ある方から勧められて読んだ。山本七平のフィリピン戦と本書の堀栄三氏の書くフィリピン戦では180度違う印象。
言うまでもなく、インテリでありながら動員されてフィリピンの最前線に山本七平は送られた。戦後の捕虜の体験まで含めて生涯戦争とはなんであったかを考え抜いた人物であったと私は捉えている。
山本七平の描く収容所では、米国誌にのった東京裁判の被告たちがちゃんとごはんを食べてることに憤るほど、ひどい暮らしをしていた。たしかに、銃後で大日本帝国の指導者たちはぬくぬくしているように見えただろう。実際、東條英機自身が「統帥権はおかしい」と遺書の最後に書くくらいだから、参謀本部はあまりに無能だとしか見えないし、無造作に人を犠牲にしすぎたと誰でも思うだろう。
リーダーにできることは腹を切ることくらい - HPO機密日誌
本著の著者、堀氏は大将であった父のもとに生まれた。軍人一族だったのだろう。そして、若くして大本営の情報参謀として活躍した。その真骨頂は米軍の作戦分析とフィリピン方面軍山下大将の参謀としての活躍であった。本書によれば、太平洋戦争開始後、二年経ってようやく米軍のオレンジ作戦、大正の昔から準備されたという「飛び石作戦」と呼ばれる作戦研究ができたという。飛び石作戦は、単に島伝いで日本を攻める作戦であるにとどまらない。日本軍は歩兵の発想で太平洋を「面」で捉えたが、米軍は制空権の優位性を十分に認識し「立体」として考えていた。守る日本軍側は膨大が「面」を守らなければならないが、攻める米軍側は制空権さえ得てしまえば、点と点をつなぐ立体として日本本土への攻撃の拠点を捉えることができたと辻氏は述懐している。
陸軍と海軍 - HPO機密日誌
米軍の作戦の分析により、圧倒的な物量、艦砲射撃、爆撃、銃弾などの「鉄量」で米軍が拠点となる島を蹂躙することがわかった。しかし、物量戦であるがために車両の交通が難しい山間の作戦は十分に利点を活かせない。そのため、硫黄島の栗原中将のように水際作戦をやめて、十分に山側に米軍をひきつけ、ゲリラ戦で持久作戦を行う方針に昭和19年になってようやく転換したのだ。本土進撃をいかに遅らせるかのために辻参謀が山下大将に進言したのがフィリピンの持久戦であった。山本七平の受難は水際作戦、正面作戦ではなくだらだらと続く持久戦が採られたために生じたのだと本書を読んで私は理解した。
その他にも、いかに旧帝国陸海軍が官僚主義的であり「死」に対して陶酔的であったかを裏付けるような話が本書には満載されている。やはり、戦うためには辻参謀のように想像力をどこまでも働かせ、考えに考え抜くしかないのだと改めて知った。情報参謀とは言え、地道な情報収集しか素材はないのだ。現代日本には想像力と柔軟性、行動力、実証力が一番足りないのではないかと新型コロナ戦においても実感せざるを得ない。
本書で一番リーダーとして大事であったと思うのは、新任の情報参謀を戦地視察に行かせるところだ。いつになっても、現場感覚をもった幹部、参謀は貴重な存在なのだ。