「選択」から送られてきた通算500号達成記念付録を読んでいる。1975年、76年連載の城山三郎氏のインタビュー記事。
インタビュー相手は、松下幸之助、堤清二、エズラ・ヴォーゲルとそうそうたる人物達。
読んでいて、なんとなく違和感がある。もやもやしている。まあ、なにせ40年前のインタビュー記事だから、そこで答えている内容のそのまた顛末の顛末まで知っている。たとえば、八城基政氏。インタビュー当時はなんとエッソスタンダード石油の若き社長。弁舌さわやかに外資系企業と日本企業の社風の相違点について語っている。後に金融業へ。
1974年(昭和49年) - エッソ石油株式会社取締役社長
八城政基 - Wikipedia
1979年(昭和54年) - エッソ・イースタン社取締役筆頭副社長
1986年(昭和61年) - エッソ石油株式会社取締役社長
1989年(平成元年) - シティバンク・エヌ・エイ在日代表
1992年(平成4年) - シティコープ/シティバンク・エヌ・エイ エグゼクティブ バイス プレジデント兼在日代表
1997年(平成9年) - シティコープ ジャパン会長(非常勤)
1999年(平成11年) - ニュー・LTCB・パートナーズ・C.V.代表
2000年(平成12年) - 新生銀行代表取締役会長兼社長執行役員
この感覚の差はなにか?新日鉄の稲山氏のインタビューに至りはたと気づいた。
社長就任後は日鉄時代の上司である富士製鐵社長の永野重雄とともに、旧日鉄の復活を目指し、公正取引委員会他の反対を乗り越えながら、1970年八幡・富士合併による新日本製鐵(新日鉄、現・新日鐵住金)誕生を実現させた。稲山が合併推進に尽力したのは、1960年代後半から鉄鋼業界の過当競争が激しくなり、価格安定のためには1位・2位メーカーが合併して需給調節をするしかないという結論に至ったからであった。このように、つねに「競争より協調を目指すべき」という信念が経済人稲山の行動原理として貫かれており、「ミスター・カルテル」の異名を取るに至った。
稲山嘉寛 - Wikipedia
戦中の計画経済の感覚が色濃く残っているかどうかが、この世代と現在の日本の経営者の差であろうと。公のためには命をかけるという姿勢を見て育ったのか、「公(おおやけ)?それなに?食べれるの?おいしいの」というくらいにあまりに軽い現在の私たちとの差ではないだろうか?後に「おいしい生活」のコピーなどで知られるようになる西武百貨店の堤清二ですら、なにか影をおびているように今の私には想えてならない。よくよく噛みしめながら、このインタビュー集を読み進めたい。