HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「成田闘争」の犠牲者

もっとブログに書くべきことを書こうと思っていた。

しかし、いつぞやお会いした、もう既に亡くなられてしまった方のことを夕方に思い出したら、他のことが書けなくなった。

その方は、杖をついて必死の形相で仕事にあたられていた。そう、弁護士だった。ずいぶん前になにかの会合でお会いした。

まだそんなお年ではないのに杖をつくような状態になってしまったのか、その時はわからなかった。

ずいぶんたってから、テロによって半身不随の状態になってしまったのだと知った。そして、数年前に亡くなられたと聞いた。弁護士事務所も閉鎖されたと聞いた。

その方は、誰もが尻込みされた千葉県の土地収容委員長に就任された。そして、文字通りの闇討ちに遭い、前述の半身不随の状態になり、最期は老衰とはほどとおい年齢でありながら、亡くなられた。

この方の後、ずいぶん長い間、テロを恐れて委員長に就任される方がいなかった。テロに屈したのだ。「成田」以外にも影響は大きかったと聞いている。「闘争」をしている方々はそれを「勝利」と呼ぶのだろう。

なにが腹が立つって、成田空港そのものによって死んだ人はいないのに、この弁護士さんのような犠牲者が出ているという事実だ。「成田闘争」なるものが起こらなかったなら運動側にも、警察側にも、この弁護士さんのような法曹界側にも、犠牲者はでなかっただろう。

被害者はいるというだろう。だが、文字通り天文学的な補償金を得て、一生、いや数代にわたって、食べるに困らない状態になった方々を被害者と呼ぶべきだろうか?「闘争」を続けている外部の人はともかく、「闘争」している地権者ですら、協力を表明すれば二桁億、いや、もしかするともっとすごい金額を得るだろう。恐いのは、それを許さない、かの弁護士さんを犠牲者にした、テロを起こす人たちだ。「協力」すればテロに会う。それが、「成田闘争」の現実だ。テロにおびえて千葉の開発は遅れ、テロにおびえて、空港に反対し続けざるを得ない人たちがいる。

繰り返すが、空港そのもので、雌鳥が卵を産まなくなったことはない。空港がくると、土地がやせ、農業が継続できなくなると言われたが、パッックなんとかで、空港開業数十年たっても農業を続けている人たちは、一体どの土地がやせたというのだろうか?

「闘争」なるものを続けているために、税金が毎年これまた天文学的な数字の、また天文学的な倍数が、無駄に使われている。ある人は、その状況を戦場のようだとたとえた。羽田がショッピングセンター化し、繁栄している中、成田が「検問」によって「戦場」状態を続け取り残された機会損失を、「闘争」を続けている人たちにいつかは請求の訴訟を起こしたいと考えているのは、私だけだろうか?

「闘争」がなければおこらなかった犠牲者の方が、現実にいることが私は悲しい。もし、「闘争」なるものがなければ、犠牲者も一人も出ずに、成田は便利な国際空港になり、地元の地権者はさらに繁栄をしていたかもしれない。

21世紀になっても硬直を続ける現状では、犠牲になられた弁護士の方もうかばれないだろう。