HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

公園めぐり

学生時代、筑波学園都市の地図を部屋に張り付けてた。大小の都市公園でいったところにピンを打っていった。案外個性があるなと思った。


大きな地図で見る

ピンを連ねていくと南北のペデストリアン、車道から分離された歩道沿いに松美公園や、筑波エキスポセンター公園、洞峰公園など、大きな公園が配置されていたことがわかる。当時「北京の朝」と揶揄されるほど自転車移動が多かった。考えてみれば、歩車道分離がきちんとされているおかげであった。

筑波学園は、東大通り、西大東りが南北に走り、大街区が形成されている。大通りから街区への誘導路はごく限られていて、車だとひとつ曲がり角を間違うとUターンしてこないと目的地にいけない。大街区から、また車道により分離された街区毎に小公園が配置されていた。小公園でも、いくつかは個性があったようにも記憶するが、特徴までは思い出せない。

これらの要素があいまって現在のつくば市の成熟した街づくりにつながっている。同じ原理で作られた米国のニュータウンのいくつかは分離された歩道や、都市公園が犯罪の温床となりスラム化していったのとは対照的だ。

アメリカ大都市の死と生

アメリカ大都市の死と生

なぜこれまではスラム化しなかったかは、検証が必要だ。新たに形成された街は同世代が多くその年代の人口の波が通り過ぎたあと、衰退が始まる。東京周辺の一部の街ですでに犯罪発生率が上昇しているとも聞く。筑波学園都市がそうならないことを祈る。