先日の中川八洋先生の「山本五十六の大罪」の後半は、まったく三田村武夫氏の「大東亜戦争とスターリンの謀略」であった。つまりは、日中事変から太陽戦争の敗戦までは、まったくソ連の謀略、もしくは共産主義への憧憬をもった一連の軍人と官僚の思い描いた通りのシナリオであったと。
連合艦隊司令長官 山本五十六の大罪―亡国の帝国海軍と太平洋戦争の真像
- 作者: 中川八洋
- 出版社/メーカー: 弓立社
- 発売日: 2008/06
- メディア: 単行本
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以前から、ドイツとの同盟まで結びロシアに備える「北進」戦略をあれだけ戦前の日本は準備しながら、なぜ「南進」してしまったのか不思議でならなかった。この「南進」の決定には、ゾルゲや尾崎ら当時の革命ソビエトのコミンテルンの諜報機関の暗躍があった。尾崎などは時の内閣の嘱託であり、言論界にもそれなりの影響力を持っていた。尾崎の証言を含め、実に納得できる当時の事情が本書において議論されている。
「戦後官僚の起源」 - HPO機密日誌
つまりは、太平洋戦争の勝者は日本の官僚そのものであったと。2.26は「成功した革命」であったと。ただし、純粋な共産主義ではなかったくらいに理解していた。
北(一輝)は、村社会の集合体にすぎなかった江戸が終わり、「個と全体」が調和しうる「国家」という概念に取り憑かれた男だと了解した。村落社会においては、掟と血と(村落社会の象徴であり現実である)肥だめが一体である。この一体感において、共同社会として成り立っていた。多くの日本人は、村落社会が拡大したのが国家であると受け止めた。
猪瀬直樹の「ミカドの肖像」の中に、明治大帝の「御糞」の下賜を願い出た男の話しがあった。なんと尾篭な話しかと大学生の私は思った。
しかし、掟と血と肥だめが一体であることによって共同性を保っていた村落意識からすれば、明治大帝の「御糞」を村で祭ることによって初めて「国家」が理解できたのではないだろうか?
この理解の延長線上斜め上くらいに北を位置づければ、いまも昔も国家社会主義的な思想は若者には魅力的に映るものだと了解できる。
北一輝はまだ手先にすぎないと。天皇制と共産主義が両立しうると嘘といい、資本主義社会を没落させるためには戦争が必要であり共産主義者は安易な平和主義であってはならないと、コミンテルンは指導したのだと。ソ連、インターナショナルの戦略通りにことが推移していたいのだと、中川先生は主張する。そう考えると符牒が合うから恐ろしい。
- 作者: 三田村武夫
- 出版社/メーカー: 歴史の真実を究明する会
- 発売日: 2015/06/14
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ともあれ、「大東亜戦争とスターリンの謀略」がちゃんとKindle版になって誰でも読めるようになっていることはすばらしいことだ。