白隠禅師のお言葉と絵にはいつも教えられる。この讃の言葉は私にとって仏教の本質を示しているように思える。
この絵は、遠景に鷲図山を、近景に船で漁をする人々を描いている。恐らく沼津の海であろう。山の頂上付近には巨大な鷲がとまっていて、漁をする人々を見下ろしている。鷲は釈迦の分身で、衆生の教化にいそしんでいるようにも見える。
鷲頭山図:白隠の禅画
衆生からすれば、そびえ立つ鷲図山は偉大でとても近づけない。各所には難所がまちうけているように思える。しかし、実際に幾人もの人達が難所を超えて山に登り、私達を見守ってくれている。私には想像することすら恐れ多いが、登った方々から見ても浜の雄大な情景、そしてそこで勤しむ人々は美しく映るに違いない。ここに仏教の境地があるように私には思えてならない。日々生きることこそが命の力をいただいている尊い時であり、ここにこそ鷲図山、鹿浜が広がっている。一日一日を大切に生きていきたい。
本当に何度読んでも白隠禅師の言葉とお示しいただいた絵は深い。
先週は、私にとって数年来準備してきたことにひとつの句読点を打つ日々であった。ここから先の目標はいままでとは違い、後継となる方々にいかに成長していただける環境を作るかになっていくだろう。まさに讃の言葉を眺めていらっしゃる七福神のお気持ちを慮らなければならない。