「未完のファシズム: 「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)」の「第六章「持たざる国」を「持てる国」にする計画」を読むための予習。
1940年の講演の記録だと聞いているが、随所に未来をずばり言い切っているところがある。一方、米国との大戦は30年後だとか、この時期まで陸軍の首脳部に近いところですら、太平洋戦争の開戦を予期していなかったし、望んでもいなかったことがうかがえる。[ ]は、私の注。
(ドイツの大使は)言下に「ドイツが勝ったならばヨーロッパ連盟を作るのだ」と申しました。
(参考 :「母は東京牛込出身の日本人女性青山みつ(クーデンホーフ=カレルギー・光子)」 / “リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー - Wikipedia” http://t.co/HtJLteEw )
如何なる犠牲を払っても、われわれは代償を求めるのではない、本当に日支の新しい提携の方針を確立すればそれでよろしいということは、今や日本の信念になりつつあります。
ソ連は、率先して幾多の犠牲を払い幾百万の血を流して、今でも国民に驚くべき大犠牲を強制しつつ、スターリンは全力を尽しておりますけれども(略)もしものことがあるならば、内部から崩壊してしまうのではなかろうか。
今日から二十数年、まあ三十年内外で次の決戦戦争、即ち最終戦争の時期に入るだろう、ということになります。[1940+30=1970年]
第一は東洋民族の新しい道徳の創造であります。(略)民族の闘争、東亜諸国の対立から民族の協和、東亜の諸国家の本当の結合という新しい道徳を生み出して行かなければならないのであります。その中核の問題は満州建国の精神である民族協和の実現にあります。
最後の大決勝戦で世界の人口は半分になるかも知れないが、世界は政治的に一つになる。これは大きく見ると建設的であります。同時に産業革命の美しい建設の方面は、原料の束縛から離れて必要資材をどんどん造ることであります。
われわれにとって最も大事な水や空気は喧嘩の種になりません。ふんだんにありますから。(略)必要なものは何でも、驚くべき産業革命でどしどし造ります。持たざる国と持てる国の区別がなくなり、必要なものは何でもできることになるのです。 [石原完爾版 松下幸之助の水道哲学]
そして日蓮聖人は将来に対する重大な予言をしております。日本を中心として世界に未曽有の大戦争が必ず起る。そのときに本化上行が再び世の中に出て来られ、本門の戒壇を日本国に建て、日本の国体を中心とする世界統一が実現するのだ。
田中智学先生が、大正七年のある講演で「一天四海皆帰妙法は四十八年間に成就し得るという算盤を弾いている」と述べていることです。大正八年から四十八年くらいで世界が統一されると言っております。[1918+48=1966年]
人類の前史は将に終ろうとしていることは確実であり、その年代は数十年後に切迫していると見なければならないと思うのであります。今は人類の歴史で空前絶後の重大な時期であります。 [石原完爾版歴史の終わり]
たとい未曽有の大戦争があって世界が一度は統一されても、間もなくその支配力に反抗する力が生じて戦争が起り、再び国家の対立を生むのではなかろうかということである。[石原完爾版 文明の衝突]
八紘一宇とは戦争絶滅の姿である。口に八紘一宇を唱え心に戦争の不滅を信ずるものがあるならば、真に憐むべき矛盾である。日本主義が勃興し、日本国体の神聖が強調される今日未だに真に八紘一宇の大理想を信仰し得ないものが少なくないのは誠に痛嘆に堪えない
飛行機も軍艦と同様である。飛行機によって敵をいためるのではない。迅速に、遠距離に爆弾等を送り得ることが、飛行磯の兵器としての価値である。 [決戦兵器の予想とあいあまって、5年後の広島、長崎を見通していたとも言える。]
満州国の東亜連盟防衛上に於ける責務真に重大なり。特にソ国の侵攻に対しては、在大陸の日本軍とともに断固これを撃破し得る自信なかるべからず。
石原莞爾 最終戦争論