首都圏の発着回数の増便希望をまかなうためには、本格的に成田国際空港の第三滑走路増設の検討をすべき。
以下、まったくの私見。まず、第三滑走路は予定されていた横風用C滑走路ではなく、A滑走路、B滑走路と平行して同時離発着ができるように設定すべきだろう。とすれば、圏央道が伸びてくる現在の滑走路の東側に作るべき。できれば4000m欲しい。
しかも、圏央道の整備と一体ですすめるべきだろうと。用地の確保等もよりパワフルに進められるし、出来上がった後はインターチェンジが二つも整備された空港となる。そんな空港あるだろうか?圏央道側からしても、サービスエリアを空港施設と重ねて整備することができる。スマートインターチェンジと重ねれば、高速から引き込み道路をひとつ曲がっただけでターミナルという状況になる。高速バスは、高速からおりないで空港の利用客の乗り降りができるようになる。当然、貨物利用のスマートインターチェンジも考えられるだろう。特殊なパスだけ持つ車両だけが乗り降りできるインターチェンジであれば、利用価値は更に高くなる。
ついでに言えば、コンベンション施設、いわゆるMICEも整備すべきだ。単体では採算が難しくとも、空港の利用客数が増えれば直接に空港の運営主体の利益として還元される。千葉県全体に広がる観光施設をアフターコンベンションと考えれば、空港圏全体の利益につながる。
航空機の改良により、騒音ははるかに小さくなっている。もう空港の運用に反対し続ける理由はない。むしろ第三滑走路こそ地元から空港、国へと提言して実現することが筋。
なぜ成田に空港ができたかの経緯はよくよく理解されるべきだ。結論から言えば、日本が「負け犬」だからだ。敗戦し、いまだに実質米軍に占領されつづけている。それを清算せず、憲法すら与えられたままの「負け犬」でいつづけているから空港の問題ひとつ解決できない。
いや、言葉が走った。そもそも、東京神奈川はもとより西は静岡、北は新潟にまたがる占領空域、横田空域が戦後に米軍により設定された。首都上空ですら、管制圏が返還されたのは数年前にすぎない。羽田では空路を設定できないから、横田からできるだけ東に避けて首都東京からのアクセスがなんとか我慢できるところはないかと国際空港の予定地が検討された。最終案として、一旦は閣議決定までした富里で反対運動が生じて、昭和41年7月に急遽成田に決まった。この時に、空港の予定地の八割方が天皇陛下の土地、御料牧場であったことが大きな理由であったことは疑う余地もない。そもそも、土地の提供の痛みという意味では天皇陛下が一番ご負担された空港である。
内陸の空港という防災上の理由はもとより、滑走路一本あたりのコストが羽田と比べて格段に安く済んでいる、安全であることも大切な第三滑走路をつくるべき理由だ。羽田のD滑走路は予算でも7千億円あまり、実質滑走路一本で一兆円を超えたと聞く。
対して、成田空港は二本の滑走路とターミナルや整備地区の費用までいれても一兆数千億で済んでいる。海上の複雑な構造の滑走路や、土地の単価の高い都内で作るより、はるかに省コストで建設可能であろう。成田の第三滑走路は、羽田D滑走路よりも増便できる余裕があり、コストも半分以下二千億、三千億で済むだろう。
ぜひぜひえらい方々には第三滑走路を検討して欲しいものだ。
■参照
那覇空港は第二滑走路がすでに着工している。
■追記
ちなみに、ウェブ上でも署名活動が始まっている。拡散するためにリンクを再掲する。
■追記 その2
いよいよ第3滑走路の具体的な計画がNAAから発表になった。