「あの」ダンカン・ワッツが書いたネットワーク思考からの社会に関する思考。本ブログのようだと書いてしまえば、あまりに不遜になるが複雑科学、ネットワーク思考から現代社会の諸問題に切り込むスタイルは「あり」なのだと。
本書は、常識とされている群衆による予測行動の正確性、インフルエンサーの存在、予測と対象のちらばりから社会的公正さに至るまで幅広い社会学的な課題を論じている。その中でも、いま現在興味をそそられるのは、インフルエンサーが存在するかという問題だ。ワッツは本書執筆当時Yahooに在籍していて、ツイッター、Facebook、あるいは仮想的な音楽配信サービスなどを駆使し、インフルエンサーの存在、その実効性について実験、分析した。その結果、インフルエンサーがインフルエンサーたり得るのはネットワーク側の「燃え広がりやすさ」の問題である結論であったと。多くの実験と実証例が示すのは、インフルエンサーが存在するのは偶然とタイミングの問題である特別の才能や、特別の絆ではないということだと。
ダンカン・ワッツ、「偶然の科学」。まさに新型コロナの感染における「燃えやすさ」。インフルエンサー側の問題ではないと。 pic.twitter.com/Pre0e43Qwl
— ひでき (@hidekih) 2021年8月13日
そうですね。下は先の引用の次のページです。書いてあるのはクラスター、スプレッダーの追跡をしていってもその要因はタイミングと偶然性が多く、共通の特質を見いだすのは困難だと。実際、今回のパンデミックで1年以上のクラスター、スプレッダーの追跡からは共通の因子は見つかっていないのでは? pic.twitter.com/nvlRGFTqri
— ひでき (@hidekih) 2021年8月15日
社会的公正さについてはワッツ自身のネットワークに関する知見に基づき、社会的公正差を論じサンデルの主張を引く。
政治哲学者のマイケル・サンデルは近著の『これからの「正義」の話をしよう』(鬼澤忍訳、早川書房)で同様の指摘をおこない、公正や正義に関するあらゆる問いはわれわれが互いにどれだけ依存しているかに照らして(最もわかりやすいのは友人や家族や同僚や同期生のネットワークだが、共同体、国家的アイデンティティや民族的アイデンティティ、さらには遠い先祖までも含めて)裁定されなければならないと論じている。
われわれは「仲間」の人々の成果を誇りに思い、よそ者から仲間の人々を守り、必要なときは助けに駆けつける。自分と結びついているという理由だけで忠誠の義務があるように感じ、向こうがそれに報いてくれることを期待する。だから、社会的ネットワークがわれわれの生活できわめて重要な役割を演じていて、われわれを資源に結びつけ、情報と支援を提供し、相互の信頼としかるべき敬意に基づく取引を促進するのも、無理ではない。
これは、私が至ったネットワークにより価値が決定されるという知見に等しいと私には感じられる。
ネットワークにおいて、あるノードが果たす役割は、そのノードと同じ瞬間にリンクしている他の全てのノードとの関係によって、またそれによってのみ決定される。ノードは、他のノードとの関係においてのみある役割を持つのであって、単独で存在するノードには意味がない。
対話、ネットワーク、そしてマッハの原理 Mach!: HPO:個人的な意見 ココログ版
さらに、同類性、似たものが集まってくるという知見についても書かれている。これは「人は人が欲しがるものを欲しがる」という原理であるかと。
より深く読むべき、より深く理解すべき事柄がまだまだ沢山本書には存在する。最近は複雑科学、ネットワーク思考はこれ以上の進展はないとうち捨てられているように見える。私は一介の市井人にすぎないので一貫性はなく右往左往するばかりだが、社会と人間の理解に対する物理学的アプローチには新しい社会的な合意の基礎があるように思える。