HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「無期限の暫定的存在」という絶望

夜と霧」の新版を読了した。名著と言われる理由がよくわかった。この年になるまでこの本を読む勇気を持ちえなかったことは、私の人生の恥だ。

夜と霧 新版

夜と霧 新版

たんたんとフランクル自身の収容所の中での極限の体験を記述しながら、生きることのコペルニクス的転回へと私の意識を向けてくれる。いつ終わるとも知れない、自分の存在の意味を徹底的にはぎ取られた状態でも、自身の内面的な勇気を持ち得た人々の記述に勇気づけられる。そして、その転回をなしえなかった何人かの人たちがまったく生きることに無感動、無関心になり死んでいく様をも伝えられる。

山本七平の兵隊生活の体験と重なる部分がずいぶんあった。恐ろしいのは、帝国陸軍のフィリピン戦における陸軍の兵隊の待遇と、フランクルの体験した強制収容所の状態が対して変わらないこと。違うのは、山本七平は徹底的な絶望と陸軍の愚かさがメインに記述されていること。山本七平の冷徹な観方からは、帝国陸軍においてフランクルが観察したような絶望的な状況であっても、精神的な高みに達した人物が見いだされなかったこと。そして、舞台が強制収容所なのか絶望的な戦場であるか。この差は、それでも生きること、死ぬことの意味を与えられなかったか、むなしいものであっても大義名分があるかの差だ。この差は自由の意味という観点からとても大事なのだが、エントリーをあらためて考えたい。

一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)

一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)

私が執拗に山本七平や、フランクルの著作を読むのは、ひとつには自分の属する組織における「兵隊根性」というものを正面から見据えたいという目的がある。「常在戦場」という感覚は恐ろしい。割と激しい職場であるため、戦場でのような働き方をしていると、自己憐憫と他人への嫉妬の罠に陥り、自分の未来が見えなくなってしまうことがある。ここにひとつの方向性は見いだしている。それは、後で書く。

収容所や、戦場における絶望の問題を追い求めるもうひとつの理由は、私の中でいくつかあった絶望の時期を見つめ直したいという動機だ。全寮制の高校に入った時の上級生からの「指導」の体験。これは、比べるのも恥ずかしいレベルではあるが、被収容者と収容所の監視者との関係に近い。理不尽な理由で、叱責されることへの怒りはこの時に理解した。そして、希望の持てない状況にも、人は慣れていくのだと知った。次は、大学の部活動で死亡事故への対応の数年間のことだ。夢を持って大学の部活動に入ったが、大きな事故によりその存続すら絶望的な状況に置かれた。そして、私は部活動を続けることを選択した。不安におののきつづけた大学時代であった。そして、30代にさしかかる頃、転職して忙しいばかりで自分の仕事に意味を見いだせなかった時がある。記憶が混乱するほど忙しかった。いつも仕事の上の不安に苛まれ夢も希望も持てなかった。その上、属する会社がつぶれてしまうのではないかと思われるほど重大な事件に巻き込まれそうになった時があった。最後に、私の結婚生活の末期。ああ、この失望の時期に最後というのはないのだろう。いずれの時でも、自分の絶望にいつ終止符が打てるのか期限が見えなかった。それぞれの時期での課題が私には重すぎて、自分が誰であるか、自分に未来があるのか確信が持てなかった。

お陰で少しずつ絶望に対する耐性はできた。絶望の中でも行動しつづける力はついた。一方で、その心性は兵隊根性といえるものが含まれている。いまも時々、私の歩を止めさせる。いや、なにも絶望のない人生であっても、今以上に創造的な人間になれていたとは思えないが。

それでも、ここまで生き抜いて来られたのは、まさにフランクルの言葉の通りだ。

ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかでなく、むしろひたすら、生きることがわたくしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えなければならない。

先ほどの職場における「兵隊根性」問題に対して、私としては、フランクルのいう生きることのコペルニクス的体験により、ひとつの方向性が見いだせたように思う。それは、あなたが生きる意味を問うのではなく、生きることがあなたを必要としていることを自覚することだ。この生きることがあなたを必要とするという感覚から、職場での方向性をもった行動を見いだせる。ごくごく「モットー」的な表現をすれば、仕事の報酬として「あなたのお陰だ」と感謝されること、自分の仕事に自分だからできた仕事とプライドが持てること、成長を自覚できること、会社自体が「地元にあってよかった」と言われる組織であることと、私は素直に展開している。

人に必要とされる会社をつくる

人に必要とされる会社をつくる

私はフランクルいう生き方のコペルニクス的転回を、道元の言葉であらかじめ学んでいたように思う。

自己をはこびて 万法を修証するを 迷とす
万法すすみて 自己を修証するは さとりなり

現成公案: HPO:個人的な意見 ココログ版

現成公案は、生きる意味を求めるのではなく、仏として生きる生き方から学べといっているように私には思える。私の存在意義、私の自己実現なるものは、外にあるのでもなく、内にあるのでもなく、仏の行動によってのみもたらされる。そう感じている。

フランクルに戻ろう。

愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ。

この実感を、私は配偶者には得られなかった。これからの未来で、実感を持って言えるようになるのだろうか。