これまで心から山本五十六元師を尊敬してきた私にとって、本書の内容はかなり衝撃的だった。
連合艦隊司令長官 山本五十六の大罪―亡国の帝国海軍と太平洋戦争の真像
- 作者: 中川八洋
- 出版社/メーカー: 弓立社
- 発売日: 2008/06
- メディア: 単行本
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本書が明らかにしているのは、長年考え続けてきたなぜ日本は北進から南進に転じたかの答えであった。また、「成功した革命としての2.26事件」の確証がここにあった。
そもそも省みれば、大成功とされた真珠湾攻撃も、肝心の空母も叩けなければ、石油タンクや、ドックも攻撃しなかった。これは一重に二次攻撃をためらったがためにある。そこを辿れば、なぜこの場に連合艦隊長官である山本五十六がいなかったかということにつながる。
以下、ミッドウェー、ガダルカナルと、確かに大本営の方針に逆らってまで取り組んだ作戦はいずれも大失敗。半藤さんの「山本五十六」を読んだときから、あれ?ヤマトホテルでずっと将棋を指してて前線で戦っていないという違和感があった。
しかし海軍は”降伏の好機”なんかどこ吹く風と、ガダルカナル島撤退の1943年2月から、1944年6月のマリアナ沖海戦まで、「1年4ヶ月の永い休暇(冬眠)」に入った。
八洋先生によれば、戦争において、ましてこちらが戦力的に劣るときは、「攻勢防御」
ナンセンスだと。そもそも最初から「絶対防衛権」の専守防衛にあたり、陸軍との連携において島嶼部をまもるべきであったと。
キスカ島・アッツ島への陸軍部隊の駐兵にしても、ブラウン海礁の駐兵にしても、クェゼリン島の駐兵にしても、防衛不可能な「前方進攻」ばかりである。
しかも、真珠湾攻撃に勝利しても東京空襲は免れ得ないと山本五十六は手紙に書いていたいと。
こうした事実のもとにさらに驚愕であったのは、この石川信吾という人物。
蓮沼蕃・侍従武官は、新任の嶋田繁太郎・海軍大臣に対して、宮中で、次のような愚痴を漏らしている。
「6月には、陸海軍ともに(対米)不戦なりしに、海軍省某課長(石川信吾)の反対にて一夜に変じ、ついで7月、9月の御前会議となりたり。この態度(事態)に導きたるは海軍なり」(嶋田繁太郎大将備忘録)
実際に、後日、石川信吾は、対英米戦争の立役者を自認し、「(日本を)戦争にもっていったのは、オレだよ」と公言している。
石川信吾は、「現情勢下において帝国海軍のとるべき態度」を書いた人物であり、八洋先生のおっしゃるとおりGRUといったソ連の諜報員であったとまでは思えないが、共産主義の影響を明らかに受けている。
うーん。
次回は、まさに「成功した革命としての太平洋戦争」につながる部分のぬきがきをしたい。