HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「心で心はとらえられない」

先日、南禅寺の三門に昇った時に、「禅-心をかたちに-」という展覧会のポスターに目を引かれた。

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「禅-心をかたちに-」(東京国立博物館) ごあんない

この部分。

将軍と禅僧

http://rinnou.net/rinzai1150/images/chirashi_tohaku.pdf

「心で心はとらえられない」、ああ、まさにそうだ。「心で心はとらえられない」、ましてとらえられないものを鍛えることはできない、「心で心は鍛えられない」。心は行動でしか鍛えられないのだ。

今日、ようやく展覧会に行ってこれた。分かってはいたが、実質臨済宗の寺宝展だった。体系的にわかりやすく展示されていた。禅の立場からどう心に、修行に、社会に切り込んでいくかの祖師以来の行動がまさに示されていた。

先日、若冲黄檗宗の僧侶だった売茶翁との深い師弟関係をについて読んだばかりだった。この視点からも禅の実践ということで興味深い展示物が多くあった。

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最初からわかっていることではあったが、曹洞宗の系統の事物はおろか、歴史すらも展示されていなかったことが少々残念といえば残念だった。逆に言えば、禅の系統で道元禅士がいかに異色であるかが、浮かび上がったように私には想われた。

正師を求め諸山をたずね、ついに天童山にて如浄(にょじょう)禅師とめぐりあわれます。道元禅師は如浄禅師を生涯の師として仰ぎ、坐禅修行に励まれます。そして、ついには悟りの境地を認められ印可証明をうけ、お釈迦さまより脈々とつづく正伝の仏法を受け継がれたのでした。

道元禅師のご生涯|曹洞宗について|曹洞宗近畿管区教化センター

余談だが、禅寺では修行の励みとして、羅漢像、羅漢の姿を飾ることが多いと展示されていた。五百羅漢の中で、羅睺羅尊者の名前と像も初めて一致した。なぜ胸の中に仏様がいらっしゃるのか初めて知った。釈尊の息子なのだ。ラーフラなのだ。成田山の五百羅漢の中でも異色のお姿であったので記憶には残っていた。

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山田無文師の本を買ってきた。読むのが楽しみ。

般若心経

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