「台湾の主張」を読了。なぜ台湾はこれだけ中国の大陸に敵対しながらも、共産化しなかったか。その答えの一端が本書に記されている。
- 作者: 李登輝
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 1999/06
- メディア: 単行本
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李登輝は元々学者であった自分で語っている。政治を習ったのは、蒋介石の息子であり、後継の総統であった蒋経国からだと。ちなみに、台湾に行ったときも何人かの方から蒋経国は尊敬を受けていると聞いた。
総統蒋介石の長男として、中国浙江省に生まれる。生母は毛福梅だが、経国誕生後に離婚している。
(中略)
1922年、上海で学生生活を送るようになり、呉稚暉の影響を受け、1925年の五卅運動に積極的に関与している。その後、父・蒋介石と対立し、中国共産主義青年団に入団する。同年10月には本格的な共産主義者になるべく、ソビエト連邦のモスクワ中山大学に留学し、のちに統一問題で対話する鄧小平らと知り合い、1927年に卒業している。留学中にロシア名 ニコライ・ウラジーミロヴィチ・エリザロフ(Николай Владимирович Елизаров)を与えられ、ソビエト共産党にも正式に入党する(後にこれらの経験から政治将校などといった共産主義のノウハウを取り入れた)。父・蒋介石が起こした上海クーデターによって中国国民党と中国共産党が敵対関係に入ると、ヨシフ・スターリンより事実上の人質にされ、またスターリンとレフ・トロツキーの権力闘争ではシベリアに送られるなどの体験をしている。また現地でロシア人女性 ファイナ・イパーチェヴナ・ヴァフレヴァ(Фаина Ипатьевна Вахрева, 中国語名・蔣方良)と結婚している。
蒋経国 - Wikipedia
日本に対して行ったように、いくらでも台湾を赤化するチャンスはあったはずだ。まして、総統の蒋経国は一度は共産主義者であった。よほどきちんとした政治を継続的に行っていなければ、赤化し、戦争によらずに内部からの問題で大陸に取り込まれていてもおかしくはなかった。その政治家としての緊張感を本書のそこここに感じる。