HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

大人でないフェミニズム :ACの対偶としてのCP

柴田英里さんのツイートを見て、最近のポスター叩きフェミニズムはお子ちゃまの運動なのだと理解した。

フェミニズムが法的規制、社会的合意形成を志向しない「一人一派」であるのは、大人の女性(または男性)の異性への魅力の発揮の仕方が根底にあると想っていたが、必ずしも正しくなかったようだ。社会的合意形成を志向する以前の「わがままなおこちゃま」の影が見える。

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交流分析で言えば、ACからいきなりCPへと成長してしまった感じか?そして、抑制されてきたFCがAに取って代わってしまっていると。

インサイド・ヘッド』ストーリー予告 - YouTube ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ビビリ、ムカムカ。これらの5つの要素は、そのままではないが、交流分析のFC(Free Child:自由な子供)、NP(Nurturing Parent:養育的な親)、CP(Critical Parent:規範的な親)、AC(Adaptive Child:他者順応な子供)、A(Adult:大人、理性)にちかい。

「インサイド・ヘッド」(ネタバレあり) - HPO機密日誌

CPに育てられた子供は、FCの行動、言動を抑制されるので、ACの立場を取らざるを得ない。

「お母さん、クラスのみんなは不良みたいな格好をしていたけど、私はそんなこと絶対しないよ!」
「まあ、いい子ね。でも、あなたはスカートはいていてもお転婆しちゃうから、できるだけパンツルックにしたほうがいいわ。ピンクよりも、ブルーの方が似合うわよ。わかっているわね、いつでもママのお眼鏡にかなった格好をしなきゃだめよ」
「はーい!」

というような会話に代表されるような親子関係だ。個人的な話しで恐縮だが、破局した20年間の結婚生活のパートナーは自分のCP的な力を誇示するために他の家族にことこまかな毎回変わるルールを押し付けていた。力の表出にこそ人類の真実があるのだと最近想う。

男と女の愛という狂気を含む危険な力は、本能が壊れてしまった種である人類にはどうしても必須だった。この愛という狂気を自分達の群れの中で飼い慣らすには、儀礼を産み出すしかなかった。男が/女が対で所有され合う関係を群れの中で認める行為が結婚となり、家族の単位の形成へと進んだ。男が女を、女が男を所有し、家族で暮らすにいたり、相手への愛を外物に投与することによりさまざまな「所有物」の概念が生まれたのではないだろうか?群れの中で、男と女の狂気を封じ込めるためには、儀礼が必要であったし、それが一般化して、群れのルール、部族のルール、社会のルールへと変わっていった。男と女の狂気を封じこめる力が儀礼の根源であり、法律の淵源なのだ。

愛と嫉妬が、信頼、所有、法を産んだ - HPO機密日誌

さて、話題を戻していくたのポスターやら、アニメのキャラへの「フェミニズム」を自称する方々からの攻撃を成熟した大人のものとみるか、AC→CPの自分を優位に立たせるだけのための運動であるかの解釈を確定するほど私は事例の詳細を知らない。しかし、個人的な投影を含んでしまっていることを認めながら、自分はこの運動から距離を置けるように感じる。自分の性癖等を攻撃されないかぎり、以後静観を決め込むことにする。「女子と小人、養い難し」なのだから。


■追記

橘玲氏が翻訳した「不道徳な経済学」を読んでいて、目からウロコの「訳者註」を見つけた。

「売春」は現在、「セックスワーク(性労働)」と呼ぶのが政治的に正しいとされている。中高生の援助交際に見られるように、女性が自らすすんで性労働に従事するようになると、従来のマルクス主義的な搾取論や人身売買・奴隷化論は根拠を失ってしまった。「性の自己決定」というフェミニズムのテーゼに照らせば、個人の自由な意思で選択したセックスワークを否定することはできないからだ。フェミニストの多くは売春を”非犯罪化”、”非処罰化”すべきと主張しているが、これを売春自由化・合法化と区別するのは難しい。なおオランダ、ドイツ、スイス、デンマーク、ベルギー、オーストリアなどのヨーロッパ諸国ではすでに売春が合法化されている。(訳者註)

*強調は本ブログ

「大人でないフェミニズム」の真の問題点はそれを大きな問題として取り上げる方々がウェブ界隈上に存在することではないだろうか?そして、それは「訳者註」に書かれたように「女性が自らすすんで性労働に従事」することが不都合な方々ではないかという推測が成り立つ。大変興味深い。