HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

帝国陸軍は北進のために存在した

山本七平の「一下級将校の見た帝国陸軍」の観察から、明確に帝国陸軍は米国と戦う戦略もなく、南進する装備も訓練方法も用意していなかったことが如実に分かる。

一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)

一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)

この世界に仮想敵の存在しない軍隊はない。そして帝国陸軍の仮想敵は一貫してソビエト・ロシア軍であり、また現実に十年以上戦い続けている相手が中国軍であって、演習で想定される主要な戦場は常に北満とシベリアであった。

従って、入営してから受けた教育はすべてソ連、中国との戦いを想定した極寒の中、あるいは澄んだ空気の中の戦い方であったという。英米軍と南方のジャングルの中戦う戦術も、装備も、戦い方も想定されていなかったと。

山本七平は教育を受け始めて数ヶ月後に聞いたK大尉の言葉に衝撃を受けた。

「本日より教育が変わる。対米戦闘が主体となる。これを『ア』号教育という。」

これは昭和18年8月のこと。昭和16年12月の対米開戦からすでに1年半が経っている。山本七平自身が不思議がっているように、ぎりぎりの対米交渉の中で開戦を強行しようとした帝国陸軍が全く戦闘準備ができていなかったという話しは不思議をこえてあきれるしかない。

それでも、対ソ連で想定さえれた「殲滅戦」として戦うという大戦略だけが残り、玉砕、特攻へつながっていく無謀な戦いが続く。殲滅戦をして、大国である仮想的を恐れさせるしか日本が生きる道がないと帝国陸軍は戦略を設定していたわけだから、兵士の側からみればこれぐらい不合理な戦い方はない。

また、この時点で十分に対米戦への戦略、体制転換が必要だと分かっている将校、幹部がたくさんいたとも書いている。しかし、組織が戦略の変更の危機的な必要性に関わらずあるがままで自転していく様子は、後の宋名臣言行録の問題意識へとつながる。新法派旧法派の対立とは組織運営をしている人なら誰でも直面する厳しい問題だ。つまりは、上がいくらいきりたっても、兵士と社員は動かない、変わらないということだ。