片山議員の発言を揶揄して書かれたエントリーがあまりに浅薄なので腹が立った。
当時、就任演説でケネディ大統領はこう述べています。(略)
『米国民の同胞の皆さん、あなたの国があなたのために何ができるかを問わないでほしい。 あなたがあなたの国のために何ができるかを問うてほしい。』
ここだけを聞くと、まさしく「国家主義」に聞こえます。ですが、これは抜粋のマジックです。というのも、ケネディはこの演説では全く逆の意味の演説をしていることがはっきりしているからです。
http://tuchizaki.blog24.fc2.com/blog-entry-183.html
なんではらがたったか、コメントを書いた。
タイトル : 自由を圧迫する共産陣営
こんにちは、
(前略)
もし、(「国家主義」と全く反対の意図で)圧政へのうんぬん(という演説であった)と言うなら時代背景まで語らないと片手落ちです。この就任演説は、ソ連との対抗において語られた言葉。(圧政への戦いとは自由を奪おうとする共産主義と戦いで)国のために兵士になって犠牲になれと。ベトナム戦争を実質始めたのはケネディだということを忘れてはなりません。国の為に兵士になれという以上に国への(国家主義的)「義務」を果たすことはないと私は信じます。
もっとさかのぼれば、日本国憲法は修正条項を含む米国憲法を参考に英文で当初つくられた。そして、米国憲法はフランス人権宣言と共和制フランスの憲法をお手本にしている。人権宣言、フランス憲法は、フランス革命の結果生まれた。この現在の「人権」誕生の原点といわれるフランス革命は、ナポレオンによる国民軍の創設と表裏一体であることを忘れてはならない。フランス革命戦争で、フランスと戦った国々はすべて絶対王政であった。フランスは自国を自由で人権を保障された国民が守ることで、自国を守ったのだ。
8月23日、国民公会は「国家総動員」を発令し、徴兵制度を施行した。身代わりの許された30万人募兵と違って、各階層の国民を平等に徴兵し、新たに120万の兵士が軍に加わった。これは傭兵を軍の主力としていた当時のヨーロッパの君主制国家では想像できないほどの大兵力であった。
フランス革命戦争:国家総動員
逆にいえば、人権をまもるためには戦いに勝つ必要があった。この戦いで負けていれば、王政復古がなされ、市民の人権は抑制されていただろう。
フランス革命から時代が下ること半世紀と少し、逆に日本の立憲主義、人権は王政復古によってうまれた。江戸時代はそれなりの仕組みはあったが、人権が天与だなんて発想はまったくなかっただろう。広く知られているように、五か条のご誓文は、天皇陛下が臣民にくだし、これを臣民、国民が受けた形になっている。
ここから大日本帝国憲法が生まれ、大日本帝国憲法に基づいて現在の日本国憲法が制定された。大日本帝国憲法から日本国憲法への「改正」も、天皇陛下の御名、玉璽において行われた。つまりは、日本においては人権などは、天皇陛下からいただいたものにすぎない。
上諭
朕は、日本國民の總意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、樞密顧問の諮詢及び帝國憲法第七十三條による帝國議會の議決を經た帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。
日本國憲法 - Wikisource
御名御璽
江戸末期の日本においても、アジアに押し寄せてくる西欧列強との対抗上、武家だけでは国家総動員戦を勝ち抜けないので、民主主義を取り入れ、人権を認めたにすぎない。ケネディのいうように全体主義の圧政と戦い、勝ち抜くためには人権を自分で勝ち取る意識を持つ市民であることが必要になる。
自民党の代議士がどれだけ無能であろうとも、彼らがこの国家伝統という意識を持っていることはとても大切なこと。現行憲法絶対、人権絶対、中国絶対の民主党とは違う。
「腹が立った」など下品な表現をしたが、市井の日本人の感情面がとても大事だと想う。理屈で考えて、理屈で主張しても、人はついていけない。