HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

一切衆生悉有仏性:「道元正法眼蔵 100分de名著」

凡で鈍で怠惰な私には、いつまでたっても悟りは来そうもない。それでも、仏教の学び、特に正法眼蔵にはいくつになってもトライし続けるだろう。今回も何回目かのその時節。

今回は第三章、「全宇宙が仏性である」から。著者のひろさちやさんは、「一切衆生有仏性」を「一切は衆生なり・悉有が仏性なり」と読むと道元が主張したと書いていらっしゃる。この言葉に白隠禅師の禅画を思い出した。

「見上げてみれば鷲頭山、みおろせばしげ鹿浜のつり舟」 - HPO機密日誌

私は迷いも不十分、修業も不十分、さらにいえばどこか頑ななところがいまだに変わらない。凡夫としても酷い男だ。それでも、私はこの絵の中に自分の居場所があるように想える。まさに「全宇宙が仏性」なのだと。お客様の「場所」に関わる自分の仕事とは、実は自分の居場所、ふるさとを作ることなのだと今更ながら気づいた。全ては仏性なのだからと。

この章のおわりに著者は、「而今の山水は、古仏の道現成なり」ではじまる山水経を紹介している。この山水経の言葉の田里亦無先生の書を以前拝見した記憶がある。

「道」とは「言う」あるいは「道理を言う」という意味の動詞です。したがって、「而今の山水」、すなわちいまわれわれの目の前にある山水は、「古仏の道現成なり」、これまでこの世に出現された諸仏の説法に他ならないーーーと道元は言っているのです。諸仏は、われわれの目の前に山水とった形態をとって出現され、そして我々に説法しておられる。ということです。

田里先生の書に少しだけ近づけたことをとても嬉しく思う。