HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

ゲームのルールと真剣さ

太平洋戦争の各所で狂気の玉砕を生んだ様々な作戦は日本陸軍の「統帥綱領」のルールに全く基づいた行動であったという。常に相手の側面を突き、包囲殲滅戦を目指すことに「統帥綱領」は主眼を置かれている。1928年に大幅改訂され、「兵站」の項目すら削除された陸軍の「統帥綱領」は、本来ロシア戦にのみ使われるべきものであったと。つまりは、北進のみのために訓練され、作戦方針を徹底された軍隊であった陸軍が、南進に使われたために生じた悲劇なのだと。

いや、先を急ぎすぎた。

「未完のファシズム」の前半を読み終えた。

未完のファシズム: 「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)

未完のファシズム: 「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)

本書によれば、日本の陸軍は、日露戦争の勝利の後も研究を続け、1914年の青島戦では近代的な砲撃による物量戦を欧州に先駆けて実践した。その後も、陸軍参謀本部第一次世界大戦の各戦闘を十分に研究し、作戦、戦闘においてこれからは突撃戦よりも、物量と射距離で敵方を上回る砲術戦闘、制空権に支えられた地上戦、あるいは装甲車の活躍による電撃戦の時代が来ることを十分に予見していたという。

本書にはこうある。

日露戦争では乃木の部下だった(青島戦を指揮指導した)神尾中将は、それから10年後に旅順の仇を青島で討った。火力、物量、科学力を優先させ、精神力の目立つ暇のない、近代戦の見本が青島で示された。日本は新しい戦争をしたのです。近代戦は物量戦でしかあえりえないことを大々的に世界に証明した第一次世界大戦の一環として。それが青島戦役の意味でしょう。

そして、第一次世界大戦を「欧州戦争叢書」として当時の参謀本部は徹底的に研究した。同叢書の第五巻、「世界大戦ノ戦術的観察」は、戦術的に詳細な「観察」を述べた後、次のような未来的ヴィジョンを示した。

地上には歩兵はなく、兵士は一人ずつ小回りの利く個人用装甲車に乗っている。空には飛行機が飛び交っている。肉弾はもはやどこにも出る幕はない。完全な機械の戦争です。遊動性を有する一人乗りの自働兵器といのは、二〇世紀の第四四半期に氾濫した日本製ロボット・アニメの世界さえ連想させます。日本はそういう戦争のできる国にならなくてはいけない。それが国家と軍の目標である。そのためには当然、科学力と生産力の追求あるのみである。日本陸軍第一次世界大戦学習の一決算として『観察』は、そのように結ばれています。

にもかかわらず、なぜ「包囲殲滅戦+短期決戦」というドグマを陸軍の根幹にし、結果として兵站の軽視という致命的な作戦方針をとってしまったか?太平洋戦争で山本七平のいたフィリピンで、あるいはすでに米軍が進出してしまったガダルカナルで玉砕を生んだ作戦方針はどこから来たのか?

この「包囲殲滅戦+短期決戦」というドグマを主軸に置く「統帥綱領」を作成したのは小畑敏四郎中将だった。元々は、小畑は3年以上におよぶ長期出張によりロシア軍の第一次世界大戦での戦闘をつぶさに観察した。長期戦で総力戦になれば、国力に劣る国が敗れる。あるいは、まさに小畑の長期出張中に起こったロシア革命のように国がつぶれる。冷徹な第一次世界大戦の観察から、小畑は日本を大国に国力で劣る「持たざる国」と規定し、日本が唯一戦わなくてはならない、が、しかし、戦うからには必ず勝利しなければならないのはロシア改めソ連だと想定していたという。

また、先走ってしまったが、小畑らが定めた1928年の「統帥横領」の大幅改訂について本書でこう書かれている。

端的に言い直せば、政軍関係では政治を無視して軍の独断専行も辞さない。時間的には速戦即決。兵站の心配をする前に戦いを済ませる。作戦面では包囲殲滅線あるのみ。速戦即決するには疾風迅雷の勢いでの包囲殲滅戦がいちばん。大胆に包囲殲滅し一気呵成に会戦を終わらせるには兵士の並外れた戦意が不可欠。よって極端な精神主義。もしも包囲殲滅戦による速戦即決に失敗したときの方策はない。兵站に焦点の移る長期戦は「持たざる国」にとっては敗北を意味する。

ソ連戦いですら、正面からの戦闘、長期戦は想定していない。満州の平原で国境を越えて攻めてきたロシア軍に対して勝てればいいという想定であった。ソ連との戦いで持たざる国日本がぎりぎりのタイに持ち込むための戦略であったといっていかもしれない。当然、フィリピンのジャングルでのゲリラ戦や、ガダルカナルで米軍が拠点を築いたところを攻め込む奇襲戦は、想定外であった。そもそも、質の劣る敵軍にしか包囲殲滅戦が適用できないことを小畑自身が認めていたという。

最後に、id:medtoolzさんのブログから引用させていただく。今回のエントリーのタイトルはここからいただいた。

ルールのすり合わせは、何をやっても揉めるだろうけれど、ルールのどこかに「真剣」を組み込むことで、競技と道徳とを切り離すことができる。
「真剣」との導線を断たれると、競技本来の考えかたは形骸化してしまう。
(略)
ルールに本来の考えかたを反映させていくためには、どこかに「真剣」への導線を残しておくことが必要で、ルール設定の場に道徳が登場したその時点で、導線はすでに切れている。

「道徳」を「精神主義」と読み替えていただきたい。

ここでの「真剣」とは単にseriousだということでなく、「命を賭けた、あるいは国運をかけた真剣勝負」という意味だととらえた。ルールは真剣さをサポートするためにある。なかなかできることではないが、ルールのひとつひとつの意味が次世代にまで伝わることで、組織の真剣さが保たれる。

小畑中将は、やはり結果から言えば真剣さをルールにしてしまった罪がある。もっとも2.26事件によるあまりに早い予備役が来るとは想ってもみなかっただろうが。

我田引水の私なりの結論をかけば、やはり、北進を最後の最後で南進に転換したことが、日本と日本軍の命運を変えたのだと私は思う。

この本についてはまだ書き続ける。日本経済新聞の書評によると、本書の結論は最終的には統帥権の問題に至るそうだ。東條英機が「統帥権の下では陸軍と海軍が協力できるわけはない」となげいたあの統帥権だ。

*1:あまりに砲撃戦の側面について書かれたいなかったので、加筆してしまった。自己参照放置状態。近々、砲門の数をきちんと整理してwikipediaに載せたい。