大学とはなにか?教養とはなにか?を考えさせられた。
仕事の役に立たぬ教養しか身につかない中途半端な大学はつぶして「手に職」的な専門学校を増やせというご意見もありましたが、専門学校で働いてきた経験から申し上げれば、教養がないと高い技術もなかなか身につかないんですよね。「子供の頃からたくさん本を読んできた」程度の教養でいいんですけど。
— 徳久圭 (@QianChong) 2017年2月17日
私の職場は教養からはほど遠い。専門性が高いので、この分野での知識、技術、技芸のみが問われる。日々、時々、刻々意思決定を迫られる。先日、同僚と移動中に車の中で話した。
「日々、これだけ(ちょっとオーバーだけど)生きるか死ぬか意思決定を迫られる職場って他にもあるんですかね?僕らの職場って学歴とか全然関係ないじゃないですか?きちんと意思決定できるか、問題解決できるかそれだけ。」
本当に、学歴なんか私の職場の最前線には関係ない。一応、私は修士号保持者。勉強、研究大好き。ついこの前まで、「君はいつ大学に戻るのかね?会社で働いている姿は似合わないよ」と大学時代の同級生にからかわれていた。だが、私の職場では学歴がものを言ったことはない。学歴が問われるのは職能を認めてもらうための「資格」を取りやすいか否かだけ。この意味では、専攻が違うので私の修士号は紙切れ同然。職場での私の扱いは高卒が頑張ってんな程度。問題解決力の極限、専門特化した人間の知恵と強さを日々感じている。
実はいま「社長になるための10冊」というリストを密かに作っている。もう少し煮詰まったら公開したいのだが、どれだけ職能の高い集団であるからといって、誰でも彼でも社長にできるかといったらそうではない。独立してヴェンチャーでやってしまうというのではなく、内部昇格で社長になろうとすると、どうも職能だけでは足りないと今頃気づいた。
リーダーシップ、会社全体のマネジメントという辺から切実に教養というものが問われる気がする。専門の職能のプロフェッショナルと、会社の管理職層としてのマネジメント力の違いとはなにか?「教養ってなに?それって食べられるの?」と聞きたくなる人は私の職場はもとより、はてな界隈でも多いだろう。会社、組織という多くの人間を束ね、育てていく「場」を維持、発展させるには、広い視野と新たな構造を生み出す力が必要になる。会社のマネジメントとはどうあるべきか、以前考えてみた。エントリーとしてまとめてある。
たかだが、これだけのことだが、ここに気づくまで結構大変だった。私はあまりに忙しくて三十代前半のプライベートな記憶があまりない。ここに書いた「コツ」をつかんでから、だいぶリーダー役を執行するのが楽になった。会社がここから成長し始めたといっても過言ではない。しかし、ここに至るまでには、実務だけでは足らず、多くの書籍を読み抜き、考えに考え、試行錯誤に試行錯誤を重ねなければかなければ到達できなかった。仮説を立てて実践で検証するスパイラルPDCAが不可欠だった。
逆に、ここに書いてあることを三十代前半で読んでいても身にはならなかっただろう。大学で学び方、研究の仕方、知の深め方を学び、職業の実践で多くの苦しみを超えて責任の矢印が相手を向いていたのを、自分に向けるという大反省を繰り返したいまだからこそ、血肉となったリーダーの在り方がある。それを教えることもできるようになったと思える。
こここそが、大学で学び、広義の教養を身につける価値ではないだろうか?もちろん、大学だけが教養を身につける場ではない。学歴に関係なく教養を身につけている方をたくさん見てきた。多くの職人的技術者、社長が大成功を収めているので、不可能とはいわない。ただ、職能のみの専門性は得てして傲慢さを産む。自分でその先にある価値、その先にある普遍的な解決に至ることが時に難しい。一方、知を作ることを学んだ人間の方がより謙虚に、より普遍的な形で仕事にアプローチすることができ、組織を作ること、組織を発展させることに方向性を変化させることができるように想う。
決して専門職能人を「奴隷」などというつもりはない。しかし、大学で学ぶ知の作り方とは、本来自由人であるための技芸、リベラル・アーツであろうと想う。ものごとのとらえ方を変えること、失敗も成功も謙虚に見つめ責任の矢印を変えられるまで反省をすること、ひとつの具体的な事象を本来の意味を抽出する形で抽象化すること、これらこそが教養であるように私には想える。
リベラル・アーツの逆を考えれば、人が奴隷になってしまう状態が分かる。
リベラルとは自由民の思想 - HPO機密日誌
- 暮らしていけないほど収入が低い。家族を養えないほどの貧困にある。
- より高いサラリーをもらうだけの職業訓練、技術がない。
- リーダーシップを発揮する意欲がない。言われるがままに働くことしかできない。
- より高い技術、より高いリーダーシップを身につける学習意欲がない。
- 自分の人生を貫く思想信条がない。
- 自分と家族を守るために働く、闘う意欲がない。よって、政治にも関心がない。
*1:今回、はてなの目次記法を使って書き換えてみた。劇的に読みやすくなった。
記事中の見出しから目次を自動的に作成する「目次記法」を追加しました - はてなブログ開発ブログ
*2:ちなみに、この1番最初の学習できないほどの貧困を解決するのは国家の役割だと思う。あるいは、先に成功を収めた人間は後に続く者をひっぱりあげる責任があると思う。