HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「防共回廊」 第二章 中国の内なる回民

「回民」という中国国内の回教徒の存在を初めて知った。漢人でありながら回教徒である人々を「回民」というのだそうだ。今なら中国人ムスリムというのだろうか。太平洋戦争の前後には、一千万人近い「回民」がいたという。

帝国陸軍 見果てぬ「防共回廊」

帝国陸軍 見果てぬ「防共回廊」

本書では、戦前から戦中にかけて茂川秀和率いる中国回教総連合会に一番焦点が当たっている。「回民」の民族としてのアイデンティティ中華民国も、中国共産党も認め得なかった。戦前も、戦後も同じだ。

中国共産党は、「長征」という名の逃避行において10万の兵力を数千まで減らした。まさにほぼ壊滅状態に陥ったのだ。国民党軍からの逃避行を更に困難なものにしたのは、中国の西側を支配する回教徒たちの軍閥であったという。そりゃあ、馬上天下を取れば、回教徒たちを弾圧してくもなる。恨み骨髄であったのだろう。

長征 - Wikipedia

本書で語られる「防共回廊」、蒙古からチベットまで、を完成させるためには、回教徒の国を通らなければならない。西川一三のにイスラームの隊商とともにあった冒険譚があったのも理由がある。いかに茂川が回民とともにあったかは、茂川の中共による死刑判決が「回民」の嘆願により減刑されて日本に帰国できたというエピソードからもうかがえる。このくだりは感動的ですらある。

それにしても、茂川を始め、林銑十郎などの回教徒へのアプローチは見事だ。現代の日本においても、当時と同様欧米のプロパガンダに乗って、イスラームの精神世界をあなどってはいけない。むしろ、外交的努力、民間の交流をますます増やして、「回廊」の復活に政策を切るべきではないだろうか?

ちなみに、本省には城野先生の「山西独立戦記」(「祖国復興に戦った男たち―終戦後四年間も中国で戦った日本人の記録」)に出てくる閻錫山が登場する。

祖国復興に戦った男たち―終戦後四年間も中国で戦った日本人の記録

祖国復興に戦った男たち―終戦後四年間も中国で戦った日本人の記録