翻訳のおかげもあり、明るい「新作のSF」として読めてしまう。「野人」ジョンの視点と「新世界」の3人との対比により、人間の自由とは、幸福とは何かが問われている。
野人ジョンの語るシェークスピアは20世紀の知識人であるハクスレーの白眉なのだと思う。見事な引用だ。機会があればぜひ原文を読みたい。「オージーポージー」は、「ジョージーポージーだろうとか言葉遊びもかなり入ってそう。
菅直人氏は本書に強い影響を受けているという。
私はみんなが幸せになる、だからまさにユートピアでありますけれども、しかし人工的に人為的に政治権力でもって、みんなが幸せな社会を、もしそれがこのすばらしい新世界だとすれば、これほど非人間的な社会はない、そのことをその小説から学びました。私はそういう意味で、政治の権力というものを何のために使うのか、もちろん一般的には幸福をみんなに実現するためなんですけれども。そういった意味で言えば、強制的な幸福というのはやはりありえない。
条件づけの問題は「ハーモニー」に受け継がれている。その結末を含めて私が触れた中では一番の直系の後継作品なのかもしれない。
いずれにせよ2020年という非常に象徴的な年代にコロナショックがあり、アフターコロナでは政府の存在がずっと重くなるだろうと考えている。今の自粛はまだ入り口でこれから、人は健康であることが「義務化」されかねない。そんな時代の世界のあり方、自由と幸福が再びハックスレーから百年経って問われ直されるのだろう。
それにしても、大森訳の「むちむち」の元英単語がなにか最初から最後まで気になって仕方なかった。