HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

WOLS展

たまたま、散歩代わりに川村美術館に行って来た。以前から何点か作品を展示していたWOLS展だった。

ヴォルス(Wols, 1913年5月27日 - 1951年9月1日)は、20世紀前半に活動したドイツの画家。おもにフランスで活動した。本名はアルフレート・オットー・ヴォルフガング・シュルツェ(Alfred Otto Wolfgang Schulze)。20世紀の主要な前衛美術運動の1つである「アンフォルメル」の中心的画家の一人と見なされ、抽象表現主義の先駆者とも言われるが、彼自身は特定の流派やグループに属することはなく、放浪のうちに短い人生を終えた。

(中略)

1951年、腐った馬肉で食中毒を起こしたことが元で死去。38歳の若さであったが、不摂生のきわみにあった彼の風貌は衰え、50歳くらいにしか見えなかったという。

ヴォルス - Wikipedia

故郷のドイツを父の死を機に早くに出、反省をボヘミアンとして過ごしたと。長く収容所に入れられたこと、38才でなくなったことなどなど。内に大きな不安を抱えた、とても魅力的な人物であったのだろう。ちなみに、WOLSは名字かと想っていたら、本名のWOLfgang Shulzeの略だそうだ。

Wols展 プレス

写真を撮っていいと言われたので、ばしばし撮った。通常の展示の数点だけを見るのでなく、改めて系列的に観るととても印象的。

すべての写真-7301

image

image

WOLSの絵画作品は、街や、森や、内蔵を想わせるような非具象。想像力をかき立てられる。部分と全体とか、フラクタルとか論じたてたくなる。また、本人の言葉もそうしたものごとを匂わせている。

image

WOLSの絵と言葉は、南方熊楠曼荼羅を思い出させる。

南方熊楠

「さて妙なことは,この世間宇宙 は,天は理なりといえるごとく(理はすじみち),図 のごとく(図は平面にしか画きえず。実は長たけ ,幅の外に,厚 さもある立体のものと見よ),(図は平面にしか描けない。じつは高さ、幅の他に、厚さもある立体のものと見よ)、前後左右上下、いずれの方からも事理が透徹して、この宇宙を成す。その数は無尽である。だから、どこひとつをとっても、それを敷衍追求するときは、いかなることをも見いだし、いかなることをもなしうるようになっている。」

言葉に表れた思考からもWOLSと南方熊楠との間に響き合うものを感じる。よいものを見せてもらった。

テロと警察、どっちが恐いか。

子供の頃、私の住む地域で「安保反対」とか、「米帝支配反対」とか叫ぶグループが一般市民の家を焼き、車を破壊するのを経験してきた。親戚の勤める会社でも彼らが反対する施設に関わったからというだけで焼かれた。自宅が焼かれるのではないかと心配した時期もあった。自動発火装置などによる事件であるので組織的な企てであることは明確であった。更に恐ろしいのは、それらの事件で犯人が捕まったことがないこと。

腹腹時計』 (はらはらとけい)とは、1974年3月発行の爆弾の製造法やゲリラ戦法などを記した教程本で、三菱重工爆破事件などの連続企業爆破事件を起こした日本の極左グループである東アジア反日武装戦線の狼班が地下出版したものである。

腹腹時計 - Wikipedia

連続企業爆破事件(れんぞくきぎょうばくはじけん)とは東アジア反日武装戦線が旧財閥系企業、大手ゼネコン社屋・施設などに爆弾を設置し爆破した事件。1974年8月から1975年5月にかけて、東アジア反日武装戦線は日本国家をアジア侵略の元凶とみなし、アジア侵略に加担しているとされた企業に対し断続的に爆破事件を起こした。

連続企業爆破事件 - Wikipedia

さすがに記憶には残っていないが、更に以前はそれらのグループと警察との衝突により死人まで出た。テロに遭って不具となってしまった方とも会った。

その方は、杖をついて必死の形相で仕事にあたられていた。そう、弁護士だった。ずいぶん前になにかの会合でお会いした。 まだそんなお年ではないのに杖をつくような状態になってしまったのか、その時はわからなかった。 ずいぶんたってから、テロによって半身不随の状態になってしまったのだと知った。そして、数年前に亡くなられたと聞いた。弁護士事務所も閉鎖されたと聞いた。

http://hpo.hatenablog.com/entry/20110106/1294331365

id:houjiTさんからidコールをいただいて、現下の問題である共謀罪法案について少しやりとりをさせていただいた。改めて、これらの記憶が蘇ってきた。

togetter.com

前述の連続するテロを起こした犯人グループも、当時大きな問題となった爆破事件も別にイスラム過激派の話しではなない。同じ日本人同士の話しだ。国内の過激派がいなくなったわけではない。直接の犯人しか罪に問われず、「腹腹時計」のグループや、犯罪集団に堕落した過激派組織は一網打尽にされたわけではない。現在にまで生き残っている。ましてや、オリンピックに向けては真剣に欧州の状況を見れば、対策が必要なのは明々白々。共謀罪は、こうした犯罪組織を壊滅させるために役立つ法律だと私は信じたい。

嫌疑ある段階で一般人ではない 「共謀罪」で盛山副大臣 - 共同通信 47NEWS

分かってなさそうなブコメも散見されるけど、国際組織犯罪防止条約(180ヶ国以上が加入済)の加入条件として「共謀の犯罪化」が必要だからこの状況。問題はその為の法改正が必要なのか(恣意的運用で済ますの?)など。

2017/04/29 11:29
b.hatena.ne.jp

テロとはテロリズム(terrorism)、恐怖(terro)を語源とし、根源とする。テロに屈してはならない。しかし、テロによって歴史はねじまげられてきた。私の地元で起こった左翼犯罪グループのテロもそう。

テロは恐ろしい。しかし、テロに屈してはならない。昔も今も、平和だ、平等だという社会主義を志向連中が、クーデターや、テロを平気で行うことが私には全く理解できない。「銃口から革命は生まれる」?ふざけろと。銃口から生まれた政権はどこまでいっても銃口から逃れられない。

「錦旗革命・昭和維新の欺瞞」 - HPO機密日誌

決して警察権力の横暴を是とする訳ではない。それでも、断言しておきたい、テロよりは警察の方がはるかにましだと。

「これくらいはいいだろう」が原理原則を滅ぼす

満州の暴走」で安冨先生は、満州という欺瞞の構造がいまの日本にも生きていると主張しておられる。そもそも満州国は石原完爾のが総力戦を戦うために「これくらはいいだろう」と起こした軍紀違反の柳条湖事件がきっかけで生まれた。総力戦を戦えない日本への憂国の動機であっても、軍紀違反を犯したあげく、結果オーライで満州全体を日本軍が占領し、傀儡国まで成立させてしまった。この「これくらいはいいだろう」と越えてはいけない一線をどんどん踏み出してしまう日本の体質は、確かに安冨先生のご指摘の通り国の敗戦までつながっていく構造的傾向だ。

石原完爾の「最終戦争論」。そして、石原の思惑通りにならなかった戦前の陸軍。「ポジティブフィードバック」、雪まろげの代表的人物として本書の中で扱われている。二次元から三次元の戦争という航空機優位の予言、最終決戦兵器という核兵器の予言など、これだけ聡明な人物でも自分の考えだけでは意思を達成することはできない。石原完爾についてはずいぶん読んだ。

「満州暴走 隠された構造」読了 - HPO機密日誌

とある方とお話しした。その方は東芝の問題を大変憂えていらした。サラリーマン社会では倫理を踏み越えてでも成績をあげた人間、ライバルを叩きつぶしてでも出世する人間がどうしてもトップリーダーになってしまいがちだと教えて下さった。このメカニズムも、内部構造の変化という安冨先生の「貨幣の複雑性」の問題にもつながるのだが、いまはそれは置く。問題なのは、こうした人物はどこにいっても同じ行動を繰り返すことだ。そして、リーダーが一線を踏み越えても、「これくらいはいいだろう」行動をすると部下達がいっせいにその拡大再生産をしてしまう。まさに、現在の東芝には満州で示された日本の悪しき傾向が生きている。

 日本郵政は豪州の物流会社トール・ホールディングの資産を洗い直し、4003億円の損失(減損処理)を明らかにした。鳴り物入りの「戦略的買収」は、わずか2年で財務を揺るがす「お荷物」と化し、日本郵政の2017年3月期決算は赤字に転落する。

 「疑惑の買収」を主導したのは当時社長だった西室泰三氏。東芝を泥沼に引き込んだ米国の原発メーカー・ウエスティングハウス(WH)の買収を画策した人物だ。

日本郵政4000億損失、元凶はまたも元東芝・西室泰三氏 (ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース

たぶん、「これくらいはいいだろう」とフィージビリティが不足していても、被買収企業の先行きが不安であっても、企業買収をして成功した事例が東芝、郵政の中心的な人物にあったのではないだろうか?石原完爾と同じ構造だ。石原完爾はまだ、他に対して抑制する言動をその後していたが、東芝内部にはそれすらないのだろう。

hpo.hatenablog.com

日本に原理原則に則った経営、組織運営が根付かないのは「これくらいはいいだろう」、「結果がよければ過程は問わない」といった現世利益優先の姿勢があるからではないだろうか?また、なぜか日本は偉い人達に対して甘い。本来、組織運営を果たすためには偉い人ほど厳しく罰せられるべき。現代の中国が強いのは、偉かろうか、平民だろうが、強くなければ、間違いがあれば、確実に粛正されるから。これもまた別に論じたい。安冨先生が「立場主義」と揶揄されていたが、日本は過去に甘く、偉い人に甘く、他人の立場に甘い。

先の方は、これからの未来の戦略物資であるメモリー技術を海外に売り渡すことは日本の国益の中核に関わること。まして、原子力の技術もこれで終わってしまいかねない。東芝の経営の核心に海外の投資銀行の影が見え隠れしているという噂もある。東芝の危機は国の危機だと捉えて、革新機構などの政府機関の出動を含め機動的に行うべきだ。当然、「戦犯」の懲罰、社風の徹底革新が前提となる。JALの再生が参考になるに違いない。

新生JALとして掲げた企業理念の冒頭に「全社員の物心両面の幸福を追求する」とあります。これは「お客さまに最高のサービスを提供」するのも、「企業価値を高め、社会の進歩発展に貢献」するのも、全てはJALグループに集う社員一人ひとりの懸命な努力の結集があればこそ実現できることであり、社員が一生懸命努力するためには、心の底から「JALで働いていて良かった」・「JALの一員として頑張ろう」と思うことが大切であるという考えがあるからです。
また、物心両面の幸福とは、経済的な安定や豊かさに加えて、仕事に対する誇り、働きがい、生きがいといった人間の心の豊かさを求めていくことで、素晴らしい人生を送るとともに、心をひとつにして一致団結し、お客さまに最高のサービスを提供できるよう、必死の努力をしていかなければならないという、思いを込めております。

企業理念とJALフィロソフィ|JALについて|JAL採用情報|日本航空株式会社

日本独立記念日

本来、国をあげて祝うべき日。

敗戦から6年後の昭和26年9月8日、サンフランシスコ講和条約吉田茂首相によって調印され、ようやく日本に主権が認められました。
 日本に独立が認められた背景には、来るべき冷戦の時代に日本を資本主義陣営の尖兵として利用しようというアメリカの戦略がありますが、これを吉田茂首相が利用して今回の条約締結へ持っていきました。条約発効の翌昭和27年4月28日(昭和天皇の誕生日の前日)に、日本は6年をこえる連合国による占領から解放され、国家として主権を回復することができました。
 この日から、日本への検閲や強制もなくなり、各家庭の軒先にも堂々と「日の丸」を掲揚することも出来るようになったのです。
 4月28日は、日本が植民地から再び「独立」できた栄誉ある日なのです。

4月28日を日本の独立記念日に

安冨先生がよく「魂の脱植民地化」だとおっしゃる。日本が米国のいまだに占領下であることはいうまでもない。それも、物理的に占領されているだけでなく、心から負け犬根性、被支配者になっていることが悲しい。確かに、むなしい独立記念日かもしれないが、それでも認識しない、祝わないよりはましだと。

戦後の米国による日本の支配は、痛いほど感じている。

「満州暴走 隠された構造」読了 - HPO機密日誌

P-23

先日、旅行に出かけた。古い旅館に泊まり、旅を満喫した。湖と山があり、日本らしさが感じられた。帰る段になり、たまたま名も知らぬ男女のカップルと知り合った。私も急いでいたが、その二人も今すぐに出発したいと。近くの空港に向かうと、まもなく出発する便のウェイティングのチケットが三人分買えた。セルフのキオスクでクレジットで処理し、チケットの印刷を待っていると、次のお客が力一杯カードを挿入したので空港の全ての電気が止まってしまった。窓の外からそれまでこうこうとついていた滑走路を照らす照明も、山の背の高いシダーウッドを観光で下から照らしていた照明も、消えてしまったのが見えた。これは大変だ、飛行機が遅れるなと。それでも、飛行機が飛べそうだと言うので滑走路に向かうフェリーに慌てて乗った。乗る途中で先ほどのカップルとははぐれてしまった。フェリーは水中翼船でものすごいスピードが出た。スピードの余り滑走路のある桟橋からずいぶん離れた場所に一瞬でついてしまい、そこでおりろと言われた。牧場か、深い山の中腹のようなところだった。必死の思いで飛行機の桟橋に向かった。途中から、周りに私と同じように桟橋に向かう人達と出会った。多くは同郷の昔馴染みの方々だった。私の街には空港があるので、まあ不思議ではない。柵を越え、谷を降り、桟橋にたどり着いた。多くの乗客はすでに乗り込んでいた。ウェイティングの番号が呼び上げられて、いまにも飛び立ちそうな状態だった。「最後です。Pの23のチケットの方!」、帽子をかぶった真面目そうな担当者が呼び出した。自分のチケットを見ると、それぞれが赤い丸で囲まれた「P」、「23」という文字が印刷されていた。一瞬だったカップルはどうなったか、大変申し訳ないとおもいながら、飛行機に乗り込もうとした。

・・・、その瞬間目覚ましがなって目が覚めた。その前に目が覚めた時から一時間とたっていない。夢とは一瞬で生成される記憶なのか、ストーリーとして時間の経過とともに「経験」するものなのかしばらく考えてしまった。あのリュックを背負った人の良さそうなカップルは無事帰れたのだろうか?

world-of-warplanes.wikia.com

「満州暴走 隠された構造」読了

大変、共感を持ちながら本書を読んだ。安冨先生とは年が確か1つしか違わないので、興味の対象も似てくるらしい。

本書は、深尾葉子氏との共著、「『満洲』の成立 -森林の消尽と近代空間の形成-」に基づいている。タイトルの通り、大森林であった「満州」がいかに「近代化」され、荒野となっていたったかの歴史が背景として語れる。ここには、もちろん日本の関与が大きい。

「満洲」の成立 -森林の消尽と近代空間の形成-

このメカニズム、「隠された構造」を説明するために、「縁起」という考え方が用いられている。本書の随所に線形、非線形の現象の問題、そして、縁起の問題が出てくる。これは、因果の間に縁があるという発想だと信じる。いうまでもなく、私は仏教にも、非線形科学にも大変興味を持っている。

hpo.hatenablog.com

hpo.hatenablog.com

「森林の消尽」のメカニズムを説明するために、安冨先生は満州華北の市場ネットワーク分析もされている。満州は、清の支配者、満州族の故地であるため入植などを禁じられていた。そこが清の崩壊と、満鉄のネットワーク化、そして、森林の後に作られた大豆が国際商品化したことにより、一気に満州商流の「ネットワーク化」が進んだために、ハブが明確で単純な構造となった。ところが、満州に隣接する華北にはそれならりの迫害の歴史があるため、インターネットがそうであるように、部分的に閉鎖されたり、滅ぼされたりしても、稼働するようになっている。この違いが、満州国設立を容易にし、逆に華北以下の日中戦争が泥沼化したのだと。まさに社会的ネットワーク分析だ。

image

hidekih.cocolog-nifty.com*1

hpo.hatenablog.com

そして、満州の歴史と戦争の話しは切っても切れない。本書は、安冨先生と戦争論と言ってもいいほど、戦争の形態、太平洋戦争の因果について論じられている。まずは、総力戦。なんといっても私の愛読書「未完のファシズム」。この本は、「満州暴走」の参考文献にも上げられている。

hpo.hatenablog.com

それから、石原完爾の「最終戦争論」。そして、石原の思惑通りにならなかった戦前の陸軍。「ポジティブフィードバック」、雪まろげの代表的人物として本書の中で扱われている。二次元から三次元の戦争という航空機優位の予言、最終決戦兵器という核兵器の予言など、これだけ聡明な人物でも自分の考えだけでは意思を達成することはできない。石原完爾についてはずいぶん読んだ。

hpo.hatenablog.com

hpo.hatenablog.com

留用、戦後の中国の有様については語る言葉もないほどの悲惨さであったと。

hpo.hatenablog.com

hpo.hatenablog.com

hpo.hatenablog.com

戦後の米国による日本の支配は、痛いほど感じている。

img_0 http://www.chijihon.metro.tokyo.jp/kiti/kuiki/kuiki.htm
羽田空港、というか東京自体が西側を横田空域、つまりは首都圏を航空管制を米軍に握られてたまま戦後は推移している。以下に述べるように、徐々に返還はすすんでいるもののいまのところ完全返還は戦後何年たっても難しい。

成田空港と同い年の私にもうひとこと言わせてくれ - HPO機密日誌


ここまで興味の範囲が一致しているのに、最後の結論は正反対。私は、ここまでの歴史と社会構造の変遷を学んだ上で、日本がいまだに米国の支配下にあるからこそ安倍首相を応援したいと想っている。逆に安冨先生は、だからこそ、安倍首相倒すべきだと。

*1:H29/4/26現在、ネットワーク図へのリンクが切れている。近々張り直す予定。多分・・・。

「HPO:個人的な意見 ココログ版」 第1分冊、第2分冊

大引っ越しをしなければならないというので、書棚を整理し始めた。出てきたのが、これ。

image

ココログでブログを書いていたことは、「あの頃は楽しかった」とか言い始めたら人生終わりだと想っていた。あれから、十年以上が過ぎて五十代になった今の私としては、まさに「ああ、あの頃は楽しかった」と言いたい気持ちになっている。

hidekih.cocolog-nifty.com

あの頃は、あの頃なりに苦しんでいた。仕事も大変だったし、家庭も大変だった。それでも、十年も経つとつらいことはみな忘れてしまうようだ。目次を眺めているだけで、ブログを書いていた(ああ、いまも一応は書いてはいるが)興奮が思い起こされる。引っ越ししても、書棚の奥にそっと隠しておこう。