第一印象はおもったよりも過激でないかなって感じ。山形さんのメモの方がはるかにまとまっている。それでも、あとでまとめるためにちょっとだけぬきがき。
- 「戦争の廃止は、独立主権国家や、伝統的な民族国家の廃止にどうしてもつながってしまうのだ。」
- 「戦争なしには、いかなる政府もその「存在意義」またはその社会を支配する権利を獲得することはできなかった。」
- 「それは、戦争がかつて社会組織力の中心であり、その状況はいつでも復活し得るということを象徴的に思い出させるためのものであったのだ。それが儀式の唯一の機能ではないにしても、主要機能ではあった。」
この辺はスカイ・クロラを思いだす。
- 「戦争は、抽象概念的なものから狭い技術的なものまで、あらゆる水準での科学の進歩における主要原動力であった。」
- 「戦争の非軍事経済機能を(多少なりとも)認識しているとおぼしき少数の経済転換プログラムは、軍事支出の消滅によって生じた真空を、いわゆる社会福祉支出が埋めるであろうと想定する場合が多い。」
- 「たとえば、大規模な環境汚染はやがて、種の生存にとっての明白で主要な脅威として、核兵器による大量破壊の可能性に代わるものとなれかもしれない。」
とても40年以上前に書かれたとは思えないほど、現在の状況を予測している。
- 「出産を人工受精の場合のみに限るという制約を広く設けることで、戦争に頼らず人口レベルをきわめて適切にコントロールできるのはまちがいない。」
栗本薫が「レダ」を書いたときには、「アイアンマウンテン」を読んでいたような気がする。

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たとえば、軌道エレベーターとか?米国の軍事費は一兆円の何倍だろうか?
目的は、戦争システムが社会維持のために必要または望ましいと判断される限りにおいて、それがその本質的な非軍事機能を継続して有効に果たし続けることを確実ならしめることである。」
ここでのべられているような戦争の数理的な研究のいきつくさきは、先日教えていただいたべき則と戦争の関係の研究あたりなのかもしれない。べき則を戦争が示すことが事実であれば、戦争は自然現象に近く不可避であることが示されたのかもしれない。