HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

南無地獄大菩薩

白隠禅師の日めくりをときおり眺めている。いろいろ浮世の悩みはつきない中、「南無地獄大菩薩」の書が私に迫ってくるように感じた。

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南無地獄大菩薩
白隠「南無地獄大菩薩」とジョン・レノン「イマジン」 - 足立区綾瀬美術館 annex

余談から入るが、なんとこの白隠禅師の「南無地獄大菩薩」がジョン・レノンの「イマジン」の歌詞につながっているのだと。オノ・ヨーコは名家の出なので、禅画や、書に詳しくてもおかしくない。「イマジン」の歌詞のもとはヨーコの詩集のはずだ。

この作品に影響を受けたイギリス生まれのミュージシャンがいます。彼の名はジョン・レノン。(中略)「ぼくにとって最高の詩は俳句だし、最も優れた絵画は禅画だ」とインタビューで答えています。白隠の書画にも強く惹かれるものがあったらしく彼が「南無地獄大菩薩」にインスパイアされてつくったのが、いわずとしれた名曲『イマジン』なのです。

白隠「南無地獄大菩薩」とジョン・レノン「イマジン」 - 足立区綾瀬美術館 annex

賛否両論はあったようだが、そうすると東京オリンピックの開会式で「イマジン」が演奏されたのには根拠があったのかもと。

さて、「南無地獄大菩薩」。日めくりの解説によると、白隠禅師は幼い頃に地獄の話しを聞いて、その恐怖があったからこそ発心されて仏門に入られたと。悩みがあるからこそ、悟りを求める人となれる。悩みが深く、地獄に落ちるしかないような自分だからこそ人生を肯定できるのではないかと最近思う。

少し前に子供をなくして悲嘆に暮れていた。なぜ死んでしまったのか、私がしたことが子供の死につながってのではないか、私が何かをしていれば死なずにすんだのか、本当に苦悩は尽きなかった。そんな中で、知り合いのお坊さんから「お子さんの死を肯定しないさい、『なぜ』と問えば問うほど生きている人達の心をむしばむだけです」という話しをいただいた。どうやったら若くして死んでしまった子供の死を肯定できるのかと、話しだけでは響かなかった。その後、仏教書を読んだりはした。理趣経の十七清浄句の本を読んだりして否定の否定、愛欲すらも肯定につながる話しをおぼろげに理解していた。ふとあるときに、親しい知人と子供の話しをした。その時に初めて、子供の生を肯定することは、自分の生を肯定することなのだと初めて気づいた。子供が生ききったと言い切れる心境に初めてなった。初めて、子供から「お父さん、私の分まで生きて」と言ってもらえているように思えた。

般若心経の「無無明 亦無無明尽」という節をよく思い出す。「無明も無く、また無明が尽きることも無い」、そう無明が尽きることはないと。貪瞋癡、むさぼる心、愛欲の惑う心、怒りの心、人を嫌悪する心、愚痴の心、愚かな心、すべてが尽きることはないのだと。でも、それでいいのだ。人の生き死に、これでもかとつきつけられる厳しい課題、自分がこんなに悩んでいても周囲に理解されない腹立ち、すべては無明であるのだと。しかし、その無明と向き合い、付き合いきることこそが「無無明」なのだと。

先日、NHKで「悲→喜カメ」という番組をやっていた。マイナーな番組で見た人は少ないだろう。メタ認知、自分のおかれた立場を「引いて」見ることで悲劇の主人公であった自分を喜劇に見立てて自分の人生を肯定して生きようという内容であるように私には想えた。私はまさにこの方法こそが「南無地獄大菩薩」であり、「無無明 亦無無明尽」なのではないかと大変浅薄なことは自覚しつつも考える。

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まだ、言語化すること自体に無理があったかもしれない。私自身がまだ腑に落ちていないことを書いていて感じた。私の中で人生の否定にこそ肯定するタネがあるのだという心境になったので書いみたいと想っただけ。それでも、死すらも肯定できるかもしれないと想っただけで長く書けなかったブログを再開することができた。人生の困難に再び立ち向かう勇気がうまれた。もっと分かりやすく話せるようになったらまたトライしよう。それこそイマジンの世界平和へつながる道なのかもしれないのだから。