HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「年の瀬」から3年

三年前の年の瀬には、天理教創始者、中山ミキの生涯を書いた「教祖様」を読んでいた。私としては、限りなく生きて死人に近づいた瞬間かもしれない。

この物語はほんとうに読むのが辛い。人が次々と亡くなっていく。つらい、つらいと思いながら読み進めた。

第十章の中山みきの「死」のところまで来て愕然とした。もう時間が過ぎ当然元旦になっている。「世界が動く」と明確に自分の死について話したのが、明治20年の元旦であるという。

年の瀬 - HPO機密日誌

このエントリーの一週間ほど前に妻を追い出した。子どもを置いたまま出て行かせた。夫婦生活でかなり追いつめられた後でのことだった。たぶん、お互いに追いつめ合っていたのだと。3年もたつと、もう当時のことを思い出すこともない。当時、ブログのエントリーにはぐだぐだとそのつらさを書いたことは記憶している。

さっき、漠然とテレビを見ていたら、ジェリー藤尾が出ていた。私が記憶している姿からのあまりの変わりように驚いた。そして、Wikipediaで調べてみて二度驚いた。

<クリスマスイブの日に女房は出ていったんです(中略)私は許せなかった。娘たちが友人たちを大勢招待しているイブに、わざわざ出ていくことが許せなかった(中略)あれだけ自慢だった家庭が音をたてて、あっけなく崩れていきました>
 そして7か月後、1986年7月に正式離婚。その理由は「夫と妻の収入が逆転した」「夫のDV、酒びたり」「妻の両親と夫の不仲」などさまざまに報じられた。まさに“泥沼の離婚劇”だった。
 そして、このとき最大の問題とされたのが、どちらがふたりの娘を引き取るかということだった。離婚原因はジェリー側にあるとする報道があふれる中、しかし娘たちは父を選んだ。世間のバッシングが身にこたえていただけに、娘たちの選択にジェリーは思わず涙をこぼしたという。

http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20101213/Postseven_7936.html

ああ、家庭などそんなもんなんだなと。いま子ども達と一緒にいても、もう数年もすればそれぞれ独立していく気配がする。長くとも10年もすれば、自分の家にひとりという事態もありうる。70にして独り身をつらぬいているジェリー藤尾はひとごとではないのだと、年の瀬の今日、切実に自分の身の振り方を考えた。