HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「維摩経」

以前一燈園にお世話になった時から、維摩経を一度は読まなければと想っていた。先延ばしにするばかりで今まで来てしまった。

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先日、足利学校を訪ねた時、図書室で維摩経関連の書籍を見つけた。サンスクリット語のテキストが日本のチベット研究の中から見つかったことを初めて知った。改めて初学者向きの本を探したところ、NHKの「渋護寺」、人生相談でいつも明快なお答えをされている釈徹宗さんの維摩経の解説本を見つけた。一気に読めた。読んでいる時、ずっと釈師のやさしいお声でテキストが語りかけてくれた。

『維摩経』 2017年6月 (100分 de 名著)

『維摩経』 2017年6月 (100分 de 名著)

素晴らしい解説で、維摩経維摩がどれだけ仏教の根源に迫っていたのか伝わった。大乗仏教が成立する中で既存の仏教との決別の象徴としてか、維摩経仏弟子、シャーリプトラが維摩に真っ先にやり込められているという。唯一私が唱えられる般若心経においても「舎利子」、シャーリプトラに語る形で大乗の教えが展開されているのも理解できる。

般若経』など大乗の経典では、声聞乗(śrāvakayāna)[1]を代表する長老の仏弟子として登場することが多い。『般若心経』の舎利子は、この人物のことである。

舎利弗 - Wikipedia

釈師は、「自分の都合を小さくする」ことこそが苦悩を小さくすることであり、自分の都合を小さくすればするほど当たり前にものが見えてくると書かれている。仏教の基本の基本、八正道の第一、正見とは「自分の都合を小さく」してものを見ることなのだと今頃知った。戒律も「自分の都合を小さくする」ためにあるのだと。本当にその通りだと感じた。

さらに維摩経の冒頭でのお釈迦様の言葉が素晴らしい。

「じつは菩薩(悟りを求めて仏道を歩む者、つまりここに集まった人々)にとっては、この生きとし生けるものが網の目のようにかかわり合っているこの世界こそが仏の国なのです。より良く生きようとする姿勢こそが仏の国を実現し、仏の導きに従って生きようとすることがこの世界を仏の国にするのです。
なぜなら、菩薩たちは他の人々を救いたいと願っているからです。ここにいる みんなは、これから悟りを開いて仏となる道を歩んでいくことでしょう。そして みんなが仏となる、すなわち仏の国がうち立てられるということです。しかし、 仏の国は社会の人々とまったく関係のないところに成立するのではありません。 世俗とともにあるのです。そのことをよく理解しておかねばなりません」

やはり、一燈園に想いは戻っていく。*1維摩の活躍のこの後は、いまの私の段階を遥かに超える。在家で仏道の修行をするという姿勢、いま生きている娑婆世界こそが仏の国なのだといまはここを学んでおきたい。

*1:

天国も地獄も状況はかわらない。丸いテーブルにたくさんのごちそうを人々が囲んでいる。天国と地獄で違うのは、人々の手にくくられた長い箸で人の口にいれてあげるか、自分の口に入れるというむなしい努力をつづけるかだけだ。それを制度の側でなく、人の信仰の側から、こころの側から作っていくことが大切だ。

「懺悔の生活」 - HPO機密日誌