帝国陸軍の存在の底に「死の哲学」があることは、頭では分かっていた。「未完のファシズム」に語られた、対ソ連、防共のための陸軍から、対米戦への転換ができないまま太平洋戦争に突入したことを頭では理解していた。
この「包囲殲滅戦+短期決戦」というドグマを主軸に置く「統帥綱領」を作成したのは小畑敏四郎中将だった。元々は、小畑は3年以上におよぶ長期出張によりロシア軍の第一次世界大戦での戦闘をつぶさに観察した。長期戦で総力戦になれば、国力に劣る国が敗れる。あるいは、まさに小畑の長期出張中に起こったロシア革命のように国がつぶれる。冷徹な第一次世界大戦の観察から、小畑は日本を大国に国力で劣る「持たざる国」と規定し、日本が唯一戦わなくてはならない、が、しかし、戦うからには必ず勝利しなければならないのはロシア改めソ連だと想定していたという。
しかし、フィリピンに投入された40万人のうち33万人以上が戦死、病死したリアルには言葉を失う。
フィリピンの戦い (1944-1945年) - Wikipedia
山本七平の過酷な体験に基づく洞察には、「包囲殲滅戦」など理屈にすぎないと思えてしまう。「死の哲学」の前に「包囲殲滅戦」思想があったというのに。死者は能弁であり、絶対的な説得力を持つ。
軍部ファシズムの四本柱「統帥権・臨軍費・実力者・組織の名誉」の底にあったものは何か?それは「死の哲学」であり、帝国陸軍とは、生きながら「みづくかばね、くさむすかばね」となって生者を支配する世界であった。それは言論の世界ではなく、死の沈黙の支配であり、従って「言葉なし」である。
生きながら自らを死者の位置においた者との対話は、搭上の自殺志願者の説得以上にむずかしい。否、それは原則的にいえば不可能である。まして、その志願者と自分とが、「日本という断ち切れぬ綱」で結びつけられていれば、その志願者はハイジャッカー同様、死の力で生者の上に絶対的な支配権を振るいうる。そのもに、「ああしろこうしろ」と命ぜられれば、だれでも、どんな苦役にでも超法規的に従うであろう。
知人に「バンカー・ヒル」の話しを聞いた。「包囲殲滅戦」思想の帰着としての特攻は無駄ではなかったと。
特攻 空母バンカーヒルと二人のカミカゼ―米軍兵士が見た沖縄特攻戦の真実
- 作者:マクスウェル・テイラー・ケネディ
- 発売日: 2010/07/12
- メディア: 単行本
沖縄侵攻を支援中の1945年5月11日の朝、バンカー・ヒルは二機の特攻機の突入によって大きなダメージを受けた。低空を飛行してきた安則盛三中尉操縦の零式艦上戦闘機は飛行甲板上に500キロ爆弾を投下した、爆弾は飛行甲板と舷側を貫通し艦の横数メートルの海上で爆発した。その後零戦は飛行甲板に突入し、燃料を満載していた艦上機を破壊し大火災を引き起こした。小川清少尉の操縦する二機目の零戦は対空砲火を通り抜けて500キロ爆弾を投下し、乗機は艦橋と飛行甲板の境に激突した。
(中略)
なお、硫黄島上陸作戦からこの日(5月11日)まで、バンカー・ヒルは第58任務部隊(高速空母機動部隊)の旗艦であり、司令官のマーク・ミッチャー中将が座乗していたが、この特攻攻撃により大破する。ミッチャー中将は旗艦をエンタープライズに変更した。しかし、その3日後の5月14日にエンタープライズも特攻攻撃により深刻な損傷を受け、ミッチャー中将はランドルフへの旗艦変更を余儀なくされた。
バンカー・ヒル (空母) - Wikipedia
フィリピンも本土を守ろうとすれば、「特攻」してでも守らなければならない位置ではある。
よくよく、「生ける死者による支配」については考えてみる必要がある。これはいまも同じ構造が存在する。特に、高齢者と若者との対比を考える上でだ。